半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

実りの感謝する時期

2021年10月14日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

朝採り野菜ボックスのお手紙です

 急に寒くなりましたね~。しばらく晴天が続いて気温も高かったので、先週のお手紙にも書きましたが、野菜の生育が前進して良く言えば豊作、悪く言えば予定より野菜が沢山仕上がってきました。

そうなると本来11月に出す予定で種を蒔いた野菜が10月に出来てしまい、その後の野菜がぽっかり空いてしまう、なんてことが起きてしまうので、なかなか難しい天候です。そして一気に今度は気温が下がり雨模様。なんとも安定しない気候ですね~

 さて、この前の日曜日は大人向けの「食と命の教室」の日でした。毎年この時期は農家の髙柳さんと糀を作っています。良く髙柳さんが言いますが「昔はどこの家でも10/17に神様に実りを感謝してお米から糀を作り、その糀で甘酒を作って感謝していたんだぞ」とのこと。

成田市の隣町の神崎町というところの酒屋さんからは「昔は甘酒がこの時期は糀が飛ぶように売れて繁盛していたんだが、今は廃れちゃったな」と聞いた事があります。私の知っている限り、神嘗祭の日に糀から甘酒を造っているのは髙柳さんぐらいです。あとはきちんとした神社ではやっているんですよ。

 そして11/23は新嘗祭の日です。戦後、GHQに「勤労感謝の日」と名称を変えられましたが、本来は神様に新穀をお供えし、改めて感謝申し上げ、召し上がって頂いた後、ようやく人間が新穀が食べられる、という境の日でもあったと言います。

髙柳さん曰わく「昔、都会の人から『新米はまだですか?』と問い合わせが良くきたんだよ。『こっちはまだ神様だった食っていないのに、新米をほしがるとは、東京の人はなんて強欲だ』なんて仲間で話会っていたんだよ(笑)」とのこと。

昔は新米は年末年始、あるいは遅いときだと3月ぐらいまで食べなかったそうです。それは何かあったときの為にお米はとっておくものだったので、前年のお米を食べ終わってから新米、というのが当たり前だったそうです。


 また、大工さんの日当が米2升だったとか、歓楽街でお酒を飲みに行く際にお金では無く米1俵を持っていく方が喜ばれた、なんて昔話を聞きます。

いずれにしろ、1年に1回しか穫れない実りのおかげで、1年間また生きられる、有り難い、というのが昔の日本人、あるいは今も農に携わる人が持つ思いで、そこから、自然や神様に感謝する日を節目節目で作ったのは自然の流れですよね

一方、今やお米より外国から輸入した小麦で作られたパンや麺類を食べる人が多くなってしまったわけで、「お米1粒残さず食べなさい」なんて食卓で言う親も少なくなってしまったんだろうな~。

コメント
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