原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

誰が “いい子” で、誰が “悪い子” ??

2017年01月21日 | 教育・学校
 子供を“いい子”と“悪い子”とにステレオタイプに二分別したがる人間は、悲しいかな現世にも蔓延っている。
 人は皆、それぞれに個性的で多様な人格を育成中か育成して来ているはずなのに……


 現在これをドラマ内でやらかしているのが、NHK連ドラ「べっぴんさん」主人公のすみれである。
 先週からこのドラマは、すみれの娘さくらと母であるすみれの葛藤を描いている最中だ。 
 ドラマ内の作り話とはいえ、主人公すみれの、母としての愚かさ加減に日々苛立ち嘆かわしく思っている私だ。

 そもそも すみれ には若干の発達障害があり、他者の深層心理を読んだり気付いたりする能力に欠けているキャラとして描かれていると(あくまでも私は)捉えている。 そのため相手が最愛の娘であろうが、その内面に秘めた心理に気付かないのであろう。
 夫紀男が戦争から年月が経過した後に生還した暁にも、その悲惨体験を聞き出してねぎらうでもなく、自分が創設したばかりの服飾組織「キアリス」しか頭になく、それを肯定的に捉えない紀男を非難する言動に出るではないか。 
 そのように、生来的に(手は器用だが)心的に不器用な人間として主人公を描いているドラマ、と私が解釈しているドラマ内のすみれだが…。


 私事に入ろう。

 過去に高校教員経験がある私だが、子供を指導教育する立場の学校現場ですら、すみれのように子供達を“いい子”と“悪い子”に二分別したがる教員は少なからず存在した。
 我が記憶に鮮明なのは、入学試験の合否判定に於いて中学生時に非行行動があったとの内申書を提出している男子生徒に関し、合否採否が分かれた場面だ。
 偶然当該男子生徒の面接を担当した私は、年齢相応に普通に可愛らしい少年との印象を抱いた。 筆記試験も合格点をクリアしているのなら、「合格」決定にして何も問題はないはずだ。
 ところが、合否判定時に一番重要視されたのが、何と!中学校の担任が書いた「内申書」だったのだ。  これには仰天させられ、少年の面接担当だった私はその立場として急きょ少年を弁護し異論を述べた。 ところが、最終的には教職員全員による「挙手多数決判定」に持ち込まれた。 我が思いも届かず、無念にも当該男子生徒は「不合格」扱いとなってしまった……
 どうして本人自身が醸し出す人間像よりも得体の知れない中学担任が書いた「内申書」が優先され、少年を“悪い子”と決定付ける事態を阻止出来なかったのか!?! 未だに後悔が募る出来事である。 


 話題を、連ドラ「べっぴんさん」のすみれとさくらの葛藤に戻そう。

 相変わらず「キアリス」の仕事に翻弄され続けているすみれは、思春期を迎えているさくらの深層心理にまったく気付かない。
 片や、自分には構ってくれずあくまで仕事優先の両親に対し心に影を落としつつも、表面的に“いい子”として振る舞うさくらに対し、すみれは「さくらは本当に“いい子”に育ってくれて助かるわ」と褒めつつ、一切の会話の機会を持とうともしない。
 これにとことん心が痛んださくらは、友人に誘われるがままにジャズ喫茶「ヨーソロー」へ出向く。
 この行動が、結果としてさくらの痛んだ心理状態を救う事となる。
 さくらはその場で良き出会いに恵まれる。 特にドラマーの次郎が気に入ったらしきさくらは、次郎が出演するナイトクラブへ綺麗な化粧とドレス姿に変貌して出没する。 

