秋生のEtude

音楽も映画も舞台も大好き!トキメキと感動を求めて、思い立ったらGO!
好き勝手気ままな雑多ブログへようこそ!!

『Q』 A Night At The Kabuki

2021年06月14日 21時51分08秒 | 舞台
WOWOWでだいぶ前に録画した、NODA・MAPの『Q』を観ました。

NODA・MAP第23回公演 『Q』 A Night At The Kabuki 2019・11・20収録 東京芸術劇場プレイハウスにて

松たか子 上川隆也 広瀬すず 志尊 淳 小松和重、羽野晶紀 橋本さとし 伊勢佳世 竹中直人 野田秀樹

クイーンの曲に乗せて、野田さんが創る不朽の名作「ロミオとジュリエット」。
まさかの30年後の瑯壬生(以下、ろうみおと明記)(上川さん)と愁里愛(以下、じゅりえと明記)(松たか子)は、生きながらえてはいるものの、世捨て人のじゅりえと囚われ人のろうみおとしてそこに在り、二人は記憶をたどり過去を振り返り、悲劇となる自分たちの人生を必死で変えようとして奔走する。
舞台は日本の歴史上一番わかりやすく敵対する、平家と源氏の置き換えられ、若き平家のろうみお(志尊くん)と、源氏のじゅりえ(すずちゃん)の恋から始まる。
じゅりえは従兄でもある源義仲(木曽義仲)(さとしさん)が父親代わりとなって育てられていて、ろうみおは平清盛(竹中直人)の息子という設定。
どちらの家の母親も羽野さんがすごいハイテンションで演じていて、時々どっちがどっちやら、わからなくなる
じゅりえの乳母は言わずと知れた野田さんご本人。(ひえ~~っすずちゃんとおんなじ髪型!!)
平家のクリスマスパーティーにもぐりこんだじゅりえに、ろうみおは一目ぼれ?その後のバルコニーらしき場面でも、セリフの言い回しはニュアンスが違えど、ちゃんとシェイクスピアで、“おお、野田さんが書くとこうなるのか”と。もちろん、野田さん特有の言葉遊びは今も健在。
「名を捨てリスト」「名を拾イズム」だとか・・・いかにも。なものから、ろうみおとじゅりえが愛の言葉を交わすシーンのやり取りとか。ああ、日本語ってなんて美しいんだろうというものも。
じゅりえ役のすずちゃんは、若さ全開の絶叫系&体当たり演技、ろうみお役の志尊くんは、とにかく身が軽く、ちょっとじゅりえに押され気味(?)な純な男の子という感じ。
友人(マーキューシオ?)を殺され、逆上したろうみおは義仲(ティボルト?)を刺してしまい、運命は変わらない。・・・いつも思うけど、ここで殺しちゃ絶対ダメなんだよ

結婚式のシーンとか、初夜のシーンの大きく波打つような布使いが美しかった。
キャスター付きのベッドが机になったり、船になったり、変幻自在。

ひばりの声を聴くまでのしばしの初夜を終え、二人は離れ離れになるが、まさかの二人の機転で死んだと見せかけて生き返る。表向きは和解した両家だが、それはあくまで表向き。
「なぜ運命を変えられなかったの?」と嘆くじゅりえに「変えることはできたわ。でも、もうひとつの運命に巻き込まれただけ・・・戦争。」と答えるまさかのじゅりえ。
ここで、1幕(=予告編)は終わり、2幕(=本編)は、大人の二人が主役に。(若い二人は〝面影”となる)

平家は栄華を極め、源氏は瀕死の状態に。が、清盛は倒れ、頼朝が帰ってきた源氏は盛り返して形勢逆転。
二人の記憶の中には、二人が出会った時に交わした約束が常にある。
じゅりえに「名を捨てて」と言われたろうみおと「私も家を捨てる」と誓ったじゅりえ。
その言葉通り、死んだものとされるろうみおは、志願兵として戦地へ。
同じく、意に沿わない結婚を強いられたじゅりえは、やはり尼寺へ。
戦火の中で、敵と対峙したろうみおは、敵を撃ち殺しリンチされそうになり、目が見えなくなる。
そして、野戦病院という名の尼寺へとやってきたじゅりえとの束の間の再会。
戦争は終わったのに・・・「戦争が終わった日に、戦争は終わらない。」という言葉を残して、ろうみおはさらに北の地のすべりのへ。すべりのとは、まさにロシアの極寒地シベリア。
そこではろくな食事も与えられず、強制労働を強いられるろうみおたち。一人、また一人、と仲間は死んでいき、迫りくる死と常に向き合う日々。
同じ舞台上の上部では、ぜいたくな源氏の食事風景が描かれ、頼朝の腹はどんどん膨れ上がり、面影のろうみおが「黒パンを。」「黒パンを。」と源氏に乞い続ける。

