秋の歴史旅の最終回です。本当は柏崎に向かう途中に、魚沼市の西福寺と永林寺の両方に寄り、雲蝶の彫刻を見学するつもりでいました。西福寺開山堂の天井の大彫刻に圧倒され、永林寺に寄る時間がなくなりました。
永林寺に行ってから気付いたのですが、永林寺は越後騒動で改易になった高田藩主松平光長公と、父の忠直公の位牌が安置されていました。堀之内は高田藩の飛地(飛んでいるかは定かでない)で、藩主光長の霊を供養したいと、作州津山藩松平(越前)家に申し入れたところ、父の忠直と一緒ならと許可し葵の紋章の使用を許したのだそうです。
津山の松平越前家は、徳川秀忠の兄結城秀康の家系で、秀康の長男が忠直(正室は将軍秀忠の娘勝姫)、そしてその長男が光長となります。光長の跡取りで改易になりましたが、由緒正しきにより津山藩として名跡を継ぐことができました。
永林寺の雲蝶の彫刻は、本堂の欄間の透かし彫りが中心になっていました。13年余りも寺に滞在し、彫刻、絵画など百余点が残されているそうです。天女の欄間も多く、雲蝶好みの美女なのだとのことです。
庭に雲蝶の手形石があり、手を合わせてみましたら、一関節小さいことには驚きました。偉大な彫刻は、小さな手から生まれたことになります。蛇蛙蚊。 (魚沼市)
永林寺に行ってから気付いたのですが、永林寺は越後騒動で改易になった高田藩主松平光長公と、父の忠直公の位牌が安置されていました。堀之内は高田藩の飛地(飛んでいるかは定かでない)で、藩主光長の霊を供養したいと、作州津山藩松平(越前)家に申し入れたところ、父の忠直と一緒ならと許可し葵の紋章の使用を許したのだそうです。
津山の松平越前家は、徳川秀忠の兄結城秀康の家系で、秀康の長男が忠直(正室は将軍秀忠の娘勝姫)、そしてその長男が光長となります。光長の跡取りで改易になりましたが、由緒正しきにより津山藩として名跡を継ぐことができました。
永林寺の雲蝶の彫刻は、本堂の欄間の透かし彫りが中心になっていました。13年余りも寺に滞在し、彫刻、絵画など百余点が残されているそうです。天女の欄間も多く、雲蝶好みの美女なのだとのことです。
庭に雲蝶の手形石があり、手を合わせてみましたら、一関節小さいことには驚きました。偉大な彫刻は、小さな手から生まれたことになります。蛇蛙蚊。 (魚沼市)