 ここで再び、原左都子の私事に入らせて頂こう。
 音楽・ダンス好きの私自身も、学生時代には“ダンパ(あくまでも大学学内で開催される学生ロックバンドが演奏するダンスパーティ)”や、上京直後1970年代後半頃には都内ディスコへ足繁く通い詰めたものだ。
 まさか当時、既に大人になっている私のその行動を直接責めた人物など皆無だ。 が、世論としては、その種の行動をとる(特に若き女性)を批判的視線で見る傾向は未だ否めない時代背景だったと記憶している。
 ただ、何処も実際に行ってみて分かることも多いのが事実だ。 私自身、ダンパやディスコ通いをした事がマイナスとなる事などもちろん一切無いどころか、危険な目に遭った事もただの一度も無い。 当時は特に個人情報がオープンに出来た事、加えて若者間でも“語り合う”文化が根付いていた事に感謝したいものだ。 ディスコであれ何処であれ、とにかく出会った者同士がとことん会話を楽しんだものだ。 その結果として、場はどうであれ若き時代に良き人物に出逢えた記憶が今尚鮮明だ。

 ドラマのさくらも一応周囲と語り合え信頼関係を得た上で、ジャズ喫茶内人物達と付き合っているではないか。
 そんなさくらの事情を知ろうともせず、あくまでもそのような場で遊んでいる人種が「悪人」だと言い切る主人公すみれこそが排除されて当然だ。  “一体あんたは何様なんだ。 自分こそが善人と信じて生きている単細胞なのか!” と言い返したくもなるというものだろう。

 そんな折にすみれを説得したのは、(本日放映の場面によれば)ジャズ喫茶のママ(江波杏子氏が演ずるこのママ役の演技力が素晴らしく感動させられる)である。
 ママ曰く、「どうしても親元を離れねばならない若者もこの世には存在するものだ。 それら若者達が自分で世界を開き、自分らの夢に向かって大きく羽ばたく事を応援したい」


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
 
 私自身も両親が定年までずっと共働きの公務員だったため、さくら同様に小学生の頃まで祖母に面倒を見て貰いつつ育っている。
 ただ、さくらと私の間には大きな違いが存在するのだ。
 それは、さくらの親がさくらにあくまでも“お嬢さん”の人生を歩んで欲しいと願っている事。 それに対し、我が親は我が高校生頃から「自分自身が専門力を身に付け、一生自力で身を立てられる道を行け!」と指南した事だ。
 もちろん、時代背景がさくらの時代より更に進化していたであろう。
 ただこの両親の発言こそが今の我が人生を決定付けていると、感謝している次第だ。


 さてさて、来週からの「べっぴんさん」は如何に変遷するのだろうか??
 我が希望としては、さくらには愚かな親どもなどとっとと捨て去り、恋する次郎と共に上京し、新たな自己実現意欲に目覚め明るくこの世を生き抜いて欲しいものだが… 

大震災から22年、お供え物がヤクルトからビールへ姿を変え…

2017年01月19日 | 時事論評
 一昨日の1月17日、6434人の命を奪った阪神・淡路大震災発生から22年目の朝を迎えた。

 記憶の風化が懸念される一方、想定されていなかった程の大災害が各地で後を絶たない。
 いかに「我が事」として災害に備えるかが改めて問われている。
 (以上、朝日新聞1月17日夕刊一面記事より引用した文面。)


 本エッセイは18日に綴り公開したかったのだが、ここ2日間、義母の介護認定立ち合いや義母の税務青色申告準備等々の作業に追われ、本日になってしまった。

 18日のNHK昼のニュースで、発生より22年が経過した阪神・淡路大震災被災者皆さんの現地映像が写し出された。
 その中で、おそらく震災犠牲者の祖母と思われる女性がニュースインタビューに応えている。
 最初は気丈に話を進めていた女性だが、孫の死に関してインタビューに応えつつ涙声になっていく‥…
 「被災当時1歳の男児でした。 それから毎年この命日に供養に来ている。 最初の頃はヤクルトをお供えしていたのだが、それが少し前からビールに替わった。 今日も墓前にビールとおつまみ(だったか我が記憶が不明瞭)をお供えしました。」と話した後号泣になった…。

