高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

春の放浪記(その7)小貫

2011-05-26 09:02:59 | 歴史
いよいよ寅太が何者か、明かされる日になりました。
八十里越の先の会津領只見で、河井継之助は長岡から担架に付き添ってきた、一人の男を枕元に呼びました。「寅や、俺が死ねば武士の世は終わる。おみしゃんは商人になって世界をまわりゃい」と遺言しました。
寅の名は外山寅太、すなわち継之助の志を受け継ぎ、関西の財界人になる外山脩造です。脩造は阪神電鉄、アサヒビール、大阪ガスななど数多くの企業を立ち上げました。阪神タイガースも寅からきているとの説もあります。「小貫」と書いて「こつなぎ」が彼のふるさとなのです。
長岡から山を越えたこともあり、羽黒神社の周りにも山野草が多く見られました。


(羽黒神社のエンレイソウ(延齢草)の群生)

 
 (シャガ(射干)             (サワハコベ(沢繁縷))

 
ヒロハテンナンショウ(広葉天南星))(コシノチャルメルソウ(越の哨吶草)

 
(外山家の庭園のツバキ)

小貫は平成の大合併で、栃尾市から長岡市に入りました。上杉謙信公が旗揚げした栃尾城に近く、外山家は苗字帯刀を許された割元庄屋(庄屋を束ねる庄屋)でした。裏山には羽黒神社と瑞雲寺があります。羽黒神社は源義経の勇者として知られる佐藤継信・忠信兄弟の母が、福島からこの地に子供の消息を訪ねてきて建立したと伝わります。
また瑞雲寺には牧野家累代の位牌や、牧野家の雛人形が保管され、冬の長岡の風物詩になりつつある「越後長岡ひなものがたり」では、市民が最も関心がありますお雛さまとして、展示を待ち遠しく思っているんです。
近年、外山脩造が再評価され、その人物の格の違いに、寅太は「ダメ寅」か「寅吉(トラキチ)」へ改名も考えています。そういえば、今年のタイガースはダメ虎かと思われるくらいに低迷しています。もう一度タイガースの黄金時代をつくり、阪神甲子園球場に外山脩造の銅像を再建したいものです。
次回は小貫で見たサワハコベ(沢繁縷)で放浪記は中休みします。


(旧栃尾市に入ると謙信公愛用の兜の前立てが橋の欄干に)

 
(いよいよ歴史の栃尾の里)      (外山家庭園と外山脩造)

 
(外山家庭園)

 
(外山家の茶室外観と庭園の説明)

 
(羽黒神社入口)        (羽黒神社の歴史)

  
(源平の歴史を持つ羽黒神社)    (外山脩造の顕彰碑)

 
(羽黒神社の苔むした石仏群と社内のおなじみ川中島の戦いの奉納絵)

 
(神仏分離までは羽黒神社と一体だった瑞雲寺)

(長岡市)
コメント (4)
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