原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢殿方達よ、なぜ他人の子を叱ってくれない!?

2017年03月28日 | 人間関係
 巷の学校が春休みに入っている。


 先だって、いつも通っている自宅近くの公立体育館併設スポーツジムへ行った時の事だ。

 私のジムでのスケジュールとは、まず最初に軽くストレッチとダンスエクササイズをした後、体育館内上階部のトレーニング走路にて5㎞のランニング練習に入る。 その後、ジムへ戻りマシンを使用して筋トレに励むとの段取りだ。

 このトレーニング走路だが、一周が172mと短く、またその幅も1,5mに満たない程に狭い。 故に、複数の人間が同時にこの走路を走る場合、前の人を追い抜くのがやっとの状態だ。
 参考だが、体育館1階部分はバドミントンと卓球の球技場となっていて、それぞれが半分づつ使用している。

 学校が長期休暇に入ると同時に、いつも体育館内は子供達で賑わい始める。
 特に、親に連れられて(?)体育館1階の球技場にてバドミントンや卓球を楽しみに来る子供達が多い様子だ。 体育館は吹き抜けで上階の走路より、その風景が眺められる構造になっている。

 さて、そうなるといつも困惑するのが、1階から上階のランニング走路へ“遊びに”やって来る子供達が出没する事だ。
 いえ、子供達の皆が皆走路で遊ぶ訳ではなく、特に中高生の中には真面目にランニング練習をし始めたりする子もいる。
 一方で、特に小学生程の小さい子供達は、例えば私が走るのを「抜く」事が楽しみのようで、私が通り過ぎては全速力で走って抜き去っては喜び、また少し休んで抜き去っては皆で「やったー!」とばかりにはしゃいだりしている。
 これとて、同方向へ走ってくれるならばまだしも許容範囲だ。 中には狭い走路を全速力で逆走してくる子供がいるのだ。  特にコーナーでは、その姿が見えないため衝突との大きな危険を孕む。


 ある時、あまりにも危険なためランニング練習を中断し、逆走少女軍団をつかまえて説教したことがある。 
 「ここは“トレーニング走路”と言って、ランニングやウォーキングの練習をする人達がトレーニングをする場なの。 皆真剣にその練習に励んでいるのよ。 ここで貴方達に遊ばれては危険性があるし迷惑なのよ。 貴方達が本気でランニング練習をしたいのならば、決して逆走せずに真面目に練習しなさい。」云々…
 これに対し、3名中2名の少女は、私の“指導”にうなずきながら遊びを止めようとした。 ところが残り1名の少女の顔つきから、私は明らかな反発心を感じ取った。 そしてどうやら“反発少女”こそがリーダー格だった様子で、残り2名は私に申し訳なさそうな顔をしながらも、結局反発少女の意向に従い“遊び”を続行した。  やむを得ない。 私がランニング練習を中断せねば、怪我をさせてしまったりしたら大人の私の責任が問われる、と考え身を引いた。
 おそらく小学3,4年生位の年代の少女達だったが、教員経験がある私にして他人の子を𠮟ることの困難さを改めて実感させられた事件だった。

 この時、他の観点から残念に思った事がある。
 走路には複数の高齢男性達が、私同様にランニングやウォーキングに励んでいた。(このジムは公立体育館併設という事実によるのか利用者のほとんどが高齢者なのだが。)
 にもかかわらず誰一人として走路で遊ぶ少女達を叱る人がいないばかりか、私が少女達に説教している現場を見て見ぬふりを貫くのだ。 せめて少し応援でもしてくれたならば、私ももう少し強い態度で接する事ができたのに…  と、その高齢者男性達の“他人行儀ぶり”に失望させられたものだ。 そして、練習不能と判断したら(我関せず。)と言わんばかりにさっさと走路から去っていく姿にもがっかりさせられた。


 つい先だっても、同様の事件がトレーニング走路にて発生した。

 今回トレーニング走路にやって来たのは、中学生男女軍団と小学生男子軍団の2グループだ。 どうやらそれぞれがバドミントンと卓球を1階で楽しんでいる途中、それに飽きて(?)走路まで“遊び”に来た様子だ。
 今回の場合、悪質と私が判断したのは、決して走路にて走るではなく、それぞれのグループが走路の真ん中に陣取り、バドミントンの練習を始めたり、卓球の球を転がして遊び始めたことだ。
 これじゃあランニング練習など出来やしない。 よし、私が説教するか!、と思い始めた時、上記の事例が脳裏を過った。 (いや待て、今回の相手は中学生と男児だ。暴力を振るわれないとも限らない。 周囲には高齢男性が複数いるし、何も“か弱き女性”の私が説教役を受けて立たずとて、今回のように子供達の遊び方が悪質な場合は、さすがに高齢男性の誰かが叱ってくれるだろう。)
 ところがその期待も虚しく、誰一人として子供達を叱る高齢男性が現れない。 そして、子供達をよけながらランニングやウォーキング練習を続けているではないか! 

 何故その行動を高齢男性達が取るのか、私とて理解出来ないではない。 
 一番の理由とは、“事なかれ主義” によるものなのだろう。 誰しも、たかが自主的トレーニング中に他人の子供を叱るとの行動に出て、反動等の危険に晒されたくないのだろう。

 あるいは、もしかしたら「子供達にも走路で遊ぶ権利がある」と考える高齢者がいるのかもしれない。
 実は私の脳裏の片隅にもその考えが無くはない。 
 ただどう考察しても、その子供達の行為が危険に晒される確率が高いのは事実だ。 いくら高齢者が子ども達をよけて狭い走路を走ったり歩いたとしても、不意打ちが多い子供達の行動パターンを考慮すると、衝突事故の危険性は孕んでいる。 そうした場合、やはり大人が子供達を危険から守るためにも、説教なる働きかけは必要かと私は考えるのだが。


 古き良き時代には、ご近所に必ずや「雷親父」や「頑固親父」が存在して、悪さをする子供達を大声で一括していたものだ。
 それですべてが収まっていた時代は、もはやノスタルジーなのか?
 人間関係の希薄化が急激に進んだ今の時代、子供達を叱れない大人が世に量産されてしまっている。

 せめて、この世を長く生き抜かれ様々な経験を積んでおられる高齢者の殿方達にお願いしたい。
 もしも私のような“か弱き”女性が見知らぬ子供達を説教している場面に出くわしたなら、“我関せず”と無視をして通り過ぎずに、その成り行きを見守る程度の余裕を持って頂けないだろうか?

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