原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

路線バスとタクシーで行く郷里の旅 (高齢者介護施設編2)

2017年03月13日 | 医学・医療・介護
 (写真は、郷里旅行中に宿泊したホテルより撮影した郷里中心部交差点の風景。 駅前のメインストリートにしてご覧の通り交通量が少なく、人の姿がほとんど見当たらない。)


 今回の郷里旅の旅行記最終編では、旅の第一目的だった高齢者施設に話を戻そう。

 旅行の最終日は、再び実母が入居している高齢者有料介護施設を訪問した。

 郷里到着後の初日に訪問した際に、既に母が元気に暮らしている事実は把握していた。
 それでも、遠方に住む家族のためそう易々と幾度も訪れる訳にはいかないため、今回の貴重な訪問の機会に、施設長やケアマネ氏、それに可能ならば施設に住む高齢者氏達と積極的にコンタクトを取りたいと志していた。

 私の場合、東京の施設に入居している義母の保証人の立場で既に5年以上の年月に渡り施設とかかわって来ているため、その手法や感覚で実母の施設ともかかわりが持てるものと考えていた。


 ところが、「高齢者介護施設」と一言で言えども大きく勝手が違うものだ。

 そもそも、義母と実母双方が入居している高齢者施設の分類が異なる。

 義母が入居しているのは、一般的に「介護付有料高齢者施設」と呼ばれている施設である。 ここでは65歳以上の健常者から要介護5までのすべての介護ランクの入居者を受付け、その介護度合いに応じた介護を提供している。 そのため本人や家族が希望すれば終末期の「看取り」まで実施する故に、先だって実施されたケアマネ氏との今後半年間の介護計画の際に、義母の「看取り」に関する保証人からの要望の話合いが持たれたという訳だ。

 これに対して、実母が入居している施設は、一般的に「サービス付き高齢者向け住宅」と呼ばれている施設だ。 ここでは自立生活がほぼ可能な高齢者を受け入れ、基本的に本人の自立した生活をサポートする事に主眼が置かれている。
 ただし実母の施設の場合、大病院付属である事が功を奏して、介護のランクが進むとその病院グループ内の介護ランクに応じた施設へ優先転居出来るとのメリットがある。 (という事は、実母の介護ランクに応じて、家族には“引越作業”が課せられるとのデメリットもあるのだが…
 それでも、実母が言うには車椅子の90代の女性も当該施設で頑張っているとの事だ。 要するに一人で頑張る意思がありその生活が叶う高齢者は、いつまでも現在の施設へ留まれるとの意味のようだ。
 「ならば貴方(母の事)も、一生この施設で暮らせるといいね。」と私が言うと、「施設長さんはじめ、スタッフの皆さんがそう言って下さるので、私も出来る限りここで頑張りたい!」との意向で、とりあえず安心した。


 と言う訳で義母の施設とはまったく勝手が違う実母の施設では、基本的に施設長やスタッフの皆様と保証人である家族が話し合いを持つ機会は無い、とのことのようだ。
 それを承知の上で、「せっかく遥々東京から来たのだから、施設長さんと話合いを持ちたい」と私が言っても、母は「職員の皆さん多忙で迷惑だから、やめた方がいい」とのアドバイス。

 加えて、入居者の皆さんとも通路やエレベーター以外ではお目にかかれない。
 「食事時に、私が挨拶しようか?」と母に告げても、「誰もそんな事していないから遠慮して」との返答だ。 
 今時は地方の高齢者施設とて、そうなのだろう。 特に実母が入居している施設の場合は「住宅」の位置付けにあり、個室の面積も広く要するにマンションの一室の感覚だ。(都会に住む私としては実際その広さに驚かされる! 親子3人で悠々暮らせそうな広さだ。) 食事とて、たまたま施設が提供して下さるから食事処で頂いているだけの事であり、後の生活に於いては個々の自由度が高いのだ。
 母の意向を尊重して、スタッフ氏はじめ入居者の皆様とのコンタクトは、通路やエレベーター内にての挨拶以外は、敢えて避ける事とした。

 
 そんな中、当施設のケアマネジャー氏が、実母の部屋までご挨拶に来て下さった。
 昨年10月の施設への引越し手伝いの際に、施設長へ「ケアマネ氏とお話をしたい」と私が告げていたことを施設長氏が覚えていて下さったようだ。 当該ケアマネ氏は、母を含め入居者皆様の個室へ定期的に訪問し様子を伺って下さっているとの母の説明でもある。
 ご多忙の中、遠方から来た保証人の私に面談に時間を割いて来て下さったのみで十分だし、母も大いに喜んでいた。
 ケアマネ氏との会話内容は私が何を尋ねても、「お母様はお元気で何も問題はございません」に尽きる事実が物足りないものの、これで済ませるべきと判断した私は、日頃の御礼を申し上げるのみで留めた。 ただケアマネ氏の笑顔の程が素晴らしく、実際母はこのケアマネ氏の日頃のケアにより当該施設で元気に暮らせているとの実感を得たものだ。


 午後になると、実母の知り合いが尋ねて来て下さった。
 母の旧住居地近隣の方であるそのA氏が管理栄養士であり、元々高齢一人暮らしの母に種々アドバイス頂いたりお世話になっていた事実は昔から母から聞いていたが、私はとしては初めてお目にかかる。 
 母が言うには、A氏は施設入居後も定期的にご訪問下さっているとのことだ。 遠方に住む家族として、こんな有り難い事はない。
 今回は私が東京から遥々施設へ訪れていたことに遠慮され早々と引き上げられたが、「どうかこれからもお暇がございましたら、母を尋ねて頂けますように」とご挨拶すると、「もちろんです。必ずやお母様ご訪問を続けます。」と返答して下さった事に、これまた安堵した。


 高齢者施設の皆様とは十分な会話が叶わなかったものの、今回の実母入居施設への訪問の際に偶然会合が叶ったスタッフ等々の皆様等との会話内容で、我が実母がある程度充実した介護施設生活を営んでいる事実を垣間見れた。

 実母からの、「私はこの通り大丈夫だから、貴方は東京の義理のお母さんを大事にしてあげなさい。」との旅道中最後の母の言葉を 自分が産んだ“娘へのエール” と判断して、私は郷里から去った。