2024/09/30 読売新聞オンライン
海側から撮影された「尼ロック」の全景。扉は開門時に波を立てないように扇形になっている(尼崎市で)
「尼ロック」が人気らしい。とは言っても、ギターをかき鳴らす音楽のことではなく、お酒の割り方でもない。尼崎港にある日本最大級の開閉式 閘門こうもん のことだ。クルーズ船で周遊する観光客でにぎわい、映画にも登場。その陰で、兵庫県尼崎市の<海の門番>として市民の命を守っている。
水しぶきに歓声
大阪湾に注ぐ武庫川河口から、クルーズ船が出航する。
きらめく太陽に海鳥の鳴き声、頬をなでる潮風。速度を上げた船が波間を切って水しぶきを躍らせる。目指すは、防潮堤から運河への入り口にある「尼ロック」。パナマ運河と同じ仕組みで、門内で水位を上げ下げして、海と運河の水位差をコントロールする。
海側の 前扉ぜんぴ に到着。高さ5.7メートル、幅17メートルの鋼鉄の扉がそそり立つ。まるで 要塞ようさい のよう。扉がゆっくりと開くと、歓声が上がる。「インディ・ジョーンズみたい」
4月には尼崎市を舞台に家族の絆を描いた映画「あまろっく」が公開された。冒頭、家族3人が乗った白鳥ボートが、のどかにゲートを通過していく。ほのぼのとしたシーンで映画の幕が上がる。
台風被害で建設
工業都市として発展してきた尼崎市。地下水のくみ上げで地盤が2~3メートル沈み、市域の3分の1が海抜0メートル地帯だ。1950年のジェーン台風では、約3.6メートルの高潮が押し寄せ、海岸線から約4キロのJR東海道線付近まで水浸しになったという。死者・行方不明者は28人、24万人超が被災した。
そこで、55年に海岸線沿いに全長12.4キロの巨大な防潮堤が築かれた。「尼ロック」はその中心にある。沿岸部にある工場などに製品や原料を運ぶ船の出入り口となるとともに、前扉と 後扉こうひ を開け閉めして水位を調整することで、治水、防潮の役割を果たす。
1年365日、いつでも通過できる。しかも、無料。県尼崎港管理事務所の職員らが24時間、監視し、船が近づくと門を開閉している。
高潮を食い止める
この夏に2回、緊張に包まれた。「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」と台風10号の接近だ。
8月8日夕、管理事務所業務管理課長の三輪哲也さん(51)は、出先で〈宮崎県日南市、最大震度6弱〉との一報に触れた。
国の被害想定では、尼崎港には地震発生から117分後に最大4メートルの津波が押し寄せる。センターに戻って対応にあたった。8月下旬には、台風10号が鹿児島県に上陸。職員たちは休日返上で、49の防潮堤を閉めた。
映画「あまろっく」の終盤に、「ジェーン台風より強い台風」が尼崎に襲来する。高潮を食い止めたのは、「尼ロック」。被害がなかったことに、主演の江口のりこさんが演じる女性は「普通(何も起きてない)やん」と驚く。
三輪さんは「県民から評価されない方がいい。被害が起きなかったということだから」と話す。施設の1階に、見学した子どもたちの手紙が貼り出されている。
「尼ロックさん。命を守ってくれて、ありがとう」