何だか、幼き頃に夕焼け空の下で友達と指切りげんまんしながら、「明日も友達でいようね!」と“契りを交わし”今日の別れを惜しんだ光景を思い起こすような表題のセリフだ。
表題の言葉を某男性が私に言ってくれたのは、先週末にいつも通っているスポーツジムへ行った時の事である。
ここのところ急に春の陽気が訪れ野外でランニング練習をする機会が増えていること、それに我が持病である「腰痛」が寝返りを打っても下を向いても痛む程に激しくなったこともあり、しばらくジム通いを控えていたのだが…
さて久しぶりにジムへ行くと、いつも私を掴まえては話しかけて来るお爺ちゃんが一目散に私に近づいて来て、「随分と来なかったけど、どうしたの??」と心配して下さる。
「腰が痛くて、しばらく運動を自粛していたのよ。」と私が応えると、「大丈夫か? あまり無理をしないように運動したようがいいよ。」と労わってくれる。 「今日はゆっくりめにランニングして、筋トレも無理のない範囲でします」と私が返すと、「その方がいいよ。」と優しい。
この“お爺ちゃん”も私も当該ジム通い年数は長く、ずっと以前よりお互いにその存在を認識していたと私は理解している。 とにかく明るくフレンドリーで、誰彼問わず気さくに声を掛けるキャラの人物だ。
その“お爺ちゃん”が私に一番最初に声を掛けて来たのは、今から1年半程前の事だっただろうか、私がトレーニング走路にてランニング練習を終えた直後に床に倒れ込んだ後、起き上がった時だ。
「大丈夫か?」とお爺ちゃん。 「大丈夫です。いつも全力で走るので5キロ走り終えた後はしばらく床に倒れ込む程に疲労困憊しています。」と私が応えると、「オリンピックに出る訳じゃあるまいし、そんなに頑張らなくともいいんじゃないの?」 それに今一度私が応えて「それでは達成感が得られないのです。たとえド素人ランナーのヘボ練習であれ、全力勝負しない事には自分の気が済まないのです!」等々と本気の多言を吐くと、お爺ちゃんはその話に乗って来たようだ。
その後、ジムにてのお互いのトレーニングメニュー等々を話し合いすぐに意気投合した。
このお爺ちゃんこそ素晴らしくて、現在78歳であられるらしいが、ずっと以前より登山やロッククライミングの趣味をお持ちだそうだ。 そのためジムでは筋トレを欠かさず、腹筋1日100回、懸垂同じく数十回等々の筋トレメニューをいつもこなしておられるようだ。
そのせいか筋骨隆々で背筋もまっすぐならば、闊達な話しぶりは私も負けそうである。
久しぶりに会った先週末、お爺ちゃんがちょっぴり寂しそうに私に訴える。
「近頃の人間は、会話をしなくなってしまったなあ。 こちらが話しかけても、直ぐに会話が終わってしまう。 どうも若い世代もそのようだ。 何だか寂しいよ。 僕はパソコンがこれ程までに普及してしまったのがその一番の原因だと思うのだけど。」
私がすぐさま応えて、「まったくその通りですよ! 老若男女問わずいずれの世代でも同じ現象がありますね。 まさにパソコンのせいでもあるし、私は個人情報保護法が法制化されたことも大きな要因と考えています。 今の時代は個人情報保護が過度に叫ばれて、相手にそれを尋ねる事も遠慮せねばならないし、こちらがプライバシーを語る事も許されなくなってしまいました。 これじゃあ、話題が自ずと表面化するばかりで、人と人が知り合って仲良くなれる訳もないですよねえ。」
お爺ちゃん応えて、「僕など、人と話したいのも目的でいろんな場所へ行くんだけど、本当に友達が得られにくい時代になってしまった。」 「まったくその通りと私も実感します。」
その後、お互いの筋トレが終了する頃、またお爺ちゃんは私の所へやって来た。
「もう帰るけど、僕は家へ帰っても夜が長いのが嫌になる」 これに応えて、「私は夜お酒を飲むので時間が過ぎるのは早いですよ~~」と言いつつお爺ちゃんがお酒を飲めない人だったと思い出し、悪い事を言ったと自己反省…
そうしたところお爺ちゃんが「女房が今いなくてね」と寂しそうに言うので、「どちらかへ行かれているのですか?」と私が尋ねると、「姨捨山へ行っちゃってね…」 爆笑しながら応えて、「姨捨山は自分で行くところじゃないですよ。 あっ、もしかしたら入院されたのですか??」 これが大正解だったようだ。
参考だが、お爺ちゃんご夫妻には子供さんが生まれなかったとの事だ。 それに伴い必然的にお孫さんもいない。 その話も随分前に聞いている。 だからこそご自身より若い世代と会話を持ち楽しむ事を欲し、それを普段から実行せんと努力されている様子だ。
そんなお爺ちゃんが、やっと長話が通じる相手の一人の位置付けであろう私をジムで見つけた、との成り行きなのだろう。
お爺ちゃんが帰り際に繰り返す。
「もう腰の痛みは大丈夫そうだね。 来週以降も来れるね。 また話そうね。 ここに来たらいつでも友達だよ。」
満面の笑みで私も応えた。
