何度も聞かされた「全力」で救助、一体「全力」で何をしていたのだろうか?。身代金を用意するつもりはなく、イスラム国と交渉することも念頭になかったのだ。ヨルダン政府はイスラム国は信用できないからと、人質交換に応ずる意思はなかったと報じられている。
「全力」で政府が努力をしているのだから余計なことを言うなと封じ込めに出現した人達はこの報道をどう考えているのだろう。
安陪首相のイスラエルでの演説と無関係というのは牽強付会、身代金の額を見れば利用されたのは明らか、迂闊のそしりは免れない。
政府はテロ対策の強化を図るとのことだが、何をしようというのだろうか?。テロの予防とテロの標的にならないようにすることが第一だと思う。それには平和な国であり続け、静かに平和を世界に送り出すことだと思う。邦人救出を大義名分として自衛隊を海外に派遣すれば火に油を注ぐことになる恐れがある。
平和には代価が必要、血が流れることもやむを得ないと考えているなら、そのように発言して説明するのが政治責任でしょう。積極的に平和を行き渡らせようとするのは良いことかもしれない。しかし、積極的平和主義はどうもそれとは違うようで危惧している。
怒り報復を誓う前に、後藤さんの生きてきた道を丁寧に辿り、遺志を引き継ぐ道を見い出すことが先ず成すべき事のように思う。
内容を詳らかにせず、その場の空気を読んで感情に訴える言葉で、巧みに己の主張をかいくぐらせてゆくのは、優れたあるいは頼もしい政治家なのかもしれない。であるとすれば誰にとってかを問うことを忘れてはならないだろう。
安倍総理は本音を明確に表現しませんから、取り巻きが立ち回り、却って周辺国も気を許さないのだと思います。
後藤氏の死は安倍総理には折りこみ済み 逆に筋書通リでは無かったかと私は思います。