世は5月の連休真っ最中の様子だ。 (聞くところによれば、今年のゴールデンウイークは10連休をゲット可能な企業人が多いとのことだが…)
それに合わせる訳ではないが、本日の我がエッセイも“軽ノリ”で済まさせていただく事としよう。
今年1月末から2月初旬にかけ、娘を引き連れてイタリアへ完全個人旅行を実行した私だ。
その帰国後より(あくまでも水面下で虎視眈々と)英会話力の極度の衰えを何とかせねば!との使命感に燃えている。
イタリア旅行自体は楽しく十分な達成感があったものの、帰国後に冷静に分析した場合、一つだけ我が大きな課題として残されたのが上記の「英会話力」の情けない程の“極度の衰え”だったのだ。
冒頭から私事になるが、我が英語遍歴を振り返らせていただこう。
義務教育課程より一応真面目な生徒として通っていた私が、中高を通して一番高得点を挙げられる科目とは「英語」だった。 (「数学」も嗜好していたが、「英語」の方がその理論性に於いてより簡単・安易だった印象がある。)
皆様もご存知の通り、1960年代から70年代にかけての学校教育に於ける「英語」の授業とは、“読み書きのみ”だった。 要するに“聞く話す”の授業など一切なかった時代背景である。
これがまさに理論派の私にとって、功を奏したとも言えよう。
当時の英語の授業の主たる課題である「文法学習」が面白いように頭に入って来た。 我が脳内がスポンジのごとく英語文法を難なく吸収するのだ。 その結果として、特に中学校では幾度の定期試験に於いても95点を下回る事は一度とてなかった。
高校に進学した後は、膨大な英単語の記憶に多少の労力を費やした。 それでも、中学時点でほぼ完全にマスターしていた我が英語文法力が主柱となり、やはり高得点を挙げられた。
私は学生時代の19歳時に、1ヶ月間のみではあるが米国カリフォルニア大学バークレー本校の University Extension に参加する形で英語短期留学を経験している。
その際現地にて英語能力別クラス分けを実施するために課されたのが、何故か“筆記試験”のみだった。 これに高得点を取ってしまった私は、その後上位クラスで難儀するはめとなる。 何分“聞く・話す”の能力に一切欠けている私だ。
ところが意外や意外、学外では私の拙い英語を聞いてくれる人物に出会えたりして、結構楽しい米国留学生活を全う出来たのだ。 その秘訣を言うならば、私の場合はあくまでも“読み書き力”に頼る英語しか話せないものの、個人的に出会うネイティブとは、私が“読み書き力にて喋る英語”を熱心に聞いてくれたとの事に過ぎなかったのだろうが…。
その後も何度か海外旅行を経験した私だが、30歳代後半期に至って、英会話を学べる究極の出会いが私に訪れた。
以下に、「原左都子エッセイ集」2008.6.21バックナンバー 「彼の名はジョニー」 の一部を紹介しよう。
米国人男性ジョニー(仮名)との出逢いは、米国西海岸に住む姉の家の玄関だった。
独身の頃、私は米国在住の姉のところへ単身で何度か訪れている。 その訪問の一番のお楽しみは、華やかで交際範囲の広い姉のネイティブの友人に会い、片言の英語で楽しいひと時を過ごす事だった。
日本でも翻訳されてベストセラーとなった「カッコウはコンピュータに…」の著者であるC・S氏とも姉が交友があったお陰でお目にかかった事がある。 C・S氏は作家であると同時に天文学者でもあり当時大学教授をされていたと記憶しているが、ふわふわのカーリーヘアが可愛らしく、とても控えめで優しくごく普通の庶民的な方だった思い出がある。
ジョニーもそんな姉の広い交友関係の中の友人のひとりだった。
その日、ジョニーが日本から遥々訪れた私のために西海岸めぐりのドライブに連れて行ってくれるということで、愛車のポルシェで姉の家まで迎えに来てくれた。
姉の家の玄関でジョニーと初めてご対面した時、ジョニーの私を見るその眼差しから私は直感で一目惚れされたことを感知した。 何分、あちらの方は表現が直接的だ。 それからというもの、ジョニーは私から視線を外さず穴が開くほどずっと見ているのだ。
私は英会話が片言のため、姉の通訳付きでジョニーと話した。 おそらく自己紹介風の話を中心に、姉が通訳係に徹してジョニーと私の二人が対話をしながらのドライブだった。