頼朝が死に恩赦のため、シベリアにも復員の船がやってくるが、名簿に名のないろうみおは、船に乗船できない。(ああ、ここでも名を捨てたばかりに・・・)代わりに「手紙を届ける」とろうみおに申し出る男(竹中直人)。
船に向かい「おーーーーーい。」「おーーーーーーーい。」と呼び続けるろうみおの胸に去来する若き日のじゅりえとの思い出。人生の中のたった5日間=432000秒。(こう表現する野田さんが好きだ)
せっかく生き残った二人なのに、運命は再会することを許さない。
そして、七里ガ浜の尼寺にいるじゅりえに手紙を届けにくる男がじゅりえに手渡した、ろうみおからの手紙は白紙で、検閲から逃れるために口頭で伝えると言った男は、最初はパーティに明け暮れ、手紙の内容を忘れてしまったというが・・・
実は「私はもはや貴女を愛していない・・・」と始まるその手紙は、最初こそドキリとしたけれど、読み進めれば進めるほど、余りにも哀しくて・・・
でも、それはまぎれもなく、ろうみおからじゅりえに宛てた愛の手紙でした。
真っ白な手紙を読み終えたじゅりえの安堵した表情。
そして、ろうみおへ真っ白い愛の返信を飛ばすじゅりえ。

クイーンの「LOVE OF MY LIFE」が流れるラスト。
抱きあう若いろうみおとじゅりえ。そして30年後のろうみおとじゅりえに静かに入れ替わり、二人が一瞬抱きあった後には、手紙を見つめるじゅりえと、その場で崩れ落ち、他の同胞たちと共にシベリアの地に投げ捨てられる死体となるろうみお。
ああ、野田さん、なんて容赦ないの。・・・でもこれが戦争の現実。美しい死なんてどこにもないのだ。
人生でたった5日間と432秒(野戦病院でのシーンね)しか会っていない二人の愛を思うと・・・なんだか涙が止まらない。


あの「ロミジュリ」の結末がシベリア抑留の話になるとは
野田さんって、やっぱりすごい。
1幕(予告編)は完全にシェイクスピア。聴き慣れたロミジュリのセリフも、ちゃんと駆使している。でも2幕は(本編)・・・。
・・・その前の『エッグ』の731部隊や、『逆鱗』の人間魚雷に続き、野田さんの中での「戦争」というのはまだまだ世の中に訴えたい事例が山ほどあるのだと、思い知ることになった。
名を捨てたろうみおは名もなき戦士として、戦争の果てにこの世の果てのようなシベリアに連行される。
何度も繰り返される「そして、手紙は届かなかった」のセリフ。どれほどその場所が日本から遠く、どれだけ秘密裏にされていたことか。
それは、時代という大きな流れに飲み込まれ、国のためという名義大分によって戦い死んでいった人たちの末路でもある。
私自身は、シベリア抑留といえば、劇団四季の『異国の丘』のイメージなのだけど、あれはまだベットの上で死んでいくシーンで終わるからなぁ。
それに比べると・・・上川ろうみおの最期、本当に容赦ない
真っ白な手紙を読むじゅりえ(松たか子)の凛とした明瞭な声がいい。
30年後のろうみお(上川さん)は、最初、ちょっと重厚すぎる?と思ったけど、その無骨な一途さと、目が見えなくなってからの虚ろな感じ、じゅりえの面影だけしか見ていないのが切なくて・・・
クイーンの楽曲は、それぞれに場面にリンクしていたと思うけど、なんといってもメインで流れる「LOVE OF MY LIFE」は、これほどまでに美しい曲だったのかと、再認識した。
なんだか、この先、この曲を聴いただけで、条件反射的に涙がでそう・・・


常々思っていたことだけど・・・ロミジュリって、出会ってから何日も経たないうちに、いろいろなことが起こって、二人はすぐに死んでしまうから、ある意味成り立つ話かもしれない、と思う。
二人はまだ幼く若すぎて、恋に恋してる感もあるし、好きになってはいけない敵同士という設定も恋を加速させていると思うし。
もしロミオが神父さまの手紙をちゃんと読んでいたら、二人は手に手を取って駆け落ちして、幸せに・・・は暮らしてはいない気がする。だって、二人ともぼんぼんとお嬢だもん。〝貧しくてもいい”ってジュリエットは歌うけど、たぶんどっちも生活能力がなくて、いずれ破局しそう(夢がなくてすみません
だけど、この舞台では30年後の死ぬまで二人は会うこともできない。しかも、他の人を好きになることなんて絶対ない状況下で・・・だからこそ思い続けられたのかもしれない。
悲しい結末だけど・・・これもまた純愛だったのだと。・・・納得できた感はあるなぁ。

古典の中の古典「ロミジュリ」をこういう風に料理してしまうなんで・・・
はぁ~~~やっぱり!!野田さん、恐るべし。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする