半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

子どもの内から生活の中にお盆があること

2016年08月13日 | 素敵な家族・子供との時間
お盆です。

昨日、家族で盆台を整え、今日は午前中に墓参り。

我が家は成田に移住してきたので、墓は無く、親父が亡くなってから墓を買いました。
仏壇も同様です。

なので、お彼岸の墓参りやお盆行事というのは、ここ10年なのですが、物心ついた時からそういった生活をしている子供たちは、墓参りや仏壇に手を合わせることが当たり前になっています。

うちには親父が無くなるまで仏壇が無く、墓参りもたまに遠戚や父母の実家にいったことがあるぐらいで、私は仏事については正直、「よくわからん」「面倒くさい」といった思いがありました。

ところが、子供たちを見ていると、「あ~、これは小さいうちから生活に溶け込んでいるかいないかの違いだな~」ということが良く分かりました。


そして、墓掃除をしているとき、あるいはお供えを備える時とかに「おじいちゃん、ピカピカになったよ」とか「これ、食べるかな?」なんて語りかけている子供の姿を見ると、うちの親父は幸せものだな、と思うのです。

帰りの車の中でも、子供たちが「おじいちゃん、塩鮭が好きだったんでしょう?」とか「箸の持ち方がなっていないとパンチが飛んで来たんだよね」と笑いながら、さも一緒に暮らしていた頃の話をするように故人の親父のことを語る姿を見ていると、微笑ましく思います。

そういった姿を見ていると、じじ・ばばと孫が一緒に暮らすというのは、命のつながりや人は年老い死んでいく、しかしその後も子孫の思いの中で生きていく、という当たり前のことを学べる最高の生活スタイルなんだな、と思うのです。

そして、こういった姿を見ているからこそ、うちの母、あるいは自分があの世にいっても、子ども達の思い中では生きていくんだろうな、と死について受け入れやすくなるんだろうな、と思います。


今日は私が残り、奥様と子供たちは奥様の実家に行ったのですが、その前に「迎え火をやっちゃおう」ということで、お昼から迎え火をしました。

特に小4の長男は、キュウリで作った馬に花飾りをつけたり、盆台からキュウリだけを窓際に出して、お線香も家族とおじいちゃんの分を足した本数に火をつけ、「こっちだよ~、おじいちゃん」と言いながら、チンチンと鳴らしている姿を見ると、微笑ましくなります。

そして、出発する前に「おじいちゃん、しんせきの家にいくけど、15日には帰ってくるから安心してね」という手紙を盆台に書き残していきました。

「おじいちゃん、もしかしたら東京に来たがって、車の上にしがみついてくるかもよ(笑)」なんて言いながら出発していくわが子を見ると、わが子ながら優しい子だな~と思います

そして、出発する直前に「パパのパソコンのところを後で見てみてね」といって出発していったのですが、何か手紙かな?と思ったら、何故か「おまもり」を置いていってくれました(笑)

ばあちゃんと残る私を気遣っての事かと思いますが、その優しさににんまりです

コメント
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