駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

カズオイシグロのフィギュア

2017年12月11日 | 人物、男

 

 フィギュアは主に視覚的な姿形のことで使われているようだが、私は声音、話し方、動きを含めたその人の全体的な印象を意味しているように思う。

 先日、国際報道でカズオイシグロのインタビューを見た。人種的には日本人でどちらかと言えば東洋的な顔立ちなのだが、歩き方話し方は英国人だった。そして、何か際立ったものを持っている人という印象を受けた。インタビューの内容は殆どの日本人の作家は口にしないだろう人類の直面する問題と文学の意味と力を語る直截高邁なものだった。

 カズオイシグロの作品は「日の名残り」の映画を見、「忘れらた巨人」を英語で二十ページばかり読んだだけで、全く語る資格はないのだが、文学と呼ぶに相応しい作品という感触が残っている。世の中というか人間の世界には文学でしか表現できない伝えられないものがあるということがわかる年になったが、分かる年になると努力して作品を読む根気が失われてしまう。忘れられた巨人の続きを読むことは難しそうだ。

 知識は断片でしかないが、カズオイシグロのフィギュアに触れて何某か力づけられる清々しいものを得た。数多ある物事や人物をひとつひとつ知悉することは不可能だけれども、その人のフィギュアに触れることで十分なことがわかることもある。

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