孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ラオス難民のモン族  今なお続くベトナム戦争、更にイラクへ

2008-07-31 18:38:09 | 国際情勢

(アメリカ・ミネソタ州 セントポールの市場で モン族難民の子供 “flickr”より By kdurril
http://www.flickr.com/photos/kdurril/5085747/)

****モン族難民、タイで苦境に=国境なき医師団の島川医師語る****
「故郷には病院もないし、今後も薬なんて手に入らない」-。ラオスのジャングルから命からがらタイの難民キャンプへ逃れた少数民族モン族の男性はがんを患う妻の身を案じてこう話した。最適の治療を受けさせたくても、難民を取り巻く厳しい事情がそれを許さない。国際医療援助団体、国境なき医師団(MSF)の日本人医師、島川祐輔さん(30)がこのほど一時帰国し、モン族難民が直面している窮状を訴えた。
 MSFは、ラオスを脱出したモン族約6000人が暮らすタイ北部のファイ・ナム・カオ難民キャンプで2005年に医療・心理ケアを開始。島川さんは、昨年10月から診療に加わっている。
 キャンプは鉄条網で囲まれ、タイ軍の厳重な監視下にある。タイ政府は6月、キャンプ内の約800人をラオスへ移送した。MSFは「軍による強制送還」として即時停止を要請したが、7月初めにも200~300人が強制送還されたとの情報が流れている。【7月30日 時事】
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【モン族とベトナム戦争】
モン族は、中国では貴州省を中心に、他にも湖南省、雲南省、四川省など広く居住しています。また、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも多く住んでいます。
中国ではミャオ族と呼んでいます。
タイなどではメオ族とも呼びますが、これは蔑称だそうで、この文中ではモン族の呼称を使用します。
なお、ミャンマーには全く別の“モン族”と呼ばれる少数民族が存在し、やはり政府と衝突したりしていますので、そちらとの区別に注意する必要があります。

ウィキペディアによると、現在モン族は中国に約300万人、ベトナム約79万人、ラオス約46万人、アメリカ約19万人、タイ約15万人・・・となっています。
5月のGWにベトナムのサパを旅行しましたが、中国国境も近いエリアですので、黒モン族やカラフルな花モン族などの人々に会うことができます。
“それにしても、どうしてアメリカに19万人も?”というのが今日の話題です。

ベトナム戦争が始まる頃、ラオス北部山岳地帯のモン族は焼畑などで暮らしていました。
北ベトナム軍の有名な補給路ホーチミンルートはこのエリアを通っており、北ベトナム側もアメリカ側もこの地に詳しいモン族を陣営に引き入れることになります。
結果、同じモン族が両陣営に分かれて戦うことになります。

アメリカ側についてみると、CIAはフランスのスパイも務めた有名なモン族軍人将校Vang Pao に接触し、ベトナム戦争への協力を求めました。
Vang Paoは1964年にラオス国王軍の軍司令官を命じられ、約3万人のモン族兵は、アメリカ政府より賃金(1日10セント)等の保障を受けながら、北ベトナム軍やパテト・ラオを相手に参戦することになります。

ベトナム戦争でモン族の約17,000人の兵士が殺害され、市民5,000人が死亡したとされています。
戦争終結に伴い、アメリカ軍は撤収します。
Vang PaoもCIAよりラオス脱出を命じられます。

戦後のラオスは共産主義パテト・ラオが支配するところとなり、あとに残されたモン族は「裏切り者」として、ベトナム戦争時のアメリカ支持の報復を受けます。
多くのモン族がタイへ避難しましたが、10万人のモン族が殺害されたと言われます。
なお、ベトナム戦争で亡くなったアメリカ兵は58,000人です。

【難民資格も失われて】
国外に脱出したモン族は30万人とも言われています。
その多くがタイ国境沿いの難民キャンプで生活してきました。状況に責任を有するアメリカも約15万人を難民として受け入れてきましたが、国連が1992年に難民支援の打ち切りを決めたため、2004年にこれ以上移住を受け入れないことを決定しました。

このたため、タイに暮らすモン族は難民として保護される資格を失い国籍のない不法滞在者として扱われるようになり、その数は2万人以上と言われています。
彼等は国連からの援助もなくなり自活を強いられています。
一方で、国籍も持たない彼らが働くことは、違法労働としてタイ国内での摩擦を引きおこします。
1995年の難民キャンプ閉鎖により、何千人ものモン族がラオスに帰国しましたが、今もなお彼らへの拷問や虐待が続いていると言われます。

