民俗学って、やっぱり面白いですよね~
昔の日本人が何を見、何を聞き、何を体験し、どういう生活を送り、どういう思いや感情で生きてきたのか。
それを知ると現代人の生き方に一つの示唆があるわけです。
以前も書いたかも知れませんが、民俗学者の宮本常一さんの話をテレビで観て、「そうだったのか」と納得。
お父さん、お母さんは働きに働いていたので、おじいちゃんが面倒を見てくれたそうです。
朝4時に起きて一仕事をし、朝ご飯といってもおかゆをたべ、また昼まで働き、暑い日は3時まで昼寝をし、また夕暮れ遅くまで働く。そんなお爺ちゃんと一緒に田畑を歩き、寝る時は同じ布団で昔話を聞いて育てられた。
そういった背景があるんだな~と。
全国を訪ね歩いて昔の人の話を聞き集めた宮本常一さん。
色々ある中で、宮本常一さん著「忘れられた日本人」に出てくる、田所村の古老のお話、これがまた良い
貧しい農家のために信用組合を作ったり、牛の競り市を作ったりと、役人を退職した後には晴耕雨読の生活。訪ねてくる人には惜しみなく自分のやってきたことを伝え、膨大な資料を残したともいいます。
そんな古老の言葉良いんです
自然の美に親しみつつ
自分の土地を耕しつつ
国民の大切の食料を作ってやる
こんな面白く愉快な仕事が
他に何があるか
面白いですね~。良いですよね~
今の私たち近代人が、農村を求めるのも、こういった生活にあこがれを抱くからなんでしょうね~。
あと、この前の「新・プロジェクトX」で薬師寺の東棟の再建をした宮大工のお話も良かったです。
最後の棟梁と言われた西岡棟梁の弟子の石井さん。東棟の再建中に、奥さんがガンである事がわかり
「自分にはどうしようもないこと。1000年以上前、疫病が災害で今のように科学的に原因がわからなかったわけで、その中で自分の家族が知り合いが次々と亡くなっていく。もう願うしかない。そういう気持ちで棟を建てたんだということがわかった。自分はどうなろうと構わない。だから助けてほしい、という願いなんだ」
というような事を言っていました。
ちなみに、石井さんの奥さんは「私は思い残すことは何もない。ただあなたを一人残していく事だけが気がかり」と言って他界され、死後、写経で念願をしている事がわかった。これに対して石井さんは「妻の願いはわかっているんです。ただ棟が完成する事だけでなく、自分の事を心配していから」という人間関係。
昔の伝統の中に生きている人は、未だ日本の昔の日本人の「心」が残っているんでしょうね~
野良仕事をやっていると、昔の人の生活が少しわかります。というか、農村の農家さんとつきあっていると、本当に日々泥だらけになって朝から晩まで働き、「働き切った」という感じで1日が終わるのです。
そして、子供が育ち自分の責任を果たし終わった後は、「いつ死んでも良い」という人もいます。
現代は娯楽が多いですが、日々、肉体労働をするのはそれはなかなか厳しい生活です。それも務めと決め、お天道様に合わせながら「仕事だから」という事で毎日、毎年、繰り返していく。仕事と生活がイコールの生業を持つ生き方というのは、会社員とはまるで違う生き方です。
戦前戦後までは7割が何かしらの自営業、何かしらの畑をやっていたといいます。そういった生活が当たり前だった時代の人の心というのは、当然、お天道様や天候、作物の実りといった「自分ではコントール出来ない存在」に寄り添って生きていくわけです。そこには当然祈りや願い、あるいは感謝が日常の生活から生まれてくるのでしょう。
そして「有難いな~」と思える心が育ちやすいのでしょうね。
この「有難い」という心こそ、「日本人の心」なんでしょうね~