まったく予定になかったのです。
ちょっと別の用事で帝劇前を通りかかっただけなのに・・・
・・・これはきっと神様のお導き(ということにしておこう・・・)
2階の最後尾?に限りなく近い席です。うわーっ!全部見える。
しかも、偶然とはいえ、マチネのためのオペラだってしっかり持ってるし!!(汗)
家族には、夜までたっぷり食べれるくらい、カレーも作ってきたし!(大汗)
・・・と、とにかく自分にひたすら言い訳
『マリー・アントワネット』 2006.11.11(土)17:30開演
2度目の観劇です。
高~~いところから舞台のすべてを見下ろすようにして観たおかげでしょうか・・・前は???だったところが、種あかしをするように、少しだけ見えてきました。
ああ!!B席バンザイ!!(・・・でも、あいかわらず、ツッコミます&そして長いです)
冒頭、カリオストロのマントは裾が長くてベールのように床に散りばめられているのですね。この時点では謎の人。神秘的といえば神秘的。
ボーマルシェの説明で、それが希代の錬金術師・カリオストロその人と、紹介されます。
でも~そもそも錬金術師というのが・・・胡散くさい。なにもの!?
そして、このマント姿の大きな人は話の要所、要所で、ふらふらと姿を現しますが、う~ん、やっぱり“なぜ、ここに?”だったり“そんなとこで、何してんの?”だったり、“???”なのは前回同様。
ただ、・・・見慣れたのかしら?前よりは、そこにいても違和感がないというか、
それほど邪魔にならなくなったというか・・・(爆)
2幕最初の、かっと目を見開くところは、すごく長い間そうしてるのね。前はわからなかった。あ、あの~だいじょうぶなんでしょうか。ドライ・アイ・・・
あ、それから、あの~あの馬車(しかもあの小ささはないだろう)を止める旗振りは・・・何のつもりなのか・・・笑うな、といわれても笑っちゃうし、やめてほしいんですが。山口さん、あんなところでギャグらなくても・・・
それからなんだか先週より踊りが少なく感じたんですが。なぜに?・・・まさか筋肉痛とか・・・
とはいえ、さすがに山口さん!?ひとたび歌い出すとやっぱり存在感があります。でも、肝心のお歌が・・・あんまり印象に残ってないのは・・・ちょっと寂しいかな・・・
マルグリット、登場。♪どうだい~スミレだよぉ~
音のとり方がむずかしいはじまりだなぁ・・・
騙されボーマルシェを追いかけて、オルレアン公の舞踏会に紛れ込むマルグリット。
そんなに簡単に入れちゃうわけ?しかも、そんなに簡単に王妃に会えちゃうなんて「ありえない」(笑)
あ、そういえば、この「ありえない」・・・舞台の間に何回聞いたか。
・・・まあ「革命」というのが貴族たちには「ありえない」ことなんだろうけど。
今回「100万のキャンドル」を寝転がりながら歌っているのをはじめて知りました(前は前の人の頭でまったく見えなかった)つらそうだな~玲奈ちゃんって腹筋つよいんだなぁ・・・
アニエスとの「流れ星のかなた」はとてもきれいでした。
土居アニエス・・・すごく清純な美しい声です。でも、なぜか舞台の上での役の印象が、弱い気が。
耳に残っているのは「まちがってるわ!」・・・
マリーに侮辱されたマルグリット。それを追ってくるフェルセン。
ああ、低くて落ち着いたなんと渋いお声!!・・・紳士です。
井上フェルセン!!・・・やっと、正面からお会いできました(笑)
冷静です。高貴です。オトナです。
わがまま王妃との語らいの中で、あいかわらずのマリーに「愛される王妃になってほしい」という思いが込められています。でも、そう言われれば言われるほど駄々っ子のようなマリー。
・・・でも、ああ、ちょっとだけわかったような。
マリーにとっては立派な王妃になる事なんてどうでもよかったんだわ。
ただただ、フェルセンに愛されたかっただけなんだわ、きっと。