タイ政府は行き場を失ったモン族難民の受け入れをアメリカに要望する一方、2007年5月、ラオス政府との間で「ラオス・タイ国境安全委員会」を設置し、2008年末前までにモン族難民のラオスへの強制送還を実施する意向を明らかにしていました。

今年5月23日、タイ北部ペチャブン県にあるモン族の難民収容キャンプで火事があり、竹などで編まれた小屋800棟以上が焼失しました。タイ当局見解は“国際社会の注目を集めるため難民が放火した”というものです。

タイ政府は6月22日、ラオスから逃れてきたモン族の難民推定800人をラオスに強制送還しました。
さらにタイ当局は、タイのペッチャブン県ファイ・ナム・カオ村の難民キャンプに留まっている6千人のモン族難民についても近日中にラオスへ送還すると公言しています。
国境なき医師団(MSF)は、タイ・ラオス両政府に対して直ちにモン族難民の強制送還を全面的に停止するよう要求しており、冒頭の島川医師語の発言はこのような状況を受けてのものです。

ラオスに送還された推定800人の難民は、タイとラオスの両政府が交わしたモン族難民の強制送還の合意に反対する抗議デモに参加した約5千人が軍に拘束され、その後強制送還に至った者とも言われています。
しかし、タイ当局は“難民たちの自発的な帰還である”と主張しています。
モン族難民の多くが、ラオスに送還されることを非常に恐れているなかでは、信じがたい主張です。

MSF活動責任者は、「今回の強制送還の実施においては透明性が完全に欠如しており、これは問題をさらに悪化させるだけです。もしタイ、ラオス両政府が独立の監視機関の介入を容認すれば、この問題の解決につながるかも知れません。」と語っています。【5月3日 asahi.com】

【アメリカのモン族難民受入れ】
一方、アメリカが受け入れたモン族難民。
アメリカミネソタ州セントポール、人口30万人のこの町ではベトナム戦争直後に三万人近くのモン族難民を受け入れましたが、更に2004年には追加受入れを決定しました。
市長は、「モン族に借りを返すのは我々の義務です」「一つの戦争があれば、これだけ長い間、人々の生活に大きな影響を及ぼすのも 避けられないことなのです」と語ったそうです。
移住に当たっては、アメリカ政府から一時金として一人に付き800ドルが支給され、また、生活保護として月に600ドルほどが支給されたとか。

アメリカの行った行為には多々論ずべき点はありますが、一方でこのような難民受入れなどは日本などでは出来ないことです。
アメリカ社会の懐の深さみたいなものを感じます。

しかし、アメリカ全体がモン族を暖かく迎え入れたのか・・・という点については、当然ながら多くの摩擦があります。
**04年年11月、米中北部のウィスコンシン州の森の中で、鹿狩りに来ていたラオスの山岳少数民族モン族の出身の男性が、口論の末、白人ハンターの男女6人を殺害した。この男性は、白人たちから侮辱的な言葉(「おれの土地にアジア人が入ってきてむかつく」など)を浴びせられた主張。また白人ハンターの1人が銃を先に発砲したため、正当防衛で6人を殺害したと反論した。しかし、ウィスコンシン州裁判所の陪審員は16日、男性の主張を認めず、殺人罪で有罪評決を下した。陪審員の12人はいずれも白人だった。男性の家族は、人種差別の評決だと憤っている。」・・・・アジアの関係組織には「モン族は“ごみ”だ」といった嫌がらせのファクスやEメールが送られた。モン族の家にペンキスプレーで「殺人者」の文字が書かれた。「ハンターを救え、モンを撃て」という自動車ステッカーを売る業者も現われた。【05年9月26日 日刊ベリタ】 
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【更にイラクへ】
04年6月、イラクでモン兵士の最初の死者が出ました。
ラオスから米国に逃れて再定住したモンは米国生まれのモンを含めると23万人を超えました。
米軍に加われば市民権を得やすくなるという理由で、多くのモン族青年が異国の戦場に赴きました。
未だ終わらぬベトナム戦争に苦しむモン族は、イラクでの新たな戦闘に向かいました。(日本「自由社会」構造研究会 “歴史で知るモン族” より)

コメント (3)
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