孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

死刑制度をめぐる話題 ナイジェリア、パキスタン、フィリピンそして日本

2008-07-15 21:13:33 | 世相

(いくつかの国では死刑が公開で執行されています。以前、イラン関連の写真を検索していて、そのような写真を目にしたとき、最初は何の写真か理解できませんでした。街中でクレーンに吊るされた“人形” とりまく群衆 イランでは同性愛も死刑の対象になります。
“flickr”より By Sin Agua
http://www.flickr.com/photos/sin_agua/2208439930/)

【死刑は文明・・・か?】
死刑制度の話。
日本では07年8月の就任以来13名の死刑執行を指示した鳩山法相を“死に神”に例えた朝日新聞の記事が問題になりましたが、週刊誌インタビューで鳩山氏は、「死刑囚は、死に神に連れていかれたのではなく、司法の裁きで死に赴いたのでしょ。これが文明」と語っています。

確かに世界を見渡すと司法制度によらず、秘密裏に、私的に、あるいは政治的に、邪魔者を消し去る状況が当然のごとく横行していますので(その国で死刑制度が有る無しに拘わらず)、それに比べたら審議をつくしたうえでの裁判による死刑は“文明”的と言えるかも。

最近目にした死刑に関する世界各国の話題。
****ナイジェリア:死刑廃止の大議論、間もなく開始******
アフリカで最も人口の多いナイジェリアで、議会は3か月以内に審議を開始する予定である。
法案提出者の1人イトゥラー議員は、「この国では、人命に関わることのない暴動、貨幣の密輸、反逆罪といった罪にまで死刑が適用されている。重罪に関わった者はすべて罰するというのが原則となっているのだが、時として罪を犯していない者を誤って罰しているのが実情だ」と語る。
NGO司法リソース連合のファポウンダ氏は、ナイジェリアでは冤罪による処刑は多いと考えている。同氏はまた、「極刑には重罪抑止の効果はない。強盗犯を極刑に処しても、強盗行為は無くならない。必要なのは、政府による社会格差軽減だ」と語っている。【7月12日 IPS】
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法案の見通しについては、「死刑は微妙な問題であり、議会内でも難航が予想される。しかし、多くの国が死刑廃止の方向へ向かっており、今回の法案も可決の方向へ向かうのではないか」との意見が紹介されています。

しかし、北部ではイスラム法シャリアが施行されており、イスラム社会からの反撃が予想されています。
また、ナイジェリアでは1999年から非公式ではあるが、死刑の一時停止が宣言されているにも拘わらず、アムネスティ・インターナショナルによれば、知事の承認などにより秘密裏の処刑が行われているとか。

****パキスタン:七千人の死刑囚に恩赦*****
暗殺されたベーナズィール・ブットーの誕生日(6月21日)を記念して、現在服役中の死刑囚を終身刑に軽減するというギーラーニー首相の提案が、7月3日内閣の承認を得た。該当者の人数は7千人ほどで、全世界の死刑囚の4分の1にあたる。
内閣の承認が発表されると、パキスタン人権委員会とアムネスティ・インターナショナルは、パキスタン政府に対し、死刑執行一時停止を要求した。昨年の死刑執行は少なくとも135件、アムネスティが記録している25の死刑継続国のうち、4番目に多い。今年になってからは、ほぼ1週間に1件の頻度である。
今回の発表の4日前に、ヒューマン・ライツ・ウォッチは公開書簡を発表しており、パキスタン政府に対し、死刑制度を廃止することを訴え、少なくとも死刑執行を停止すること、また死刑の対象となっている犯罪の数を減らすことを要求した。例えば婚外性交渉は、殺人同様、死刑となる。【7月11日 IPS】
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“死刑囚が7千人”というのもすごい数字ですが、ヒューマン・ライツ・ウォッチの公開書簡によれば、パキスタンでは判決にいたるまでの手続が信頼できるものでなく、拷問による自白強要が蔓延しているとのことで、濡れ衣を着せられ、真犯人が出てきても再審されず処刑されてしまった例も少なくないそうです。
また、そのような犠牲者の多くは、私設弁護人をたてられない最貧困層の人であることが多いとも。

【死刑制度の乱用】
上記ナイジェリア、パキスタンに関する記事を読むと、世界における死刑の実態は、日本におけるそれとはかなり様相が異なることに気づきます。
暴動や反逆といった政治的犯罪、イスラム圏では外性交渉や棄教といった宗教的犯罪が(個人的にはこれが“犯罪”にあたるとは思えませんが)“死刑”の対象とされています。
更に、“拷問による自白強要が蔓延”といったように司法手続きに信頼がなく、冤罪が多いという問題があります。
また、“イスラム法シャリア”とか“知事の承認による秘密裏の処刑”といった、フォーマルな法制度とは別のルートの存在があります。

