(写真は、郷里の実母が暮らす高齢者有料介護施設最寄りのバス停。)
今回の旅の第一目的は、昨年11月に実母が入居した郷里の高齢者介護施設を訪れ、母の暮らしぶりを観察する事だった。
もちろん東京から郷里までは航空便やたまに新幹線に依存するが、郷里到着後の交通手段は今回に限らずいつも路線バスとタクシー、そして徒歩で移動するのが我が郷里旅の常だ。
何分、私自身は娘が中学生になった時点で車の運転を完全卒業した。 元々運転嫌いだった事が一番の理由だが、それに加えて交通弱者である徒歩生活を志向した事、そして老後に向けての体力作りにも徒歩こそが最善と結論付けた故だ。 我が徒歩生活も既に10年以上の年月が経過している。
2,3年前までは、実母が運転するギアチェンジ車に頼ることもあった。 施設入居直前まで近場であれば実母はマイカー運転で暮らしていたのだが、さすがに遠出は無理、視力の衰えもあり、施設入居と同時に自主的に運転免許証を警察庁へ返還手続きを取る事と相成った。
さて、3月2日航空便にて郷里の空港到着後はタクシーに頼り、母の施設へ直行した。
と言うのもバス便の場合乗り換えがあるし、その待ち時間のロスがとてつもなく大きいためだ。 (上記写真は母入居施設最寄りのバス停なのだが、バス便本数が少ない事実は写真の時刻表をご覧いただけるとお分かり頂けるだろう。)
施設へ到着し、玄関にて施設長氏とスタッフの皆様に日頃の御礼挨拶の後、実母の暮らしぶりに関して簡単な質問をした。
“何か問題を起こして迷惑を掛けていないか” が保証人である家族の身として一番の確認事項と心得る私はその旨尋ねたのだが、その回答とは「何も問題ございません。お母様はお部屋にいらっしゃいますのでどうぞお上がり下さい。」
同じく東京で義母の面倒も看ている立場の私としては、その回答が物足りない。 施設長はじめスタッフ皆様の“本音”こそをお聞きしたいものだが、それを根掘り葉掘り聞き出して多忙なスタッフの方々の時間を浪費する訳にも行かないだろう、と判断した。
そして、母の部屋へ到着。
ピンポーン、と呼び鈴を鳴らしたら母が出て来て、「あれ、来るのが1日早かったねえ」と言い出す。
3月2日に行くと電話にて3度繰り返し確認したにもかかわらず、母がすっかり勘違いしている事実に初っ端から直面させられる始末。 それでも、母にとって我々母娘の1日早い到着がよほど嬉しい様子だった事を尊重し、その間違いを正す事は辞めた。
この日は郷里到着が遅かった事もあり、「また日を改めて施設へ寄るから」と母に伝え、事前予約していた郷里中心部に位置するホテルへの帰路についた。
その際に撮影したのが、上記バス停の写真。
実母入居施設は郷里中心部より比較的近い場所にあるが、それでも、ご覧の通りバス便本数が至って少ないのが過疎地の特徴だ。
我々母娘がバス停でバスを待っている間、田舎道を通勤帰りの車が渋滞の中過ぎ去っていく風景が印象的だった。
思い起こせば、私自身も遠い過去には大学へはマイカー通学だったものだ。
公共交通網が発展し得ない過疎地に於いては、老若男女問わず皆が皆自家用車に頼り生活せざるを得ない実態を、再度思い知らされた。
今回の旅の第一目的は、昨年11月に実母が入居した郷里の高齢者介護施設を訪れ、母の暮らしぶりを観察する事だった。
もちろん東京から郷里までは航空便やたまに新幹線に依存するが、郷里到着後の交通手段は今回に限らずいつも路線バスとタクシー、そして徒歩で移動するのが我が郷里旅の常だ。
何分、私自身は娘が中学生になった時点で車の運転を完全卒業した。 元々運転嫌いだった事が一番の理由だが、それに加えて交通弱者である徒歩生活を志向した事、そして老後に向けての体力作りにも徒歩こそが最善と結論付けた故だ。 我が徒歩生活も既に10年以上の年月が経過している。
2,3年前までは、実母が運転するギアチェンジ車に頼ることもあった。 施設入居直前まで近場であれば実母はマイカー運転で暮らしていたのだが、さすがに遠出は無理、視力の衰えもあり、施設入居と同時に自主的に運転免許証を警察庁へ返還手続きを取る事と相成った。
さて、3月2日航空便にて郷里の空港到着後はタクシーに頼り、母の施設へ直行した。
と言うのもバス便の場合乗り換えがあるし、その待ち時間のロスがとてつもなく大きいためだ。 (上記写真は母入居施設最寄りのバス停なのだが、バス便本数が少ない事実は写真の時刻表をご覧いただけるとお分かり頂けるだろう。)
施設へ到着し、玄関にて施設長氏とスタッフの皆様に日頃の御礼挨拶の後、実母の暮らしぶりに関して簡単な質問をした。
“何か問題を起こして迷惑を掛けていないか” が保証人である家族の身として一番の確認事項と心得る私はその旨尋ねたのだが、その回答とは「何も問題ございません。お母様はお部屋にいらっしゃいますのでどうぞお上がり下さい。」
同じく東京で義母の面倒も看ている立場の私としては、その回答が物足りない。 施設長はじめスタッフ皆様の“本音”こそをお聞きしたいものだが、それを根掘り葉掘り聞き出して多忙なスタッフの方々の時間を浪費する訳にも行かないだろう、と判断した。
そして、母の部屋へ到着。
ピンポーン、と呼び鈴を鳴らしたら母が出て来て、「あれ、来るのが1日早かったねえ」と言い出す。
3月2日に行くと電話にて3度繰り返し確認したにもかかわらず、母がすっかり勘違いしている事実に初っ端から直面させられる始末。 それでも、母にとって我々母娘の1日早い到着がよほど嬉しい様子だった事を尊重し、その間違いを正す事は辞めた。
この日は郷里到着が遅かった事もあり、「また日を改めて施設へ寄るから」と母に伝え、事前予約していた郷里中心部に位置するホテルへの帰路についた。
その際に撮影したのが、上記バス停の写真。
実母入居施設は郷里中心部より比較的近い場所にあるが、それでも、ご覧の通りバス便本数が至って少ないのが過疎地の特徴だ。
我々母娘がバス停でバスを待っている間、田舎道を通勤帰りの車が渋滞の中過ぎ去っていく風景が印象的だった。
思い起こせば、私自身も遠い過去には大学へはマイカー通学だったものだ。
公共交通網が発展し得ない過疎地に於いては、老若男女問わず皆が皆自家用車に頼り生活せざるを得ない実態を、再度思い知らされた。