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藁の楯

2013年05月10日 | 邦画(13年)
 『藁の楯』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)予告編を見て面白そうだと思い、映画館に出かけてみました。

 話しは極く単純で、殺人事件の容疑者を、彼が出頭した福岡県警から、捜査本部が置かれている東京の警視庁まで48時間以内に移送するというもの。



 ただし、この容疑者・清丸藤原竜也)が殺した少女の祖父が財界の大物・蜷川(山崎努)で、清丸を殺した者に10億円を謝礼として支払うとの広告を新聞に出したから大変です。

 常識外に多額の謝礼がもらえるならばと、移送中の清丸を殺そうとする人間が大勢出現することでしょう。
 そこで、清丸が移送中に殺されないように、護衛のスペシャリストが付けられることになり、選ばれたのが警部補・銘苅大沢たかお)と巡査部長・白岩松嶋菜々子)。



 さらに警視庁の二人(岸谷五朗永山絢斗)と、福岡県警の一人(伊武雅刀)とが加わります。
 さあ、この移送は上手くいくでしょうか、……?

 護衛する価値がない殺人鬼を命をかけて護衛するという着想が面白く、また、同じ三池崇史監督の『十三人の刺客』のように、邦画にしては目を見張る大きなスケールであり、さらには大沢たかお以下の俳優陣が力一杯の演技を披露していて、とにかく最後までぐいぐい引込まれてしまいます(注1)。

 ですから、雑誌『シナリオ』6月号に掲載された「白鳥あかねの“気になる映画”~面白い映画とは~」において、脚本家の白鳥あかね氏と大石三知子氏が本作に対して、「凄く面白かった」、「これ日本映画の総力を挙げてって感じがしたよね、見応えがあって」、「これを観た時に、もうハリウッド映画はいらなくなるんじゃないかと思ったよ(笑い)、ほんとに」、「嬉しいのは、ハリウッドだけじゃないんだぜ、みたいな」というような手放しの礼賛を捧げていますが、その気持ちはよくわかります!

(2)しかしながら、この映画の基本的な設定は果たして現実に成立するのだろうか(注2)など、見ている途中からいろいろな疑問点が浮かんできてしまうのも事実です。

 例えば、単なる殺人事件の容疑者に過ぎない清丸について、どうして「国家の威信にかけても殺させてはならない」などと警察幹部が大言壮語し、さらには精鋭のSPまで付けるのでしょうか(他の事件の解明などで清丸の証言がなんとしてでも必要だというなら話は別でしょう。ですが、どうもそんな事情は見当たりません)?

 また、タイムリミットが「48時間」とされているところ、確かに検察への送検は身柄確保から48時間以内とされているものの(注3)、なにも清丸を殺せる機会は移送中だけに限られないのではないでしょうか(とにかく謝礼が10億円ですから、司法当局内部にも不埒な輩が多数現れるでしょう)?

 さらに、清丸は殺人事件での仮出所後に蜷川の孫を殺していて、死刑になる可能性がないわけではありませんから(注4)、わざわざ日本中を巻き込んで彼を殺させるまでもないのではと思われます(ただ、病気で余命短い自分の目の黒いうちに復讐を果たしたいと考えてのことかもしれませんが、それにしても)。
 なにより、本当に蜷川が清丸を早目に殺したいのであれば、腕の立つ殺し屋を10億円で雇った方が、こんな派手な大騒ぎを引き起こすよりもはるかに確実ではないかとも思われます。

 加えて、10億円の支払いも、蜷川による殺人教唆の上でのことですから、無効なものであり、仮に支払われても没収されると警察が宣言しさえすれば、誰も清丸に手をださなくなるのではとも思われます〔映画では、蜷川がその財力を使って、政府(警察を含めて)やマスコミを籠絡してしまったように描かれているところ、殺人が絡む重罪についてまでもそんなことが可能でしょうか〕。

 そこで、本作と同タイトルの原作木内一裕著、講談社文庫)ならばいろいろ書き込まれているに違いないのではと思って当たってみました。
 でも、例えば4番目の点につき、銘苅警部補の考えたことながら、「金はきちんと支払われるようになっているのだろう」、「事前に法の専門家達がありとあらゆる法の網をくぐる方法を十分に検討した上で始めたに違いないのだ」などと書かれているにすぎません(同書P.65)。
 酷く拍子抜けしてしまいました(注5)。

 あれやこれやは、この作品にとってどうでもいいことなのでしょう。そんなところに一々ツッコミを入れていたのでは物語が何も進行しませんから!
 とにかく、一方で、清丸を生きたまま48時間以内に検察に送検することが銘苅らに対する絶対の命令であり、他方で、その時間内に清丸を殺した者には10億円が支払われる、という枠組みで物語が出発進行するわけです!