 その映像を見せられた私も、涙が止められない。 
 震災当時1歳だったという事は、まさに我が娘と同い年。 命が助かっていれば、現在23歳の青年になっているはずだ。 おそらく、やはり我が子同様に社会人として活躍し始めている頃だろう。 
 インタビュー女性の無念さに心が痛むと同時に、22年前のあの大震災当日の風景が我が脳裏に鮮明に蘇る。

 何年が経過しても被災地現地に暮らす人々に何らのお役にも立てない我が身だが、せめて私なりのお悔やみの意味合いも込めて、あの日自宅にて経験した阪神・淡路大震災の風景を今一度再現してみよう。
 (既に幾度かエッセイとして綴っているが、あの日の光景は私にとっても決して脳裏から消え去る事のない大災害であるため、繰り返す事をお詫びしておく。)

 1995年1月17日。 
 あの日は、自宅売却商談のため不動産会社の担当者氏が我が家を訪れるスケジュールとなっていた。
 娘は未だ1歳1ヶ月。
 ただ当時を振り返るに、事情を抱えてこの世に生まれ出た我が娘も赤ちゃん範疇期だったため、成長の遅れを大騒ぎして“遅れ”と判断する時期でもない事は心得ていた。
 未だ歩行が見られないどころか、ちょうど1歳の誕生日頃にやっとハイハイをし始めた娘だった。 まだ立つことも不能な我が子だが、それでもそのハイハイの姿が何とも可愛らしく、亭主や親族と共にそんな姿を見る都度目を細めていたものだ。

 何時頃だったのか記憶が薄れたが、不動産会社の担当者氏が我が家にやって来た。
 そして開口一番私に告げるには、「関西の方で大地震が発生して、何百人もの死者が出ているようです。」
 これには仰天させられた。 元々朝からテレビを見る習慣が無いのに加え、娘の育児に追われていた私にとって、これが阪神・淡路大震災の第一報だった。
 「ええーーーーー。そんな大震災が発生しているのですか!!」と驚愕しつつも、肝心の不動産売却商談を進めねばならない。
 
 1時間程商談をして担当者が帰宅した後、すぐさまテレビを付けてびっくり仰天の私だ。
 高層ビルが倒れていれば、高速道路が横たわっているではないか!! これは死者数百人で済まない大震災である事実を直ぐに察知した。
 そうしたところ、まず神戸に海を面して程近い郷里から電話が入る。 「地震で揺れたが、こちらは大丈夫」と。 更には米国在住の実姉よりも電話が入り、「日本の関西地方に巨大地震が発生したとのニュースだが、大阪は大丈夫なのか?」 姉は過去に於いて大阪で何年か暮らしその地に知り合いがいる故の電話だ。 大阪の事情はよく分からないものの「神戸では多数の死者が出ていて建造物も崩壊し、大混乱状態」である事のみを伝えた。

 当時40年程の我が人生経験に於いて、まさにこれ程の国内大災害は初めての経験だ。
 その後は、テレビニュース報道より目が離せない。 夜になりテレビ報道を確認すると神戸市長田区のほぼ全域が火災に巻き込まれているとのニュース。
 遠く東京に暮らしていた私にとっても、ただ呆然とさせられるばかりで、この大震災地獄から現地の人々を一人でも救い出すには一体どうすればよいのか、途方にくれ悲壮感のみに陥ったものだ。


 22年前に勃発した「阪神・淡路大震災」後、この国はある程度、国家及び自治体政策として“防災に向けて直ぐに動く体制”を作るべく動く原点として、当該大震災をモデルにしたのかもかもしれない。 
 にもかかわらず「東日本大震災」では、上記阪神大震災時に経験していない巨大津波災害が発生した。 その教訓も、ある程度活かされていると解釈するべきだろう。

