右脳に障害が起きたときには、その気になってみていくと、ほんとにいろいろと理解しがたいことが起きてきます。
初島に行きました。熱海から25分の船旅です。かもめがえさをねだって付いてきました。
左脳が壊れたときに起きる失語症の場合は、「言葉が話せない」とか「理解できない」という後遺症の状態を理解しやすく、理解できれば「言葉を使う」ということは、こんなにも複雑ですばらしいことが脳の中で処理されているのかと感動することになります。
右脳の場合は、なかなかそうはいきません。
なぜなら、言葉を上手に使えると脳の機能には何も問題はないかのように私たちは受け取ってしまうからです。
ところで、上の写真の一番大きいかもめと、右の写真のアップのかもめは同じかもめでしょうか?それとも違うかもめ?
「そんなことわかるはずがない!」という声が聞こえてきそうですが、これがかもめではなくて「人の顔」だとしたらどうでしょうか?
「知らない人」でも「同じ人か違う人」ということはわかるでしょう。
と、言うことは老若男女や人種の区別はしたうえで、「知らない人」なら知らないという結論を導き出しているわけです。「知ってる人」なら「誰さん」と名前までわかるはずです。度忘れの場合は名前は出てきませんが。
当たり前ですね。
もうひとつ当たり前の話。
子供の運動会に行って、みんな同じ体操着を着ていても「あっ、あそこにいる」とわが子はすぐわかるでしょう。
そのとき、一人一人の身長・体重・顔の大小・色合い・鼻の高低・目の大小・口の形などなど子供たちの特徴を、全部デジタル情報(数字)で表現した上で、全員相互に比較して、身長・体重・顔の大小・色合い・鼻の高低・目の大小・口の形などなどが「私の子」だと一致するから「この子が私の子」と判断しているでしょうか?
つまり左脳ベースで判断しているでしょうか?
私たちはそんなことをしていません。
「顔」や「姿」そのものを見ただけで「私の子」とわかるのですよね。
このようなやり方で「顔を見分けている」のは右脳です。
右脳が壊れたときに「見えているのに、顔の判別ができなくなる」ことがとても稀ですが起こります。「相貌失認」といいます。
昔出会った右脳障害の方で、とても印象的だった方を紹介しましょう。
N大4年生の男性。バイクに乗っていて自動車に跳ね飛ばされたのです。
幸い体にマヒはなく、言葉の問題も起こりませんでした。
当然「軽い事故でよかった」とみんなで胸をなでおろしたのですが、回復期に入ると、とんでもないことが起きていることがわかりました。
「顔がわからない」のです。
看護婦さんの区別ができないのは、皆同じ服を着ているのですから少しはわかる気もします。でも毎日顔を会わせるたった一人の主治医がわからないのです。
よく観察してみると、新しく知り合った人の「顔を覚えられない」だけではないのです。「顔がわからない」のです。
お母さんがお見舞いに来ても、入室したときには誰が来たのかわかりません。
「今日はどう?」などと声をかけると、顔ではなくその声でお母さんだとすぐにわかります。
「お母さん。今日も来てくれてありがとう」と挨拶ができ、その後は全く普通の会話が続きます。
当時は、相貌失認の体系だった検査が無かったので、この患者さんに何が起きているのか手探りで検査を始めました。
いろいろな人物写真を用意しました。
・天皇陛下・総理大臣・聖徳太子・芸能人・スポーツ選手など。
全く説明ができないし、指示した人を選び出すこともできません。
・日本人と西欧人。区別不能
・老若男女。すべて区別不能
ただし、人の顔ということはわかるのです。
続いて、動物絵本(写真)を見ながら動物の区別が可能かどうか調べました。
キリンとゾウの区別ができません。
乗り物絵本(写真)でも同様に乗り物ということはわかりますが、区別は全くできません。
動物や乗り物に関してはイラストのほうが少しわかりやすいようでした。
丸や三角という単純図形はすべて区別も描写も可能です。
たまたま、大学4年生でしたから「顔がわからない」という後遺症を抱えて、どのような職業なら社会人として生きていけるのかと考えてみました。
結論はどんな職業だとしても「顔がわからない」のは決定的に生き難い状況につながるということでした。
考えてみれば、人は社会的な生物として多数の人の中で生活をする訳ですから、その人をその人として認識できることは基本的に必要な能力だといえます。同時にとても高次な脳機能ということでもあるはずです。その能力に欠けるということは、社会活動に支障をきたして当たり前なのですね。
(リッチテキストに変換できなくなりましたので中止します。以下は付録です)
左はマンサク、右はミズキ。花の形を理解したり記憶したりするのは右脳ベース。名前を覚えるのは左脳ベース。
いずれにしても、この花を見たときに、名前はわからなくとも花の違いさえわかれば上記のケースのような相貌失認はおきていないということになります。