秋生のEtude

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『モーツァルト!』 2010 12/11(土) ソワレ 

2010年12月12日 18時38分11秒 | 『モーツァルト!』
この20日まで開催中で、どうしても見たかった「ゴッホ展」を見るため、先に六本木へ。
そのあと、軽めの食事を済ませて、地下鉄で日比谷へ。
最近、ずっと有楽町経由だったので、日比谷の駅から帝劇へ入るのはすごく久しぶりでした。
階段を1階分昇ったら、人だかりが
誰かの出待ちだわ、と思ったけど・・・あれ?『M!』で、マチネが終わって帰れるキャストって・・・アマデと男爵夫人と・・・ぎゃっ!!

この人しかいない・・・うわゎゎ~~育三郎くんだ~っ!?

まさかの主役に遭遇できるとは・・・
舞台を終えた新ヴォルフあら~こんなに背が高いんだ~きれいな茶髪~目が大きい~すごく丁寧に話すんだ~(よく聞こえないけど
う~ん、やっぱり輝いてるなぁさすがに“旬”の人だわ。

というわけで(どういうわけ?)、本日は井上ヴォルフの『M!』でした。


『モーツァルト!』 2010.12.11(土) 17:15開演  帝国劇場


ヴォルフガング・モーツァルト     井上芳雄
ヴァルトシュテッテン男爵夫人     涼風真世
アマデ                松田亜美



とまあ・・・まずは今回初のキャストの感想から(といっても、この人だけだった)
涼風男爵夫人
う~ん。歌声に説得力がありますねぇ。
ただ、女王様的な感じがやっぱり強いな・・「コロレド」と呼ぶ声が、ああこの人、大司教より全然偉いんだと納得。個人的には香寿さんの方が好みかなぁ

あとは、気になったキャスト
由美子ナンネール
やっぱり今回から演出が変わったんですね。そのせいかナンネールがヴォルフの人形を抱いて登場するシーンがえらく怖いものに見えた(だって、その人形に恨みをぶつけてるいんだもの)その姿を見てナンネールをかわいそうに思うレオポルドは、更に強く息子に厳しくなっていっちゃう感じがして・・・なんか家族の愛情の行き先がヴォルフを責めて追い詰める方向に変わっていってる気がしました。
レオポルドの死を告げに現れたナンネール、コンツェと歌がかぶって全部わからなかったけど・・・「あなたを許さない」とか歌ってた?
ラストシーンも、死んでるヴォルフより先にあの小箱の方に手を伸ばしてたし(以前はヴォルフに触れようとして、偶然その小箱に手が当たって気がついた、という感じだったのに)

hiroコンスタンツェ
すごくよくなってた!!と思います。(←なにさま発言
ナンネールがヴォルフの味方じゃなくなった分、ヴォルフの理解者ってこのコンツェだけになってしまった。
それでなくても“ありのままの自分”を愛してくれたのはコンツェだけなんだもの。悪夢にうなされるヴォルフを抱きしめて背中をさするコンツェは、もう母性の塊のようで。大きな井上ヴォルフを包み込むようなhiroコンツェ・・・いいなぁ。
・・・それなのにヴォルフのあの「出て行ってくれ!」の言い様
「ダンスはやめられない」が特によかった。過去のCD、ハイライト版を聴きましたが、ああ、hiroって歌がうまいわ~と
演技もよかった。ヴォルフの死のあと、頸動脈に手を当て死を確認したうえでお金を取っていく母親・セシリアと、ほぼ同じタイミングでドクトル・メスマーからお金を受け取って姿を消すコンツェ。・・・同じ血が流れているんだと思わせるちょっとぞっとする演出。ひぇ~~っ

吉野シカネーダー
本日の登場は「ワーターーガァー、ダレダーカーァー・・・」???
なんだかどんどんわけのわかんない人になってる?
盛り上げ方がハンパなくアップしていて、ノリノリでした。
井上くんとの並びは井上くんが大きいので、すごく同等に見えて(小さめのアッキーとのアンバランスな並びがちょっと懐かしかったりして
シカネーダー、やっぱり最高!!やっぱり華がある~
プラター公園での、スカーフステッキのマジック、あまりの手際の良さに


