半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

日本人は昔からずっと、畑をやっていたのだから

2013年08月30日 | 農的体験・生活
ここ数日、家族と一緒にずっと過ごしています。

夏休み納め?みたいな感じですね

今日は大栄のB&Gというプールに家族を連れて行き、いつものママさん家族と遊ばせている間、私は畑で草取りやら収穫をしていました

ニンジンは見事に発芽して、本葉も揃ってきました。今日は間引きをしました


ただ、最近はまた雨が降っていないので、このままだとまた春ニンジンの時と同じようになってしまいます
プロの人はみんな本葉が5枚ぐらいになるまでは水をまいていて、それに対して水が無い私の場合は、やっぱり生育が心配です


種を直播したものの、水不足で生育がかなり遅れたかぼちゃはようやく実がつき始め、お盆のときに1つ、今日は2つ収穫できました


島オクラは相変らず来るたびにでかくなっていますが、多少でかくても食べられるのが有難い
今日は10本ぐらい収穫、茹でてパクパク一気に食べました


落花生は葉は生い茂り、ずっと生育は良いまま秋を迎えました。


花が咲く頃、雨が振ったので大丈夫と思っていましたが、ためし堀したらそこそこ実がついていました。
今年はいけるね


7月は、ほとんど収穫がなかったナスも、8月のお盆あたりからドンドン収穫が出来ています


お隣の高柳さんのゴマの畑は、ほとんど花が無くなり、あとは実が登熟するのを待つだけです。



畑というのは、1日として同じことがありません。
その年、その月、その日、そしてその時、刻々と変わります。

江戸時代から、武士でさえ家の庭でちょこっとした畑をやっていました。
戦前戦後でも日本人の70%は何かしらの食べ物を育てていたといいます。

食べ物を自分で全く作らず、農業を産業として位置づけ、食べ物を他人に作ってもらう生き方になったのは、たったこの数十年です。
アメリカのまねをし、畑や土から離れた生活が当たり前になったこの数十年。

私も生まれてから数年前まで、それが当たり前でした。

5年畑をやり続け、ようやくわかります。

人は畑をやって、自分で食べ物をつくって、そこで本当の安心感が生まれると。
そして嬉しさや自然の恵みやつながりを感じられると。

第一次産業とよばれるものに、ほとんどの日本人が何かしらの形で携わっていた、それが当たり前だった生活が変わったのは、ほんのこの数十年です。

そして、その数十年を生きてきて定年退職を迎えた団塊世代は、こぞって家庭菜園などにはまっています。
やっぱり土が、緑が、菜園が良い、と誰に言われるでもなく、直感として、体験してしまうとわかってしまうんですね。

大地や海や森などに関わることは、そういった島国で生きてきた私達日本人の根本からは切り離せない。

そこを無理に切り離しても、結局戻ってきてしまう。

これから人口が減り、経済力も落ち、一部のグローバル企業(世界で勝負する企業)だけが国から支援を受け、それ以外は切り落とされていきます。そういった時代は、経済から生き方優先になる人が膨大に増える時代です。そういった時代に既に突入しています。

アメリカのスタイルが当たり前だった時代をいったん見直し、経済力が落ちたからこそライフスタイルや社会システムを見直しているヨーロッパ諸国や、かつてのライフスタイルが残っているアジア諸国の田舎、そして日本の地方から「生き方」を学びなおす時代なんですね。

そのために、まず1人1人がベランダ菜園でもいいので、何か作ってみること、ですよね。
コメント
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