原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校による「障害児カルテ管理」導入案に異議申し立てる

2016年05月17日 | 教育・学校
 表題に掲げた懸案に関する新聞報道に触れた直後より、私は様々な理由にて不安感を抱かされている。


 上記報道を紹介するに先立ち、冒頭より報道内容に対する我が不安感に関して、以下に思いつくままに列挙させていただこう。

 まず今回の学校に於ける「カルテ導入」案とは、「障害児」に的を絞っている点が大いに気にかかる。
 障害児と一言で言っても子ども個々の個性や家庭環境等が相俟って、その実態に多様性があるのが実情だ。 特に近年に至っては「発達障害」等、「障害」と「健常」のボーダーラインが不透明な児童の存在が認識されるに至っている。 そんな混とんとした時代背景下に於いて、個性ある生徒の一部に「障害児」のレッテルを貼りその制度を強制適用する事は、差別意識を煽る等々様々な意味合いに於いて問題が大きい。

 学校現場で「障害者カルテ導入」するとして、そのカルテを一体誰が作る能力があると言うのか?
 まさか学校の教員ではないと信じたい。 と言うのも、大方の学校教員とはそもそも医学知識がほとんどないものと私は理解している故だ。 
 医療現場や障害児教育研究専門機関とて、特に「発達障害」などの場合、その診断が担当医や研究者により食い違う事態が考えられ困難を極めるものと、我が経験則として指摘したい。
 
 しかも文科省案によれば、そのカルテは小学校入学から高校卒業まで12年間の長きに及び学校へ次々と引き継がれるという。
 その弊害も指摘しておきたいものだ。 保護者の考えとして、「成長を遂げている我が子には、今後は健常者としてこの世を渡らせたい」と志そうが、そんな「カルテ」が存在するがばかりにいつまでも足を引っ張られる事態が予測されるのも悲劇だ。  


 それでは、朝日新聞2016.5.15 一面記事 「障害ある子 学校が『カルテ』20年度以降 小中高通じ支援へ」 を要約して以下に引用しよう。 
 障害のある子どもを小学校から高校まで一貫して支援し進学や就労につなげるため、文科省は進学先にも引き継げる「個別カルテ(仮称)」を作るよう、各校に義務付ける方針を固めた。 通常学級に通う比較的軽い障害や発達障害の子どもも対象で、2020年度以降に導入する。 個別カルテには、子どもの障害や健康状況、保護者と本人の希望や目標等を書き込む。 卒業後は進学先に渡し、子どもの状況を把握してもらう。 
 現在の学習指導要領では、子どもの「個別教育支援計画」や「個別指導計画」を作るよう指導しているが義務化はしていない。 15年度調査によれば、公立小中の1割、公立高校の4割が作成していない。 さらに、これらを次なる進学校に引き継ぐかに関しては、各校が独自に判断している。
 個別カルテは、現在の指導実態を元に、小学校から高校まで引き継ぐことを前提とした書式を目指す。 文科省は20~22年度に順次始まる小中高の新学習指導要領での義務化を検討する。 私立高校までに広げるかは今後検討する。 文科省は、カルテの詳しい中身や個人情報が漏れない仕組みを詰める。
 (以上、朝日新聞5月15日朝刊一面記事より要約引用したもの。)
 

 ここで一旦、原左都子の私事及び私見に入ろう。

 本エッセイ集バックナンバーに於いて、私はそもそも文科省や地方自治体教委が操るところの公立学校義務教育課程を、肯定的に捉えていない人間である事を表明し続けている。
 義務教育とは週3日程で十分であり(要するに公立義務教育を完全否定はしていない)、後は保護者の判断で子どもの適性に応じた目標を持ち自由選択的環境下で子どもの能力を育てるのが理想、なる私論を幾度となく述べて来ている。
 それが叶わぬ故に我が子を公立小学校へ強制入学させたものの…。 当該公立小学校にて“いじめ”等の被害に遭った暁には、すぐさまその場から逃げるとの判断をし転校との強行手段を採った。
 中学以降は、文科相や地方自治体の管理が及ばない私立学校に入れる事を視野に入れ、それを実行してきた我が親子だ。

 後で思えば短い我が子の公立小学校期間だったが、それでも親の意思で小3にて転校させる時に、「まさか前校の情報を転校先に伝えられるのだろうか?」なる懸念を抱かされた。 
 と言うのも、娘の新たな小学校でのスタートに先立ち、信憑性無き書類によるのではなく、是非共保護者の私の口から直接担任先生に娘の現在の実態を伝えたかったのだ。
 前校の担任より下手な情報を提供されたものならばとんでもない!感覚に苛まれていた私は、早くも娘の転校前に転校先の小学校を我が子を引き連れて訪れ、担任(予定)先生と少しの時間だが面談を持たせてもらったものだ。 そんな保護者としての熱意だけは、転校先に伝わった様子だった。

 別の観点からの私見だが、学校教員とはそもそも医学専門知識を伴っていないのが普通であろう。
 もちろん日々学校現場にて子どもの様子をみている立場として、経験的にそれを習得している部分も認める。 ただ、これが難病・奇病等経験外の事態の場合は、やはりたとえ教員と言えども発言を控えるべきかと私は指摘したい。
 我が娘に話を戻すと、幼少の頃より中学1年生時に至るまで40度を超える「不明熱」を繰り返した。 時の経過と共にその頻度が少なくなり今となっては一切その症状が出ない事に安堵しているが、小学校低学年の頃まではこの対応に母として難儀させられた。
 担任とのやり取りに於いて娘の「不明熱」に関して議論対象となり、それが学校長面談にまで発展してしまった経験がある。 元医学関係者の私として「不明熱」に関する医学的情報を学校へ十分に提供しているにもかかわらず、“仮病”で処理したい担任が、娘の欠席を校長にまで訴え出たのだ。 ただそのお陰で、保護者の私は校長との直接面談が叶い、娘が度々発症する40度を超える発熱の理由を学校長に理解してもらえた事は収穫だった。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 文科省が実行せんとしている「障害児強制カルテ管理」も、児童が育っている家庭環境やその保護者の実態によれば一部では実行力はあろう。

 要するに我が私論としては、この懸案に関しても障害児全員強制ではなく、あくまでも「任意制度」の位置付けとして保護者の自由意思に任せるべきと考える。

 何故、いつもいつも文科省や地方自治体教委は、“保護者皆の上位に君臨し続けたい”との思想を貫くのだ??
 少しは身の程を知りながら、特に義務教育課程に於いては保護者多様性の観点に立ち、今後の事案を処理する事を望みたい。