半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

ほんたうのたべもの

2023年11月15日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックスのお手紙」です。

 先日、録画していた宮沢賢治の番組で、賢治の童話集「注文の多い料理店」の序文にあった「ほんたうのたべもの(本当の食べ物)」という言葉に、深いな~と大変感銘を受けました

 例えば「食は命」とか「医食同源」など、食べ物の大切さを説く言葉は沢山あるのですが、ここで言う「ほんたうのたべもの」は、物質の食べ物ではなく、目に見えない事についてです。序文から抜粋するとこんな文が載っています。

「わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」

「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」

 自分の童話が読み手の「ほんたうのたべもの」になることを願っている。深い言葉ですよね~。でも、確かにそうだな~と思います

 例えば小さい子どもにとって、絵本、お話、わらべ歌などは心の栄養であり、「ほんたうのたべもの」だと思います。これらがどう子どもの成長に関わるかは、統計的にどうだこうだいう人がいたとしても、恐らくきちんとは科学的には証明出来ないでしょう。

 ものがたりそのものだけでなく、そのものがたりの語り手、つまり一般的には親御さん、おじいさん、おばあさん、保育園や幼稚園の先生達から伝わってくる人の温もりや愛情。これも「ほんたうのたべもの」だと思います。一方で、そんなことより受験勉強の方が重要、と思う人もいますよね。

 有機農業も少し近いところがあって、「有機農業は競合が少なく売りやすいから」という思いで作られた野菜、あるいは無農薬だけどLEDや水耕栽培で作られた野菜と、「食べものは命を育む大切なもの。そして子ども達の生きる地球環境を守っていくんだ」といった思いで作られた野菜では、目には見えないけど本質に何か違いがある気がします。

 目に見えないものは生活にも沢山根ざしていると思います。昔の家は神棚と仏壇があって、3世代が普通に暮らし、食べ物も半分自給で地域の人と一緒に暮らしていくことが一般的でした。大人達が神様、仏様に毎日手をあわせ、お天道様に感謝し、野良仕事をしている姿を見て育った子ども達。

 一方で、神棚や仏壇など目に見えないものに感謝する習慣が無く、食べ物が作られる現場を知らず、格家族で両親は外でどんな仕事をしているかわからない家庭で育つ今の子ども達。勉強の点数、住まいの豪華さ、お小遣いの金額、身なりや食事の豪華さなど目に見える事で満たされる部分はあるのでしょう。でも、目に見えない事、例えば自分の居場所があるという安心感、大人になるという事や働く事に対するイメージ、自然に感謝する心など、昔に比べたら現代の生活はなかなか育まれにくい環境になっているな~と思います。

 でも、何が「ほんたう」かは、人それぞれ、タイミングも違うでしょうけど、出会えばわかるのでしょうね。

 賢治は「私の話は周りの自然からもらってきたもので、あなたのためになるところもあれば、そうでないところもあるでしょう。私にはその見分けは付きません」と書いています。

 それでも「幾きれかがあなたのすきとほつたほんたうのたべものになることをねがふ」と書いています。

 万人にとっての本当ではなく、その人にとっての「ほんたう」はそれぞれ。賢治のように自然に畏怖の念を持ち自然の声を聞きながら生きてきた中で育まれた心は、かつて誰もがもっていたはず。「ほんたうのたべもの」は賢治の物語だけで無く、自然に沿った暮らしの中にもあるのだと思います

コメント
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