その日の3人でのドライブが終了する時、ジョニーが私に言う。 私が米国滞在中に是非今度は二人で会いたいと。 姉もジョニーの私への気持ちを既に察していて私にそうすることを勧めてくれる。 私もまんざらではないのだが、何分英会話力の問題がある。(経験がおありの方は理解していただけると思うが、英会話力がなくてネイティブと話す場合、英語をしゃべるという行為自体にエネルギーを使い果たし、肝心のコミュニケーションがとれているのかどうか後で考えるとよくわからないのだ…。)
その後、我が米国滞在中にジョニーに3度会った。
2度目の再開の時には、さすがにジョニーの英語に対しては耳が慣れてきていた。 そしてジョニーが私に好意を持ってくれているお陰で、私の下手な英語を真剣に聞いてくれる。 そのお陰で意外や意外、ジョニーとの二者関係においては会話が会話として成り立ちコミュニケーションがとれるのだ。 ただし相手が変わると若干勝手も変わる程度の私の英会話力であることには変わりない。
(以下略するが、以上「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
上記我がエッセイ集バックナンバー記載に限らず、「英会話力を向上させるためには国際恋愛をするのが一番効果的!」なる記述にネット上でよく出くわす。
まさに我が現在の結論もそうなのだが、それを言っていたとて、過去に失ったものは手に入らない現実を見つめねばならないだろう。
その後、如何なる形式で我が英会話力を磨き直そうかと模索していた。
現存する英会話教室に通う案も考えたが、どうも期待薄だ…。 と言うのも、英会話教室とはトラブルの温床との印象がある。 しかも、何故か授業料が破格に高い!
そこで原左都子がとりあえず考え付いたのは、「ネット販売CD」に頼るとの結論だ。
早速そのCDを取り寄せた私として、その内容は“ショボい”と考察しているものの、これ、昔英語の文法を完全マスターしている原左都子にしては、実に心地よく頭に入ってくるのだ!
実際問題海外旅行した時にその地で国際恋愛を志す場合は、恋愛相手の優しさや温情に頼りつつ双方の関係を紡げばよいだろう。
そうでない単なる海外旅行レベルでは大した英語力無くとて、文法中心の中学英語で今後も渡って行けるのではないかと再認識し、自分なりに今一度切磋琢磨せんとしている私だ。
Why don't you go abroad ? It will be a miracle world , I hope !
それに合わせる訳ではないが、本日の我がエッセイも“軽ノリ”で済まさせていただく事としよう。
今年1月末から2月初旬にかけ、娘を引き連れてイタリアへ完全個人旅行を実行した私だ。
その帰国後より(あくまでも水面下で虎視眈々と)英会話力の極度の衰えを何とかせねば!との使命感に燃えている。
イタリア旅行自体は楽しく十分な達成感があったものの、帰国後に冷静に分析した場合、一つだけ我が大きな課題として残されたのが上記の「英会話力」の情けない程の“極度の衰え”だったのだ。
冒頭から私事になるが、我が英語遍歴を振り返らせていただこう。
義務教育課程より一応真面目な生徒として通っていた私が、中高を通して一番高得点を挙げられる科目とは「英語」だった。 (「数学」も嗜好していたが、「英語」の方がその理論性に於いてより簡単・安易だった印象がある。)
皆様もご存知の通り、1960年代から70年代にかけての学校教育に於ける「英語」の授業とは、“読み書きのみ”だった。 要するに“聞く話す”の授業など一切なかった時代背景である。
これがまさに理論派の私にとって、功を奏したとも言えよう。
当時の英語の授業の主たる課題である「文法学習」が面白いように頭に入って来た。 我が脳内がスポンジのごとく英語文法を難なく吸収するのだ。 その結果として、特に中学校では幾度の定期試験に於いても95点を下回る事は一度とてなかった。
高校に進学した後は、膨大な英単語の記憶に多少の労力を費やした。 それでも、中学時点でほぼ完全にマスターしていた我が英語文法力が主柱となり、やはり高得点を挙げられた。
私は学生時代の19歳時に、1ヶ月間のみではあるが米国カリフォルニア大学バークレー本校の University Extension に参加する形で英語短期留学を経験している。
その際現地にて英語能力別クラス分けを実施するために課されたのが、何故か“筆記試験”のみだった。 これに高得点を取ってしまった私は、その後上位クラスで難儀するはめとなる。 何分“聞く・話す”の能力に一切欠けている私だ。