「アメリカと私とどっちが大事なの!?」・・・あなたが大事だ、と言って欲しかったんだろうな~
その上、王妃としてのプライドがフェルセンに「行かないで」とは言えず「行ってはダメです。命令です。」なんて言わせてしまう。
「気球が行ってしまいました・・・」オトナのフェルセンからすれば、自分の気持ちを理解しないマリーに、軽い失望を感じたのでしょうね。
・・・でも、2幕。マリーは本物の王妃になっていきます。子どもを持ったことで母となり、守るべきものができたマリー。革命によってその王位を奪われそうになって、なおさら王妃であり続けようとするマリー。決死の覚悟の逃亡に失敗して、フェルセンに書いた手紙。
「ラブレターよ」・・・でもその内容は・・・
誰もが本当のラブレターであって欲しかった手紙。
その時、フェルセンは悲痛な、声にならない声を上げて嘆きますが・・・
本当はただ「あなたを愛しています」と書きたかったのはマリー自身だったんじゃないかと。
ラストで、すべてを失ってギロチンの前に立たされたマリーが、被っていた帽子をとって、そっと白髪を撫で付ける時、なぜか、私にはきらびやかなドレス姿より美しく見えました。
王妃として生きるしかなかったマリーの、最後の王妃たる姿。
・・・
フェルセンの思いはどんなだったのか・・・フェルセン自身のその真面目さが「立派な王妃」になって欲しいと願ったけれど、本当は愛するただのひとりの女性として、自分の前に存在していて欲しかったでしょうね。
でも、マリーは王妃として生き、王妃として死んでいくのです。
♪なぜ、あなたは王妃なのか・・・ああ、なんだか深いわぁ・・・ただのラブソングじゃなかったんだ・・・
ああ、しかしそれをきっちりと表現できるだけの井上くんの成長には脱帽です。
はっきり言ってしまえば、井上くんにこんなオトナのフェルセン?と最初、半信半疑でした。(だって涼風さんが結構、オトナだし)
でも・・・いい!!いいよ、井上くん!!
低く抑えた声、高貴な立ち振る舞い。真面目な紳士ぶり。宮廷服も見事に似合ってステキ~~っ!!(先週はなかった軍服姿もめちゃ、凛々しかった・・・)
子どもが見てるというのにあれほど激しくキスしちゃうのは、おいおいですが、まあ、若さと情熱と思いの強さゆえと、納得しましょう。
とにかく井上フェルセン、本物の貴公子です。きゃーっ!!
禅さんルイは、2幕に入って、ますます父性があふれて、本当にいい人なのがわかります。
皇太子ルイ・ジョセフの死に際し、「人の子の親はいないのかぁ・・・」心やさしいルイの、悲しい心の叫びがひしひしと伝わってきます。
ああ、こんなやさしい人が国王だった、というだけでギロチンにかけられなければならないなんて・・・
もちろん今回も「もしも鍛冶屋なら」ではうるうる
2度目という事で、わからなかった部分が少しは理解できた?かも。(笑)
でも、まだまだマルグリットの心の変化がよく理解できない・・・
う~~ん、やっぱりテーマも重いし、重厚な歴史をたったこれだけの時間で観せようというのはむずかしいな・・・
ただ、誰しもが何度も観劇できないし、『レミゼ』のように何度でも観たい!と思って観るのと、何回か観なければ理解できないというのは・・・ちがうよね。
それと、やっぱりあのラストの巨大なギロチンの残像が・・・怖いです。
別にきらびやかなセット好き、というわけではありません。それでも、カーテンコールはちょっとだけ仕切りなおした状態で、演じたすべての役者さんたちに拍手を送りたい、と思いました。
終わっての帰り道、なぜだかマリーとマルグリットの子守唄「流れ星のかなた」(これも、まだまだ追求の余地あり、よね)と「心の声」が耳についてきて・・・なのに最後の「自由」・・・まったく覚えてない
『MA』のテーマって・・・なんだったんだろう???
