半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

学校に行けること

2017年11月17日 | 素敵な空間・イベント
今日は小学校の授業参観&音楽集会でした

成田市は特例で小学校1年生から英語の授業があります。

といっても、コミュニケーションや英語、あるいは外国の先生と慣れる、親しむのが目的のようで、低学年はゲームやパーティーなどが中心で、高学年は買い物などのちょっとしたシチュエーションのやり取りを覚える、という感じ。

国語をもっとやるべき、というのはさておくと、授業参観で初めて英語の授業を見ましたが、いいですね~

別に学びが何かあるのかと言うと、それはわからないのですが、私たちの時代のように、中学生になったら、I play basketbaii. I play soccer too.みたいなのから覚えていくのとは違うんですよね。

当時は、いきなり教科としての英語がスタートしたので、英語がすぐに苦手になったり、英語が嫌いになって最初からつまづいた子もいたでしょう。

でも、今の小学校の英語は、まだカリキュラムが国でそんなにきちんと制定されていないのでしょう、とにかく親しむ、慣れる、みたいなイメージです。

私もそうですが、特別に外国の方と触れ合わないと、なかなか英語や外人さんは苦手な感じになるのが一般的だと思います。
緊張しちゃいますよね。

でも、いつも外国の先生が授業で英語を話して楽しくしてくれるし、体育、家庭科、理科の実験、みたいな「座って勉強」という教科以外の授業って、息抜きと言うか純粋に楽しめる時間でしたよね?

そんな私の小学生時代を思い返せば、単純に「楽しい」という中で、外人さんや英語などへ下手なコンプレックスが出来ずに、入り口として前向きに入れるのはいいことだな、と純粋に思いました


また、音楽集会では、まあ1年生の凄いこと

「ドレミの歌」を鍵盤ハーモニカ(ピアニカ?)で演奏するのですが、各音階で手ぶりがあって、まるで幼稚園のお遊戯発表会のように、楽しく子供たちも演奏していたし、見ている方も楽しかった

さらに、キラキラ光る~、夜空の星よ~、の歌を鍵盤ハーモニカで演奏したのですが、「スキップしているようなドレミ(1つの音符を2度吹き)」とか「悲しい感じのドレミ(音階を一つ下げて演奏)」とか、結構、高度なものをやっていて、高学年の子も保護者もみんなどよめいていました

ちょっとそこで気づいたのが、吹きながら身体をリズムよく動かしている子も1年生の中には、まだ、ちらほらいるんですね。

多分、幼稚園の頃までは、子どもは体とリズムは一緒だったし、言語と体も一緒だった子も多くいたでしょう。

それが小学校で「きちんとした集団行動」を学ぶことで、「演奏している時は演奏に集中」という事を学んでいくんだと思います。

3年生のリコーダーでは、もちろんと言ったら変ですが、体をリズムに合わせて動かしながら吹いている子は1人もいませんでした。

聞いている方もそうで、みんな演奏している音楽に合わせて体を動かしている子は1人もいません。


演劇やコンサート、スピーチなど、外人さんは体を動かしたり、スタンディングオベーションを普通にやりますが、私達日本人は苦手

幼稚園の頃のように、保護者も一緒にリズムをとるように拍手をしたり、のほほ~んとは出来ないのが小学校ですね。

これが日本人のしつけの基本になっていくわけですが、外国との違い、文化の違い、とも言えますよね。


そして、全く知らなかったのですが、子ども達の演奏が終わったあと、今度は「あすなろ学級」の映像と音楽がプロジェクターを通じて始まりました。

多分、私みたいにプログラムを知らない人は「なんだろう?」という感じだったと思います。


ただ、「あすなろ学級」のことを、司会の方、恐らく先生だと思いますが、映像と音楽にあわせながら話しているのを聞いて、「あぁ、あのあすなら学級だ」と気づきました。

同じ小学校の子どもですが、病気のために病院で暮らして勉強している子ども達の学級です。

そして、司会の先生の方の話を聞いていると、どうやら1人の子が「精一杯生きた」という話をしているんです。

もう、その話が聞こえて来てからは、涙が抑えきれませんでした

映像では、子ども達が作った工作や絵やポスターなどがたくさん映っていました。

音楽は「ドラゴンクエスト」のテーマソング。それをあすなろ学級の子ども達が演奏しているのを録音し、映像と共に流しているのです。

ドラゴンクエスト、勇者が大冒険に出ていくRPGです。

子ども達にとっては、本当に病院の外、屋外で思いっきり遊ぶことも出来ない、そんな子供たちがドラゴンクエストをやるというのは、外で思いっきり遊べる子供たちがやるのとは、また違った意味があるんだと思います。

ゲームの本質というか、「仮想の世界で出会い、成長し、謎を解き、敵をやっつけていく」という、世界、ストーリーに自分を埋没させられるのですから。



同じ子ども達でも、授業参観に家の人が事情で来てくれない子がクラスには何人かいます。

私の時代は、親が来るのが嫌でしたが、今は親も子も、行きたい、来てほしい、という家の方が多いと思います。

3年生のクラスの名簿を見て見たら、30人ちょっとで〇がついていないのは3人だけでした。

「ちょっと可哀そうだな~」と思いましたが、あすなろ学級のお話が出てきた時は、「外に出れて家と学校を行き来出来るだけでもなんと幸せなことだろう」という感情が湧いてきました。


昔、テレビで見た病気の子ども達向けのクラウンの資格を持っている副島先生、という学校の先生のことを思い出しました。

ガンバレ、とも言えない。もう十分頑張っている。

将来、未来、大人になったら、という話も出来ない。

来年に向けて今のうちに〇〇を学んでおこう、といった段階的な学びを積み上げていく話も出来ない。

いつ無くなるかわからない命。

小学生で、子どもが大人になることを夢見れない教室。

寄り添うことしかできない。

そして、自分よりも小さな命が、子ども達が、当たり前に大人になるということは出来ず、子どものまま障害を終えていく。


切ないですね。


世の中、各職場、各家庭、各集団で色々な問題があると思いますが、そういった子供たちの前に立てば、私達大人はほとんどの事を投げうって何かできないか、と考えますよね。


あぁ、、、という思いが募っていきました。


その後は先輩の中学生の歌です。

昔の母校に帰って来た4人の中学生は嬉し&恥ずかしそうでした

そんな姿を見て、幼稚園だった子が小学生になり、幼稚園の親だった私も小学校の親という事を経験させてもらえる。有難いな~。

そして、中学生の親、というのもこれから経験させてもらえる。有難いな~。

子どもを通してでないと、幼稚園、学校と言うものがどういうものか、大人として全くわからずじまいだったわけです。

そういった経験を積ませてもらえるということ、子どもがいることへの感謝、ですよね~。


そんなこんなで、ひょこっと行ってみた授業参観&音楽集会でしたが、なんだか色々な感情や学びをもらった時間になりました。


学校も無い、学校にも行けない、そういった国や子供がたくさんいる中で、こうやって普通に学校があること、そこに子どもも親も行けること、関われること、有難いですね~


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