ところが意外や意外、学外では私の拙い英語を聞いてくれる人物に出会えたりして、結構楽しい米国留学生活を全う出来たのだ。 その秘訣を言うならば、私の場合はあくまでも“読み書き力”に頼る英語しか話せないものの、個人的に出会うネイティブとは、私が“読み書き力にて喋る英語”を熱心に聞いてくれたとの事に過ぎなかったのだろうが…。
その後も何度か海外旅行を経験した私だが、30歳代後半期に至って、英会話を学べる究極の出会いが私に訪れた。
以下に、「原左都子エッセイ集」2008.6.21バックナンバー 「彼の名はジョニー」 の一部を紹介しよう。
米国人男性ジョニー(仮名)との出逢いは、米国西海岸に住む姉の家の玄関だった。
独身の頃、私は米国在住の姉のところへ単身で何度か訪れている。 その訪問の一番のお楽しみは、華やかで交際範囲の広い姉のネイティブの友人に会い、片言の英語で楽しいひと時を過ごす事だった。
日本でも翻訳されてベストセラーとなった「カッコウはコンピュータに…」の著者であるC・S氏とも姉が交友があったお陰でお目にかかった事がある。 C・S氏は作家であると同時に天文学者でもあり当時大学教授をされていたと記憶しているが、ふわふわのカーリーヘアが可愛らしく、とても控えめで優しくごく普通の庶民的な方だった思い出がある。
ジョニーもそんな姉の広い交友関係の中の友人のひとりだった。
その日、ジョニーが日本から遥々訪れた私のために西海岸めぐりのドライブに連れて行ってくれるということで、愛車のポルシェで姉の家まで迎えに来てくれた。
姉の家の玄関でジョニーと初めてご対面した時、ジョニーの私を見るその眼差しから私は直感で一目惚れされたことを感知した。 何分、あちらの方は表現が直接的だ。 それからというもの、ジョニーは私から視線を外さず穴が開くほどずっと見ているのだ。
私は英会話が片言のため、姉の通訳付きでジョニーと話した。 おそらく自己紹介風の話を中心に、姉が通訳係に徹してジョニーと私の二人が対話をしながらのドライブだった。
その日の3人でのドライブが終了する時、ジョニーが私に言う。 私が米国滞在中に是非今度は二人で会いたいと。 姉もジョニーの私への気持ちを既に察していて私にそうすることを勧めてくれる。 私もまんざらではないのだが、何分英会話力の問題がある。(経験がおありの方は理解していただけると思うが、英会話力がなくてネイティブと話す場合、英語をしゃべるという行為自体にエネルギーを使い果たし、肝心のコミュニケーションがとれているのかどうか後で考えるとよくわからないのだ…。)
その後、我が米国滞在中にジョニーに3度会った。
2度目の再開の時には、さすがにジョニーの英語に対しては耳が慣れてきていた。 そしてジョニーが私に好意を持ってくれているお陰で、私の下手な英語を真剣に聞いてくれる。 そのお陰で意外や意外、ジョニーとの二者関係においては会話が会話として成り立ちコミュニケーションがとれるのだ。 ただし相手が変わると若干勝手も変わる程度の私の英会話力であることには変わりない。
(以下略するが、以上「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)
上記我がエッセイ集バックナンバー記載に限らず、「英会話力を向上させるためには国際恋愛をするのが一番効果的!」なる記述にネット上でよく出くわす。
まさに我が現在の結論もそうなのだが、それを言っていたとて、過去に失ったものは手に入らない現実を見つめねばならないだろう。
その後、如何なる形式で我が英会話力を磨き直そうかと模索していた。
現存する英会話教室に通う案も考えたが、どうも期待薄だ…。 と言うのも、英会話教室とはトラブルの温床との印象がある。 しかも、何故か授業料が破格に高い!
そこで原左都子がとりあえず考え付いたのは、「ネット販売CD」に頼るとの結論だ。
早速そのCDを取り寄せた私として、その内容は“ショボい”と考察しているものの、これ、昔英語の文法を完全マスターしている原左都子にしては、実に心地よく頭に入ってくるのだ!
実際問題海外旅行した時にその地で国際恋愛を志す場合は、恋愛相手の優しさや温情に頼りつつ双方の関係を紡げばよいだろう。
そうでない単なる海外旅行レベルでは大した英語力無くとて、文法中心の中学英語で今後も渡って行けるのではないかと再認識し、自分なりに今一度切磋琢磨せんとしている私だ。
Why don't you go abroad ? It will be a miracle world , I hope !