高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

世田谷ボロ市(その3)

2009-01-19 00:12:01 | 四季

世田谷ボロ市の会場は東急世田谷線上町駅が近いが、この一帯には豪徳寺、世田谷城、松蔭神社などがあり、ボロ市の会場から十分歩ける距離にある。
この3ヶ所を3回にわたって綴ることにしょう。
先ずは幕末の大老井伊直弼をうんだ彦根藩の菩提寺豪徳寺である。
途中の民家のカンキン(金柑)が新春の光の中で輝いている。

井伊直弼の評価は今でも良くわからない。開国により日本の近代化を進めた明君にも見えるし、江戸時代の老中を中心とした話し合いの政治でなく、一人の大老による独裁を敷いて、多くの有能な人材を葬った暴君にも見える。

最近イベントでキャラクターを募集することが多いが、彦根市では彦根城築城400年と開国140年のキャラクターで「ひこにゃん」が有名である。
二代目藩主井伊直孝が鷹狩りの帰り、豪徳寺の前で寺夕立に見舞われた。この時、和尚が飼っていた猫が手招きし、寺で雨宿りをしていると、稲光と轟音で先ほど通っていた道に落雷した。豪徳寺は世田谷城主吉良氏の菩提寺の一つ
であるが、吉良氏が去った後は寂れていた。
命拾いした直孝は、寺の再建を約束し、これが縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となった。また良く見る福を呼ぶ招福猫児(まねきねこ)はこれがルーツとされる。
なお、豪徳寺は直孝の法号に因んで名付けられた。

井伊家の墓地はその広さに圧倒される。一般に知られる井伊家の藩主は井伊直弼であるが、井伊家では一人の当主でしかない。広い墓地には同じ形の墓(唐破風笠付位牌形)が建ち、表示がないとわからない。近くの吉田松陰を祀った松蔭神社から、一番遠いところに直弼の墓があった。

 
(石の門の参道入口と豪徳寺山門)

 
(仏殿とその後ろに位置する本堂)

 
(井伊家の守り神の招き猫)

 
(三重塔と鐘つき堂)

 
(彦根藩主井伊氏歴代の墓所と一番奥の井伊直弼の墓)

コメント (4)
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