原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

50代で後悔しない“出世だけではない生き方”、って何??

2016年05月25日 | 時事論評
 今回のエッセイ表題は、ネット情報内の一文よりそのままパクらせて頂いた事を最初にお詫びしておく。


 一昨日ネット画面を開いたところ、興味深い記事に出くわした。
 早速その記事を、以下に要約して紹介しよう。

 50代で後悔しないための“出世だけではない”生き方:  あなたは人生の後半戦もサラリーマンとして生きますか?それとも別の道を選びますか?  サラリーマン屋として敗者にならずに生きるのは難しい。
 (これは)人生における基本戦略の選択だ。
 戦略の立案において最も大切なことの一つは、ドメイン(事業領域=戦いの場)の設定。「自分は何屋として」人生の後半戦を戦うか、という判断だ。
 多くの人は、「サラリーマン屋」をドメインとしてしまっている。 雇われて生きる生き方だ。人生の前半戦をサラリーマンとして生きたとして、果たして後半戦も同じドメインで生きていくと安易に決めていいのだろうか。
 サラリーマンいうドメインの中で考えるのであれば、勝者はCEOを頂点とする出世の階段を上り詰めた人間である。 そう考えれば、このドメインの中で出世の階段の途中で止まってしまった人は、残念ながら敗者ということになるわけで、不完全燃焼の結果、敗者となった人が嫉妬に苦しむという構図だ。
 サラリーマン屋として戦うということは、あまりに敵の多い、まさにレッドオーシャン戦略を選ぶということなのだ。 しかし、たとえ人生の前半戦でレッドオーシャン戦略を選択したからといって、後半戦も同じ戦略を選択しなければならないということはない。ドメインの設定からやり直し、異なる戦略を選択することもできる。
 レッドオーシャンで戦うことに価値を見出せない人も少なからずいるはずだ。そんな激戦場で、人事を尽くして天命を待つためには、多くの資源を費やす必要がある。 中でも必要とされるのが、会社に対する強いコミットメントだ。 愛社精神というより、むしろ出世に対する執着といってもいいかもしれない。この執着が強いからこそ、前回述べたようなさまざまな努力も苦にならないのだ。 
 40代で「会社にコミットし続けない」という道を選択するのは怖いことかもしれないが、無駄な努力をするよりはいい。 一度真剣に考えてみて、ある程度の出世欲はあっても、とりあえず部長になれば満足、せいぜい執行役員と感じる人であるならば、会社に対するコミットメントはそれほど強くないと見極められる。
 会社の中で“聖域”を作ってみる。  とはいえ、当然ながらレッドオーシャンから、別のレッドオーシャンにドメインを変更するというのはなかなか辛い。 ドメインを変更するのであれば、ブルーオーシャンに切り替えるのが得策だ。 ここで二つの選択の道がある。それは、社内でブルーオーシャンを作ってしまう道と、会社を辞めてまさにブルーオーシャンに船出するという道だ。
 ここで言う、社内のブルーオーシャンとは、何らかの専門家として尊敬されながら、定年まで勤めあげる、そんな働き方を指している。この“尊敬”というのは大切なキーワードだ。
  (  中  略  )
 いきなりブルーオーシャンを求めて会社を辞めるのではなく、さりとて会社の中に聖域を作ってそこに留まるのでもない、中間的なキャリアを描いた人もいる。
 もっともブルーオーシャンは、まだ誰も見たことのない競合のいない海域を言う。 だからこそ、“聖域”なのだ。 そうしたものを自ら見出さなくては、この戦略は使えない。 まだ誰もやったことがなく、自分には可能性があり、しかも自分にとって快適な立ち位置を見つける必要がある。 ハードルは決して低くないが、ぜひトライしてみてほしい。
 幸いなことに、最近はブルーオーシャン戦略に成功する人が徐々に増えてきているように思える。
 ブルーオーシャン戦略への道は、多くの場合、走りながら見えてくるのだろう。 ただし、できれば時には立ち止まり、その道が本当に自分の本質的欲求を満たしてくれる道なのか、いつも言っている『原点のCAN』を確認してみる必要はあると思う。  原点のCANとは、子どもの頃大好きだったり熱中した、その人の原点とも言える指向性のことだ。この指向性と仕事の経験を通じて獲得してきた能力である大人CANを掛け合せたときに、自分独自のユニークな可能性を見つけることができると述べてきた。
 セカンドキャリアを作る上で大切なことは「できるから」という理由だけで道を選んではいけない。 あくまでも「やりたいからやる」のではなければいけない。 そうでないと長続きしないのだ。しかし、だからと言って「能力が全くないこと」を選んでも、効率が悪く、場合によっては能力が身につく前に挫折してしまう。
 原点のCANは、その場合の道しるべともなるべきものだ。 何が自分にとって最適なブルーオーシャンになるかわからないものだが、原点のCANを考えながら探してみるのも効率的な方法だと思う。
 何を得るかより、何を失っても大丈夫かを知る。  自分にとってのブルーオーシャンを作るということは、多くの場合「何かを捨てる」ことが多いという事実を最後に付け加えておきたい。 すべてが手に入る人生などというものはない。何かをやろうとすれば、何かを失う。
   (  中  略  ) 
 こうした分析を、しっかりと自分自身と正対してできるかどうかが重要だ。 自分の本音の欲求として、何が大事で、何は譲れるのかを最初に見極めておく必要がある。 何を失ったらダメなのか。そこをわかった上で、進もうとしている道を再評価することが何より大切なのだ。
 