 その後、近年の「熊本大震災」等々に於いて、市民のボランティア活動が充実した事実はプラス評価に値するのかもしれない。


 ただし自然災害の困難さとは、その予見に限界があるのが実情ではなかろうか。

 たとえば、長野県御嶽山噴火に関しては、未だ遺族が国・県に対して提訴を続けている有様だ。 
 火山国家でもある我が国は、もっと早期に各火山の噴火予想研究を進めておくべきだったのかもしれない。

 あるいは近年各地で多発している「突風被害」など、何処の地で発生するか予見が出来ないのが脅威だ!
 これなども国家や自治体は、理化学研究者達にその調査・対策を急がせるべきではなかろうか?


 そういう意味で、1995年に勃発した「阪神・淡路大震災」とは、現代我が国に於ける大災害発生の最初のモデルとなった大震災でなかっただろうか。

 その教訓がある程度活かされているのかと“贔屓目に”考察しつつも……
 その後国内に発生し続ける各種巨大災害に直面する現状に際し、国家や自治体こそが真正面からその対策に向き合い続けるべきではなかろうか。
 

“文学的な人間”になるために、如何なる「聴力」を養うべきか?

2017年01月16日 | 人間関係
 今回のエッセイは前々回(2017.1.14)公開 「そばに自分を受けとめてくれる人がいる。」の続編の形となる。

 前々回のエッセイとは、1月11日朝日新聞夕刊記事より、作家小野正嗣氏が執筆された 文芸・批評 思考のプリズム 「排他的な世界 今こそ文学的聴力を」 と題するコラムを取り上げ論評した内容だ。

 その主旨を今一度繰り返すならば、小野氏が言われるところの人が「文学的であること」とは、“相手の話を聞き入れる態度があり、その<聴力>により相手と心より対応可能な人間性を育成している人物” との意味合いだろう。
 その小野氏の提言に同感した故に綴った、前々回エッセイである。


 冒頭から、私事に入ろう。

 つい先だって、いつも通っているスポーツジムへ行った時の事だ。
 補足説明をしておくと、当該ジムは公立体育館併設のため、着替えをするロッカールームはジム使用者のみならず、各種ダンスやヨガ等々スタジオ団体プログラムに参加する人達も併用する形となっている。

 さて、私が着替えをするため女子ロッカールームへ入ると、団体プログラム参加の2名の女性がおしゃべりをしながら着替えをしていた。 
 いつもの習慣でその女性達に「こんにちは」と声掛けした私に対し、二人揃っておしゃべりをピタリと止め私の顔をじっと見るのだ。
 てっきり「こんにちは」の挨拶が返ってくるかと思いきや、ご両人の対応はまったく違った。 ニコリともせず会釈もせず、(知らない人に挨拶されても困るな)と言わんばかりに、私を完全無視して二人のおしゃべりに戻った。
 この種の場面は、今回ならずとも当該ロッカールーム内で以前にもよく経験している。 特に団体プログラムに参加している女性仲間達に特徴的な反応だ。
 片や、私同様にジムにて個人自主トレーニングをしている女性達は、たとえ面識がなくともフレンドリーだ。 挨拶を手始めに会話が弾む事は多い。


 両者の態度の違いに関して、私なりに少し分析してみよう。

 まず、年齢層の違いが一番大きな要因ではなかろうか。

 団体プログラム参加女性達は、私より年齢的に少し若い世代の30代~50代程のメンバーが大方のように見受ける。
 片やジム個人トレーニングメンバーは、おそらく還暦過ぎた私の世代が最年少。 (稀に若い女性も利用しているようだが、どうも長く続かない様子)であり、そのほとんどがご年配の女性達だ。
 
