「痴呆を生きるということ」小澤勲著を久しぶりに読み返しました。
著者は、精神科のお医者様です。長く認知症の高齢者のケアに関わられた方です。
再読して、この本に流れる素晴らしい暖かさを、人を大切に慈しむ心をまた受け取りました。人(認知症と言わず、自分以外の人全て)に寄り添うと言う事はこんな事だと思いを深くしたのです。
ただ、一読した後にどこか割り切れなさが残りました。
不思議なほどに重度化した方だけが小澤先生の寄り添う対象になっています。
いや、不思議でもなんでもないのです。
先生が、認知症の専門家になられればなられるほど、先生の周りには大ボケの方が集まる事になるからです。
この「人」に対する理解を、ボケが重度になって顕在化する前にこそ発揮していただきたかった...
エイジングライフ研究所では、「認知症を症状から見るのではありません」と言う事を強調します。
症状というか私たちの行動は、全て脳の働きの結果なのです。
症状を見る前に、その人の脳の働き方を理解しましょう。
「認知症の早期発見には脳機能検査が不可欠です」
小澤先生の御本で全く説明されなかった小ボケの方々には、特徴的な症状があるのですが、それはただ何となく見ているだけでは加齢現象との差がはっきりしません。(マニュアルB第2章参照してください)
でも、脳機能を計ってみると、老化現象では説明できない前頭葉機能の顕著な低下が確認されるのです。
その客観的な指標を持って、私たちは生活改善指導をするのですね。
その指導をする時にこそ、この先生の持っていらっしゃる、やさしさをベースにした理解方法とか寄り添い方とかを発揮する事が出来たら、ボケの人もより幸せを実感できるはずなのにと、悔しい思いを感じながら読ませていただきました。脳機能というアプローチが見事にありませんでした。
でも、私たちが使いこなせたら、素晴らしい成果を生み出せそうな手技のヒントがたくさんありました。
高齢者がナイナイ尽くしの生活に入ったら、先ず前頭葉から老化が加速されていきます(小ボケ)。その時に起きてくる症状は、前頭葉の機能障害に相当するものです。
その後、脳の後半領域の機能が、左脳が一足早くその後右脳も能力低下が加速していきます(中ボケ)。この後半のレベルから小澤先生は説かれています。
さらに、後半の認知機能がどんどん衰退していった状態を私たちは大ボケと呼びますが、先生は更に植物状態近くまでを想定されてそれが痴呆末期とされています。
最近の保健師さんの質問を見ると、ほとんどが小ボケです。
そして、中ボケの方々に対して、「残念ながら、私の対象ではありません」といえる保健師さんが増えている事も事実です。
この保健師さんたちは冷たいのでしょうか?
私たちは、忘れないようにしましょうね。
目の前にいるこのボケてしまっている高齢者の方の、5年前は?10年前は?
必ずその人らしく生き生きと社会生活をこなしていらっしゃった時があるのですよ。出来るだけ早く、脳の老化が正常範囲であるかどうかチェックしてあげようと思ってください。
その人らしく人生が完走できるように、脳の健康に注意をした生活が出来るように指導をしてあげてください。
小ボケの人が対象であっても、指導時の気持ちの持ちようについて、小澤先生のご指摘は心に響き、頭が下がりました。
この本は2003年に発行されたのですが、終章で肺がんの告知を受けられた事を淡々と語られています。そして去年亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。