 (以上、長くなったがネット情報より中身を大幅に縮小しつつ要約引用したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私事に入ろう。

 偶然だが、先だって我が晩婚亭主との会話内で、私が30歳にて企業を退職し大幅に方向転換した話題が出た。
 何分、お互いに40歳前後の時期に知り合っている。 それ以前のお互いの生き様に関しては会話の内容から推測するのみで、実際にそれを目の当たりにしていない間柄だ。

 亭主曰く、「何で○子(私の事)は〇〇会社を30歳で退職したのか? あの会社は知る人ぞ知ろうが、医学方面では国内最高レベルの企業(東証一部上場)として現在も発展を続けている。 退職せずそのまま居座っていたら、今や○子も取締役に君臨出来ているかもしれなかったのに。」

 応えて私曰く、「実際、当時若くして係長(主任)にまで出世を遂げていた私は、酒の席で副社長から退社を止められたよ。 副社長曰く、『何? 大学へ行って再び社会科学を勉強したいんだと? そんなの僕が教えてやるから会社に残れ!』と。 それでも私は退職して再び学問の世界に突入する事を優先した。 どうしてもそうするべきとの我が身から湧き出す未来志向に当時溢れていた。 あの時もしも私が退職しなかったとしても、近い将来に是が非でも企業から去ったと思う。 それ程、私は企業なる存在物体の体質を嫌っていたし、こんな狭い世界で『井の中の蛙』をしている場合ではない!、私には輝ける未来がある!、と信じていた。 早い決断こそがその後の我が人生に繋がったと私は自分を高評価している。 人生の喜びとは、決して地位やカネじゃないよ! 」


 我が紆余曲折した60歳までの人生を振り返りつつ、上記ネット情報を論評しよう。

 「サラリーマン屋として敗者にならずに生きるのは難しい。(これは)人生における基本戦略の選択だ。」  とネット筆者は記されているが、本当にそうだろうか??
 私自身が30歳で企業人間を一旦リタイアした身故に、偉そうな発言を控えるべきだろう。
 それにしても、個々人のサラリーマンとして目指す方向性が確固と定まっているのならば、素晴らしいサラリーマン人生を歩めるに違いない。 要するに、自分がサラリーマンとして「勝者」なのか「敗者」なのかはこのネット筆者が決めることでなく、サラリーマン個々の自分の心が決めることだ!
 当該「原左都子エッセイ集」にも、尊敬するべき現役サラリーマン氏皆様よりの訪問を頂いている事実に日々感動、感謝申し上げている。

 私の事例の場合は、おそらく上記ネット筆者氏が言われるところの「ブルーオーシャン」に漕ぎ付けた、との人種に分類されるのであろうか。
 それにしても、ネット筆者が記されている「ブルーオーシャン」事例に、原左都子としては申し訳ないがいたたまれない貧弱さを感じてしまうのだ。
 えっ?? 原点のCANとは、子どもの頃大好きだったり熱中した、その人の原点とも言える指向性のことだ、だと???
 それは、恐らく幼少時代に幸せな時代を過ごしたであろうネット筆者の単なる勘違いではなかろうか?
 ネット筆者の場合はそうだったのかもしれない。 が、私に言わせてもらうならば原点のCANとは、むしろ社会人として自立した後に獲得した自分なりの「発展力・生きる力」と表現したいものだ。

 確かに、その更なる原点は子供の頃に熱中した事象に辿れる人もいるのかもしれない。
 ただ、それを企業人として成長した暁にまで振り返る人間とは少数派ではないだろうか?? 


 今回我がエッセイ集にて紹介したネット情報は、ある意味でよくまとまっていると判断したため取り上げさせて頂いた。
 ただ、このネット情報発信者とは、結局 「企業人雇われ気質」が一生抜け切らない様子だ。 
 と言うことは、あくまでもくだらない現世に迎合せんとする「敗者」人物なのかと、少し軽蔑したりもする私を何卒お許し下さいますように…