 ここでいきなり我が国の歴史を振り返るに、私より少し下の世代が俗語で「新人類」と呼ばれる時代があった。 それは、おそらく高度経済成長期が落ち着いた後に思春期を迎え大人になった世代だったとの記憶がある。
 彼らとそれ以前より日本を生き抜いている我々世代の一番大きな違いとは、日本の高度経済成長過程を自分の事としてまざまざと見せられたか、既にそれが叶っていたか、の決定的な分岐点によるのではなかろうか、と私は分析する。
 要するに、大人になった時点で既に(あくまでも“まやかし”で)この国が豊かだと信じた世代とは、自分自身が浮かれる事こそが重要であり、その後も自分と関係の無い他者に興味を持たぬ道程を辿っているのではあるまいか?
 片や、日本の戦後貧しい時代を体験している高齢者達は、見知らぬ人々も共にこの世を生きていることを経験的に知っている。 そのため、垣根無く挨拶を交わす事が出来るのではないかと、「もはや戦後ではない」との時代に生まれた私は想像したりする。


 もう一点、何故若き世代が公共の場で見知らぬ相手と挨拶をしないのか、に関して分析しよう。

 それは、彼女らの「コミュニティ帰属意識」に端を発する行動ではないだろうか?
 団体スタジオプログラムに参加している彼女達は、既にその団体行動により自分の“仲間意識”が芽生えている。 それで必要十分なのかもしれない。
 その仲間内で仲良くしていれば、自分の安泰が守れる。  ここで見知らぬ他者と挨拶などして仲間を裏切ったものならば、今度は自分こそが“いじめ対象”となるやもしれぬ……  その種の学校教育を経て大人になったか弱き女性達が、集団志向に進むのは必然的だったのかもしれない。
 ましてや、当該女性達が30、40、50代に達した暁に、「ママ友達と上手く渡って行かねば、自分が産んだ子供にさえ被害が及びそうだ…」なる域に至っては、もはや助けようが無い有様だ……

 そんな我が推測はデフォルメだとしても、確かに彼女らには必死とも言えそうな「コミュニティ帰属意識」が見て取れそうに思うのが悲しいところだ……


 そのような現実下に置いて、人は如何なる行動を取り、文学的な人間になるべきだろう。

 「挨拶」をすることすら(我が推測通り)、もしかしたらコミュニティに所属している仲間を裏切る事になるとの判断がなされているとしたら、これは実に厄介な問題だ。


 そう言えば、我が国を現在牛耳っている政権トップも、しょっちゅう外国に逃げる行動を採っている。
 日本国民に対しては一切の<聴く>耳を持たないくせに、諸外国首長たちとはヘラヘラ作り笑いして握手パフォーマンスを繰り返す。
 彼(A氏)が反論して言うには、「諸外国と仲良しになるために貴方達から集めた巨額の血税を世界各国に配りに行っているんだよ~~」との事かもしれない。

 そうだとすれば尚更、やはり人間こそが「文学的」に対応して周囲の人々との関係を深め自らの「聴力」を育成しつつ、「そばに自分を受けとめてくれる人がいる」状況を、一人ひとりが創出して欲しいものだ。

絵むすび(朝日新聞2017.1.14編)

2017年01月15日 | 自己実現
 朝日新聞 「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました!

 と申し上げたいところですが、今回は敢えて「絵むすび」解答を非公開にさせて頂きます。



 昨日も、我がエッセイ集に「絵むすび」ファンの多数の皆様がアクセスして下さった事実はとても嬉しく、心より感謝申し上げます。

 ただ、パズルとはご自身が解答しての面白さ! 達成感!! との原点に戻るべきと考えるのです。



 朝日新聞2017.1.14 「絵むすび」 課題に関しましては、昨日そのページをめくって10秒後には全体像が見渡せ、解答が叶った私です。

 いくら「絵むすび」ファンの皆様よりアクセスを頂戴する事実が嬉しいとは言え、いつまでも皆様のご反応に甘え、無責任に解答を公開するべきではないとの原点に立ち戻りたいのです。