「そうですね。 ここではいつも友達ですね!」
「友達」という言葉の輝きに、何十年かぶりに触れた気がした。
表題の言葉を某男性が私に言ってくれたのは、先週末にいつも通っているスポーツジムへ行った時の事である。
ここのところ急に春の陽気が訪れ野外でランニング練習をする機会が増えていること、それに我が持病である「腰痛」が寝返りを打っても下を向いても痛む程に激しくなったこともあり、しばらくジム通いを控えていたのだが…
さて久しぶりにジムへ行くと、いつも私を掴まえては話しかけて来るお爺ちゃんが一目散に私に近づいて来て、「随分と来なかったけど、どうしたの??」と心配して下さる。
「腰が痛くて、しばらく運動を自粛していたのよ。」と私が応えると、「大丈夫か? あまり無理をしないように運動したようがいいよ。」と労わってくれる。 「今日はゆっくりめにランニングして、筋トレも無理のない範囲でします」と私が返すと、「その方がいいよ。」と優しい。
この“お爺ちゃん”も私も当該ジム通い年数は長く、ずっと以前よりお互いにその存在を認識していたと私は理解している。 とにかく明るくフレンドリーで、誰彼問わず気さくに声を掛けるキャラの人物だ。
その“お爺ちゃん”が私に一番最初に声を掛けて来たのは、今から1年半程前の事だっただろうか、私がトレーニング走路にてランニング練習を終えた直後に床に倒れ込んだ後、起き上がった時だ。
「大丈夫か?」とお爺ちゃん。 「大丈夫です。いつも全力で走るので5キロ走り終えた後はしばらく床に倒れ込む程に疲労困憊しています。」と私が応えると、「オリンピックに出る訳じゃあるまいし、そんなに頑張らなくともいいんじゃないの?」 それに今一度私が応えて「それでは達成感が得られないのです。たとえド素人ランナーのヘボ練習であれ、全力勝負しない事には自分の気が済まないのです!」等々と本気の多言を吐くと、お爺ちゃんはその話に乗って来たようだ。
その後、ジムにてのお互いのトレーニングメニュー等々を話し合いすぐに意気投合した。
このお爺ちゃんこそ素晴らしくて、現在78歳であられるらしいが、ずっと以前より登山やロッククライミングの趣味をお持ちだそうだ。 そのためジムでは筋トレを欠かさず、腹筋1日100回、懸垂同じく数十回等々の筋トレメニューをいつもこなしておられるようだ。
そのせいか筋骨隆々で背筋もまっすぐならば、闊達な話しぶりは私も負けそうである。
久しぶりに会った先週末、お爺ちゃんがちょっぴり寂しそうに私に訴える。
「近頃の人間は、会話をしなくなってしまったなあ。 こちらが話しかけても、直ぐに会話が終わってしまう。 どうも若い世代もそのようだ。 何だか寂しいよ。 僕はパソコンがこれ程までに普及してしまったのがその一番の原因だと思うのだけど。」
私がすぐさま応えて、「まったくその通りですよ! 老若男女問わずいずれの世代でも同じ現象がありますね。 まさにパソコンのせいでもあるし、私は個人情報保護法が法制化されたことも大きな要因と考えています。 今の時代は個人情報保護が過度に叫ばれて、相手にそれを尋ねる事も遠慮せねばならないし、こちらがプライバシーを語る事も許されなくなってしまいました。 これじゃあ、話題が自ずと表面化するばかりで、人と人が知り合って仲良くなれる訳もないですよねえ。」
お爺ちゃん応えて、「僕など、人と話したいのも目的でいろんな場所へ行くんだけど、本当に友達が得られにくい時代になってしまった。」 「まったくその通りと私も実感します。」
その後、お互いの筋トレが終了する頃、またお爺ちゃんは私の所へやって来た。
「もう帰るけど、僕は家へ帰っても夜が長いのが嫌になる」 これに応えて、「私は夜お酒を飲むので時間が過ぎるのは早いですよ~~」と言いつつお爺ちゃんがお酒を飲めない人だったと思い出し、悪い事を言ったと自己反省…
そうしたところお爺ちゃんが「女房が今いなくてね」と寂しそうに言うので、「どちらかへ行かれているのですか?」と私が尋ねると、「姨捨山へ行っちゃってね…」 爆笑しながら応えて、「姨捨山は自分で行くところじゃないですよ。 あっ、もしかしたら入院されたのですか??」 これが大正解だったようだ。
参考だが、お爺ちゃんご夫妻には子供さんが生まれなかったとの事だ。 それに伴い必然的にお孫さんもいない。 その話も随分前に聞いている。 だからこそご自身より若い世代と会話を持ち楽しむ事を欲し、それを普段から実行せんと努力されている様子だ。
そんなお爺ちゃんが、やっと長話が通じる相手の一人の位置付けであろう私をジムで見つけた、との成り行きなのだろう。
お爺ちゃんが帰り際に繰り返す。
「もう腰の痛みは大丈夫そうだね。 来週以降も来れるね。 また話そうね。 ここに来たらいつでも友達だよ。」
満面の笑みで私も応えた。
「そうですね。 ここではいつも友達ですね!」
「友達」という言葉の輝きに、何十年かぶりに触れた気がした。