「second note」 という名前で、公民館で英語の寺子屋をやっています。
小学校の英語授業の弊害で、全員が「英語は嫌い」から始まった中学生向けの英語の寺子屋ですが、2年目がもうすぐ終わります。
ずっと勉強はあまりせず、でも「英語は好き」という状態で来ていた子が、今日の授業で、とうとう自らテストの復習をしてきたノートを持ってきて、30分ほどあれやこれや質問をしてくれた
その姿は感動的でもありました。いや~素晴らしい
この状態が続くならグングン伸びるでしょう。
小6卒業時、全員が「英語は嫌い」という話を聞きショックを受けた私は、中1は「英語を嫌いにしない」が第一方針でやってきました。私が好きな関先生という英語のカリスマ教師も「一番大事なことは、親御さん、英語を嫌いにさせないで下さい」というメッセージで、私も同感していたのもあります。
大概、勉強なんてその教える先生が好きか嫌いかで変わりますし、一度嫌いになったらもう嫌い、という感じですからね。
ということで、限られた時間の中で、伝えられる事や教えられる事を絞り込み、「英語学習の根っこや学びへの姿勢」を育んできました。結果、1年目は、全員が「英語は嫌いじゃない。まあ好きな方」になり達成
2年になり1学期はそのままでしたが2学期からは少しずつワークシートも取り入れ反復練習も開始。英語は積み上げなので、わかれば1番簡単な教科だけど、わからなければどんどん難しくなるので、2年生の2学期は「もう、半分はわからない」という状態の子もいました。ただ、一番大切な心だけは「英語は好き」が続いていました。
2年生の2学期は3年生を見据える時期でしたが詰め込まないように注意しながら、育む事を基本に、しかし「そろそろやらないとまるっきりわからなくなるよ~」という話も混ぜつつ、ワークシートなどの練習も混ぜ込んでいきました。
周りから暗黙のプレッシャーがかかる中、この寺子屋はそういった場にはせず、自らやりたくなる心を育む安全地帯にしようとやってきた結果なのか、今日、自らテストの復習ノートを持ってきたので、私にとっては感動的でほんと、嬉しかったのです
私の学生時代と違って勉強するのが当たり前、塾に行くのは当然のようになっていて、そういった暗黙のプレッシャーの中で内心は嫌々で塾に行く子が多いのでしょうが、それにしても今の子供達は良くやっていると思います。
受験に向けて子供達の勉強をコントールする事は大人はある程度出来ると思うのですが、それはある意味半強制なので、やらせ過ぎると心を疲弊させちゃいます。
自らやった学びなのか、お尻を叩かれての勉強なのかは、大げさに言えばその後の人生、学びに対する姿勢に影響しちゃうと思うんですよね。だったら取り組み意義や学びに対する姿勢、そういった心を育む事が第一だと思うのです。といっても大人数授業や成績重視の営利塾じゃ無理でしょうけど。
来年は3年生。このまま続けるか、続けるならどうやるか思案中です。学年が替わる新学期の最初はどんなに斜に構えているように見える子供でも心を新たにするので、大切な時期ですよね~
そして新1年生の問い合わせがあるかな?あればまた新たにやってみたいとは思っています。
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