 そこで、今回は、解答を導く手順のみを解説しましょう。
 (朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お手元に昨日の新聞をご用意ください。)

 今回の「絵むすび」は朝日新聞歴代 “難易度3” レベルにしては、解答が簡単だったと判断します。

 まず、「目玉焼き」と「たまねぎ」に注目すると、それらを結ぶに際し、まったく他のアイテムの邪魔をしない事に気付きます。 それを結んでしまいましょう。

 次に注目するべきは、「毛糸玉」かもしれません。 これも結べたならば、次は比較的外側に位置している「ひょうたん」かな?   
 後は、「さいころ」と「塩」を結ぶと完成です!!

 と書いたところで、これを実行するには文章読解力も必要ですよね?!? 


 それならばむしろ、我が文章など完全無視して改めて初心に戻り、 朝日新聞 「絵むすび」に真っ向から自力でチャレンジされては如何ですか!?!  


 後書きになりますが、原左都子自身が解答に困難する 高レベルの 「絵むすび」が朝日新聞で公開されたならば、今後も意地でも解答を公開する所存です!! 

そばに自分の声を受けとめてくれる人がいる。

2017年01月14日 | 時事論評
 私程、「文学」という言葉に縁がない人間は珍しいかもしれない。

 そもそも子供の頃から“本(特に小説類)を読む”という行為が苦手(と言うより嫌い)だった。
 それに連動して、学校の宿題の中で一番億劫だったのが「読書感想文」だ。

 かと言って、身勝手ながらも文章を書く事自体は昔から得意分野だった。 日記や自発的小説や詩など、子供の頃より好き好んで綴っていた。 (要するに人が書いたものを読むより自分が書きたい派だ。 書きたい材料・対象物は、常に物事を観察し考えている我が頭の中に山程あった。)
 皆様既によ~~くご存知の通り、批判文も得意分野だ!

 そんな私は中学生時代の読書感想文課題に於いて、「なぜこの本は面白くないのか?」とのテーマで原稿用紙5枚書きなぐって提出した事がある。
 それより以前の小学6年生時に学級担任批判作文を書いて提出し、当該担任から吊し上げを食らうとの痛手を負った前歴がある私だ。 これを提出するとの行為は、再びそれを覚悟した上での挑戦だった。
 ところが過疎地公立中学の国語教師にして、話せる人材がいたものだ。 何と国語先生は、私の読書感想文(批判文)に最高点をくれたのだ!  おそらく当時としては意表を突いたであろう我が勇気ある批判精神を買ってくれたものと想像する。  普段より静か目のおっとりした男性先生だったのだが、その後時々私に声を掛け、高校受験合格に向けて応援して下さったりした。


 さて、文学書にはほぼ縁が無い私も、社会人となって以降は新聞を読む事は外せない日課だ。

 先だっての1月11日朝日新聞夕刊 文芸・批評 思考のプリズム は 作家 小野正嗣氏が執筆を担当されていたが、その内容には久しぶりに文学に縁の無い私も唸り、大感動させて頂いた。