ちょっと別の用事で帝劇前を通りかかっただけなのに・・・
・・・これはきっと神様のお導き(ということにしておこう・・・)
2階の最後尾?に限りなく近い席です。うわーっ!全部見える。
しかも、偶然とはいえ、マチネのためのオペラだってしっかり持ってるし!!(汗)
家族には、夜までたっぷり食べれるくらい、カレーも作ってきたし!(大汗)
・・・と、とにかく自分にひたすら言い訳
『マリー・アントワネット』 2006.11.11(土)17:30開演
2度目の観劇です。
高~~いところから舞台のすべてを見下ろすようにして観たおかげでしょうか・・・前は???だったところが、種あかしをするように、少しだけ見えてきました。
ああ!!B席バンザイ!!(・・・でも、あいかわらず、ツッコミます&そして長いです)
冒頭、カリオストロのマントは裾が長くてベールのように床に散りばめられているのですね。この時点では謎の人。神秘的といえば神秘的。
ボーマルシェの説明で、それが希代の錬金術師・カリオストロその人と、紹介されます。
でも~そもそも錬金術師というのが・・・胡散くさい。なにもの!?
そして、このマント姿の大きな人は話の要所、要所で、ふらふらと姿を現しますが、う~ん、やっぱり“なぜ、ここに?”だったり“そんなとこで、何してんの?”だったり、“???”なのは前回同様。
ただ、・・・見慣れたのかしら?前よりは、そこにいても違和感がないというか、
それほど邪魔にならなくなったというか・・・(爆)
2幕最初の、かっと目を見開くところは、すごく長い間そうしてるのね。前はわからなかった。あ、あの~だいじょうぶなんでしょうか。ドライ・アイ・・・
あ、それから、あの~あの馬車(しかもあの小ささはないだろう)を止める旗振りは・・・何のつもりなのか・・・笑うな、といわれても笑っちゃうし、やめてほしいんですが。山口さん、あんなところでギャグらなくても・・・
それからなんだか先週より踊りが少なく感じたんですが。なぜに?・・・まさか筋肉痛とか・・・
とはいえ、さすがに山口さん!?ひとたび歌い出すとやっぱり存在感があります。でも、肝心のお歌が・・・あんまり印象に残ってないのは・・・ちょっと寂しいかな・・・
マルグリット、登場。♪どうだい~スミレだよぉ~
音のとり方がむずかしいはじまりだなぁ・・・
騙されボーマルシェを追いかけて、オルレアン公の舞踏会に紛れ込むマルグリット。
そんなに簡単に入れちゃうわけ?しかも、そんなに簡単に王妃に会えちゃうなんて「ありえない」(笑)
あ、そういえば、この「ありえない」・・・舞台の間に何回聞いたか。
・・・まあ「革命」というのが貴族たちには「ありえない」ことなんだろうけど。
今回「100万のキャンドル」を寝転がりながら歌っているのをはじめて知りました(前は前の人の頭でまったく見えなかった)つらそうだな~玲奈ちゃんって腹筋つよいんだなぁ・・・
アニエスとの「流れ星のかなた」はとてもきれいでした。
土居アニエス・・・すごく清純な美しい声です。でも、なぜか舞台の上での役の印象が、弱い気が。
耳に残っているのは「まちがってるわ!」・・・
マリーに侮辱されたマルグリット。それを追ってくるフェルセン。
ああ、低くて落ち着いたなんと渋いお声!!・・・紳士です。
井上フェルセン!!・・・やっと、正面からお会いできました(笑)
冷静です。高貴です。オトナです。
わがまま王妃との語らいの中で、あいかわらずのマリーに「愛される王妃になってほしい」という思いが込められています。でも、そう言われれば言われるほど駄々っ子のようなマリー。
・・・でも、ああ、ちょっとだけわかったような。
マリーにとっては立派な王妃になる事なんてどうでもよかったんだわ。
ただただ、フェルセンに愛されたかっただけなんだわ、きっと。