そして・・・会いたかった
井上ヴォルフ
初演は観ていないので、2005年、2007年に続いて3度目の井上ヴォルフ。
より細やかに、より掘り下げた演技に“深化”を観た3年前より、さらに“おおっ!”と思ったのは井上ヴォルフのはじけっぷり、やんちゃぶり、そして本当に身体中から放出されるエネルギーの強さ、しかもそれぞれの場面で見せる表情の豊かさにもう、驚嘆
なにより主役としての圧倒的な存在感!!
さすが“いぶし銀のヴォルフ?”・・・いいえ。フレッシュで若い育三郎ヴォルフに負けず劣らずの、ピカピカに輝く強烈なヴォルフでした。
いつもの繊細で美しい歌声に加えて、強く激しい想いがまるで身体の奥底から湧き出て、そして爆発するような感じ、というか・・・井上くんってこんなに雄々しかったっけ?と思うほど。
冒頭、ナンネールとの赤いコートのやり取りは、本当にやんちゃぶりがすごくて、なりは大きくても子供のまま?というヴォルフだったし、そんなヴォルフが「パパ」とレオポルドを呼ぶのも、反発してもどこかしら甘えたような感触が残るようで、♪僕だってパパを~と歌われるとなんだか涙がこみ上げてきて・・・
「星から降る金」の時の、パパにすがるような目が切なくて。
“憧れの精”は守ってくれる家族の存在を超えて、若いヴォルフに進むべき道を示唆している・・・
ママが死んで、それを現実のものと受け止めきれないような虚空なセリフ、そこから続く「残酷な人生」は荒々しく、初めて経験する親の死に戸惑い哀しみ、行き場のない自分への後悔を絶叫。
そうかと思えば、プラター公園でのあのはしゃぎぶり!!
いや~あの開脚がすごい!!どうやってもどるんだ?と私の方が焦ったりして
コンツェとのラブラブシーンは、やっぱり手慣れて(?)「乾杯?それとも・・・」のシーン、あえて(!?)コンツェの顎の下からキスしてくるその角度にドキドキ(←どこ確認してるんだ?)
自分の才能であるアマデに支配されていくような不安を、自身にひしひしと感じるヴォルフの恐怖が込められた「影を逃れて」。
とにかく、あらゆる場面で、井上ヴォルフの気迫あふれる姿に、身震いするような舞台でした。



そして作曲のためだけに“生きる”アマデのあの鬼気とした目が本当に怖い・・・

実は、劇場に入ってまず確認したのは“本日のアマデ”・・・やった!!またあの亜美ちゃんだ!!・・・というくらい気になる子役さんに。

亜美アマデ
本当にあの強い目がいい。
前回、セシリアとトーアヴァルトを部屋へ招き入れたのは?と思って背筋を寒くしたあの場面、やっぱり!!と確認してしまいました。・・・確かに二人が部屋にやってくると「さあ」というしぐさ
コンツェがヴォルフを好きになることは、ヴォルフが作曲に真剣にならないということなのか、ヴォルフがコンツェに気を取られることが気に入らない、もちろんヴォルフが遊んでいるのも許せない。

・・・実は、この舞台を観ていて初めて気づいたことが。
それは、息子への愛情を切々と歌うレオポルドは、今まで同じ親として共感する役だったのですが・・・ヴォルフの才能を誰よりも認め誰よりも信じていた、という点で・・・このアマデに近かったのではないか?
レオポルドの愛情は、その才能を守ろうとする愛でもあった・・・??
ヴォルフが、“皇帝陛下に自分の音楽を聴いてもらう”ことを最大の目的にしたのは皇帝が“国民の父”であり=それは、レオポルドに認めてほしかったからなんじゃないか??
パリに革命が起き、決起する民衆に混ざって、父を失くしたヴォルフは「父はいらない!!」と叫ぶ。
それは、父の愛情はどこかで自分を支配するものだ、と気づいてしまったからじゃないか?
アマデは、才能であり、その才能を愛して自分を束縛する父だった・・・

「魔笛」の成功によって賛美されるヴォルフの前に降りてくる“MOZART!”の幕を、自分より先に取ろうとするアマデ。・・・この成功は、自分のものだと言わんばかりの強い主張。
その幕を取り合い、自身に巻きつけるヴォルフに、レクイエムの依頼をした人物は「自分の力で書け」と言い残す・・・
これって・・・才能に頼らず=父の愛情に甘えず=大人になって、自分の力で書け、という意味なんじゃないの???
・・・ひゃ~~~っ、深い!!

今まで何度も観てきたのに、今更ながらそんなことを思ったら背筋がゾクゾクして、本当に鳥肌が立ちました

アマデに任せきりだった作曲を、ピアノに向かって本当に苦しみ抜きながら進める井上ヴォルフ。
人々が“モーツァルト!モーツァルト!」称え、賛美し、奇跡を求める歌声の中でアマデなしで苦しみぬくヴォルフ。
アマデに“心臓に刺せ”と羽根を渡して「おまえも死ぬ」とつぶやくヴォルフの心の中には何が残っていたんだろう・・・
あれほどにキラキラと輝きながら歌った「僕こそ音楽」のワンフレーズを寂しげに儚げに歌う井上ヴォルフが、キリキリと胸をしめつける・・・

う~~~~ん。
すごい。とにかくすごい。
井上ヴォルフ・・・迫力満点ものすごく考えさせられました。


コメント (4)
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