 早速、以下に 「排他的な世界 今こそ文学的聴力を」 と題する当該コラムのほぼ全文を紹介しよう。
 昨年11月、2015年ノーベル文学賞受賞ベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏(以下SA氏と略す)が来日し、(小野氏が)東京大学でのイベントで質問者として直接話を伺う貴重な機会を得た。
 16年は歌手ボブ・ディラン氏の受賞が大きな話題となったが、<ノンフィクション作家>として唯一の受賞者であるSA氏の言葉とたたずまいに触れ、<文学>の根幹をなす姿勢とは何なのか、考えさせられた。
 小説を書いたり論じたりしてきた一人として、文学活動の本質は<書く>こと以上に<読む>ことにあると考えてきた。 しかし、どうやら小説や詩をたくさん読んでいるからといって、人は文学者になれる訳ではない。
 僕が育った大分の漁村には書物の文化はなかった。 ところが、生涯に一冊も本を読んだ事がなくても、まるで本でも読むようにこちらの心の動きを理解し、一緒にいると元気が湧いてくる人間的魅力に溢れた人がいて、僕は漠然と「文学的だなあ」と感じるようになっていった。 だが、どういう点で文学的なのかうまく言葉にできずにいた……。
 SA氏の作品を読んでずっと不思議に思っていたことを尋ねた。「どうすればたくさんの人の心を開くことができるんですか?」 「むずかしいことではないわ。いまあなたといるように、一緒に座って話を聞くだけです」  この小柄で物静かな女性がたぐいまれな<耳>の持ち主であることは確かだ。 彼女の著書からは、彼女がインタビューしたおびただしい数の人々の多様な声が響いてくる。
 チェルノブイリ原発事故の被災者らの想像を絶する体験が語られる証言集『チェルノブイリの祈り』は、福島第一原発事故がなかったかのように原発稼働へと進む日本でこそ読まれ、何度も読み返されるべき作品だと思う。   独ソ戦に従軍した女性兵士、アフガン帰還兵、ソ連崩壊後のロシア社会で多くを失った庶民。 SA氏が耳を傾けると、国家の大義やイデオロギーによって沈黙と忘却を強いられた人々が、それまで表現できなかった苦悩にふさわしい言葉を見出したかのように語り出す。
 そばに自分の声を受けとめてくれる人がいる。 そのとき世界と他者への信頼が回復され、各々の人生に於ける愛や歓喜の瞬間が生き生きと蘇る。 SA氏にとって、<書く>ことは、相手に寄り添い、その声を<聞く>ことだ。 そして、<聞く>ことがそのまま<支える>ことになっている。 文学的な態度とは、<聞く>ことを学び、人間を取り戻すことなのだ。
 だがいま、SA氏の人と作品が体現するこの文学的な聴力が、世界から失われつつある。 沖縄ではオスプレイが墜落し、原因究明もなされてもいないのに、人々の不安や怒りの声など存在しないがごとく、給油訓練が再開されている。 次期アメリカ大統領やヨーロッパ各国の難民対応を見るとき、他者の苦悶には耳を閉ざし、巳の利得にばかり執心する排他的態度が時代の空気となりつつあるようで怖い。
 もっと文学を! 政治、経済、社会、僕たちの日常を構成するあらゆる領域で、文学的な聴力と姿勢が、かつてないほどに必要とされている。
 (以上、長くなったが、朝日新聞小野正嗣氏執筆によるコラムのほぼ全文を転載紹介したもの。)


 上記小野氏の記述と似たような体験をする場面が、私にもよくある。

 私が育った過疎地郷里ならずとも、国内外様々な地域に旅に出ると必ずや一期一会の出会いがある。 まさに、今出会ったばかりなのにどうしてこれ程までに打ち解けて親切にしてくれるのだろう、と感動させられる。
 私の場合、そんな風に出会った人々に対し「文学的だなあ」という表現がよぎった事は無いものの、言いたい思いはおそらく小野氏と同じだ。 その背景には、必ずや相手に心を開いて<聞く>態度があり、こちらも同様に心を開いている、そんな風景がまさに小野氏がおっしゃる通り「文学的」なのだろう。

 福島原発事故後の対応や沖縄オスプレイ事故対応に対する思いも、小野氏とピッタリ一致する。
 まさに政権の対応とは、まったく<聞く>耳を持たず国民不在の下に身勝手に独り芝居で政策を強行するばかり。 それしか政権の生きる道がないのであろう。 
 まさに政権は自己の利得にがんじがらめになり、文学の香りが一切無い排他主義で突き進んでいる。

 小野氏がおっしゃる通り、「もっと文学を!」と叫ぶべき時かもしれない。 
 文学とは縁が無いと自覚しているこの原左都子でさえ、小野氏を応援したくなる。