「アメリカと私とどっちが大事なの!?」・・・あなたが大事だ、と言って欲しかったんだろうな~
その上、王妃としてのプライドがフェルセンに「行かないで」とは言えず「行ってはダメです。命令です。」なんて言わせてしまう。
「気球が行ってしまいました・・・」オトナのフェルセンからすれば、自分の気持ちを理解しないマリーに、軽い失望を感じたのでしょうね。
・・・でも、2幕。マリーは本物の王妃になっていきます。子どもを持ったことで母となり、守るべきものができたマリー。革命によってその王位を奪われそうになって、なおさら王妃であり続けようとするマリー。決死の覚悟の逃亡に失敗して、フェルセンに書いた手紙。
「ラブレターよ」・・・でもその内容は・・・
誰もが本当のラブレターであって欲しかった手紙。
その時、フェルセンは悲痛な、声にならない声を上げて嘆きますが・・・
本当はただ「あなたを愛しています」と書きたかったのはマリー自身だったんじゃないかと。
ラストで、すべてを失ってギロチンの前に立たされたマリーが、被っていた帽子をとって、そっと白髪を撫で付ける時、なぜか、私にはきらびやかなドレス姿より美しく見えました。
王妃として生きるしかなかったマリーの、最後の王妃たる姿。
・・・
フェルセンの思いはどんなだったのか・・・フェルセン自身のその真面目さが「立派な王妃」になって欲しいと願ったけれど、本当は愛するただのひとりの女性として、自分の前に存在していて欲しかったでしょうね。
でも、マリーは王妃として生き、王妃として死んでいくのです。
♪なぜ、あなたは王妃なのか・・・ああ、なんだか深いわぁ・・・ただのラブソングじゃなかったんだ・・・
ああ、しかしそれをきっちりと表現できるだけの井上くんの成長には脱帽です。
はっきり言ってしまえば、井上くんにこんなオトナのフェルセン?と最初、半信半疑でした。(だって涼風さんが結構、オトナだし)
でも・・・いい!!いいよ、井上くん!!
低く抑えた声、高貴な立ち振る舞い。真面目な紳士ぶり。宮廷服も見事に似合ってステキ~~っ!!(先週はなかった軍服姿もめちゃ、凛々しかった・・・)
子どもが見てるというのにあれほど激しくキスしちゃうのは、おいおいですが、まあ、若さと情熱と思いの強さゆえと、納得しましょう。
とにかく井上フェルセン、本物の貴公子です。きゃーっ!!
禅さんルイは、2幕に入って、ますます父性があふれて、本当にいい人なのがわかります。
皇太子ルイ・ジョセフの死に際し、「人の子の親はいないのかぁ・・・」心やさしいルイの、悲しい心の叫びがひしひしと伝わってきます。
ああ、こんなやさしい人が国王だった、というだけでギロチンにかけられなければならないなんて・・・
もちろん今回も「もしも鍛冶屋なら」ではうるうる
2度目という事で、わからなかった部分が少しは理解できた?かも。(笑)
でも、まだまだマルグリットの心の変化がよく理解できない・・・
う~~ん、やっぱりテーマも重いし、重厚な歴史をたったこれだけの時間で観せようというのはむずかしいな・・・
ただ、誰しもが何度も観劇できないし、『レミゼ』のように何度でも観たい!と思って観るのと、何回か観なければ理解できないというのは・・・ちがうよね。
それと、やっぱりあのラストの巨大なギロチンの残像が・・・怖いです。
別にきらびやかなセット好き、というわけではありません。それでも、カーテンコールはちょっとだけ仕切りなおした状態で、演じたすべての役者さんたちに拍手を送りたい、と思いました。
終わっての帰り道、なぜだかマリーとマルグリットの子守唄「流れ星のかなた」(これも、まだまだ追求の余地あり、よね)と「心の声」が耳についてきて・・・なのに最後の「自由」・・・まったく覚えてない
『MA』のテーマって・・・なんだったんだろう???