そうした社会においては死刑制度の乱用を戒め、より限定的なものにしていくことが望ましいように個人的には思われます。
ただ、当然ながら、“人間が、犯罪者とは言え同じ人間を殺すことが許されるのか?”という根源的な問いかけは、ナイジェリア、パキスタンであろうが、日本であろうが同じです。

【死刑廃止の流れ】
世界的には死刑廃止の方向で進んでいます。
国連総会において市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)が採択された1966年当時、死刑を廃止していた国は26か国にすぎませんでした。
しかしその後、ヨーロッパを中心に死刑廃止の潮流は強まり、ヨーロッパは事実上の死刑廃止地域とりました。
死刑廃止の流れはラテンアメリカ、更にはアフリカにも及んでおり、世界で死刑を廃止した国は、事実上のものを含めて133か国と、存置国の64を大きく上回っています。【07年12月19日 日弁連】

国連総会第3委員会は昨年11月15日、賛成99票、反対52票で死刑一時停止を求める決議を可決しました。
反対した国は、イスラム諸国の他、米国、日本、シンガポール、中国。
これを受けて、12月18日、国連総会本会議において、すべての死刑存置国に対して、死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の一時停止を求めることなどを内容とする決議が採択されました。

“死刑廃止の方向”とは言っても、法制度としての死刑廃止は、必ずしもその社会における“生命の尊重”を反映したものではないようです。
ヨーロッパに続いて死刑廃止国が多いのがラテンアメリカですが、反政府勢力との間で紛争が続いているコロンビアなどもそのひとつ。暴力の陰が色濃いその社会と死刑廃止がうまく結びつきません。
宗教的な背景でしょうか。

【フィリピン 死刑廃止と“処刑人”】アジアではまだ廃止国は多くありませんが、カトリック国フィリピンでは2006年6月にアロヨ大統領が死刑制度を廃止する法案に署名しました。
フィリピンでは1987年に死刑が一旦廃止されましたが、1994年に復活した経緯があります。
熱心なカトリック信者とされるアロヨ大統領は、就任以来、死刑執行の延期を行い、死刑の執行は行っていませんでした。当時予定されていた大統領のバチカン訪問にあわせて廃止成立を急いだとも言われています。

しかし、フィリピンでは左翼系活動家や地域活動家への襲撃が多発しており、恣意的逮捕、拷問、超法規的処刑、「失踪」が横行しています。
2005年には少なくとも66人が銃撃を受けて死亡しました。そののほとんどは、バイクに乗り、ときには覆面をした正体不明の襲撃者によるもので、彼らは「自警団」、あるいはフィリピン国軍と関係がある殺し屋だとも言われています。【アムネスティ・レポート】
また、ミンダナオ島では反政府勢力との紛争が続いています。

そんなミンダナオ島の中心都市ダバオの、特異な“治安のよさ”については11日のブログでも取り上げました。
ダバオの治安のよさの理由は、「処刑人」とも「ダバオのダーティー・ハリー」とも呼ばれるドゥテルテ・ダバオ市長が私的な“殺人課”を有しており、殺人・強盗・麻薬などに関係した者を次々に“処刑”しているからだそうです。
刑期を終え刑務所を出所した者も“処刑”され、犯罪がわりに合わないことを思い知らされるとか。
このドゥテルテ・ダバオ市長は、死刑廃止に熱心なアロヨ大統領の信任があつく、大統領の要請を受け、誘拐・麻薬対策特別委員会の顧問に就任しているとのことで、よく理解できません。
フィリピンなど多くの国では、死刑制度を云々する以前に改めるべき社会の状況があるように思われます。

【“応報”ということ】
日本に話を戻すと、最近は被害者、その遺族に立場にたった声が強まっており、極刑を求めるそのような声をマスコミ等でもよく目にします。
“犯罪の予防”という観点より、他人の生命を奪った罪に対して等しい責任を取らせるという“応報”の考え方が強まっているように見えます。

死刑制度について普段考えることは殆どありませんが、凶悪な犯罪が明らかな場合、自らの生命による“応報”というのは妥当に思えます。
素朴な印象ですが、すべての死刑を廃止することは難しいように思えます。
ただ、昨今の極刑を望む遺族が大きく取り上げられるような風潮には、馴染めないものも感じます。
日本は一応仏教国ですが、殺生を禁じる仏教界は死刑制度というものについてどのように考えているのでしょうか?

コメント (1)
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