 そして、ヴィジュアル的な効果を最大限に引き出すという観点から、原作に様々の改変が加えられ(注6)、映画的な工夫も凝らされていて、それらはかなりの程度成功しているように思われます(注7)。
 でも、ハリウッド越えとはそんなに素晴らしいことなんでしょうか、……(注8)?

(3)渡まち子氏は、「正義を自問しながら懸賞金10億円の凶悪犯を守るSPを描くクライム・サスペンス「藁の楯わらのたて」。国内外で大規模なロケを敢行した気合の入った映像が見ものだ」として65点を付けています。



(注1)例えば、大沢たかおは『終の信託』、岸谷五朗は『夜明けの街で』、伊武雅刀は『キツツキと雨』、永山絢斗は『ふがいない僕は空を見た』でそれぞれ見ています。




(注2)本文で取り上げた雑誌『シナリオ』6月号の対談では、「この映画のミソは、殺された少女のお祖父さんの山崎努さんが、大金持ちで犯人に10億円の懸賞金を掛けるところ。それがリアリティがあるんだよね」「良く出来てます」と言われているのですが。

(注3)刑事訴訟法第205条第1項

(注4)本作の原作には、「現在の法体系では、二つの幼い命を奪った卑劣な犯罪者を死刑にできない事は蜷川も十分承知していた」とか(同書P.12)、「二度目の殺人とは言っても前の刑期は務め上げている。再犯である事を考慮しても無期懲役までいくのかどうか銘刈にはわからない。だが、いずれにしても十年程で娑婆に戻って来るのは間違いないように思われる」と書かれています(P.21~P.22)。
 ですが、Wikipediaの記事には、「殺人・犯罪に対する厳罰化を求めるマスメディアの報道・世論の影響で、2人殺害にも死刑判決が数多く出されるようになり、更には、1人殺害の事件でも死刑判決が出されるケースが見られるようになった」として、「2009年の闇サイト殺人事件」が挙げられています(ただし、第一審判決ですが)。

(注5)尤も、原作には、「素人の」銘刈の考えが記載されています。
 すなわち、「清丸を殺した人間に蜷川は十億を払わないと宣言しておいて、家族に民事訴訟を起こさせる。「夫が殺人を犯したのは蜷川の広告のせいだ。損害賠償せよ」というような。その上で裁判の途中で和解する。和解金は十億円。和解が成立すれば裁判所は口出しできない。あきらかに茶番だが、法的にはどうする事もできないのではないだろうか。しかも、確か賠償金には税金がかからないのではなかったか」(P.65~P.66)。
 ただ、これも全くの「素人」考えですが、「清丸を殺した人間」の家族はそんな訴えをすることが出来ないのではないか(当事者ではないため)、仮に出来たとしても請求する損害賠償金額は10億円になるはずがないのではないか、そして請求金額を越える和解金などあり得ず、また、社会通念に反する多額の和解金について全額が非課税となることはないのではないか、とも思われます。

(注6)ネタバレになりすぎてしまうので、数ある中から一点だけ挙げてみると、白岩・巡査部長が原作では男性なのです。
 こうしたアクション物ではヒロインの活躍が必要ですから、女性のSPで構わないものの(『SP THE MOTION PICTURE』で真木よう子が出演していることもあり)、何もシングルマザーという設定にせずともいいのではないでしょうか(ラストシーンを感動的にするための工夫でしょうが、いかにもの感がしてしまいます)。

(注7)例えば、護送車やパトカーが数十台連なる中にタンクローリーが突っ込んできて、最後に仰向けにひっくりかえり、爆発炎上するという場面があります。

(注8)映画はそれぞれの国で培われてきた特性を追求すればいいのであって、カーアクションはアメリカ映画の特性ですから、ハリウッドに任せておけばいいのではと思えるところ、一体いつまでアメリカの物真似をしようというのでしょうか、などというのは余りに杓子定規な物言いかもしれませんが。



★★☆☆☆



象のロケット:藁の楯