原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

義母よりも実母との関係維持がよほど難しい

2016年05月19日 | 人間関係
 「原左都子エッセイ集」 2014.5.14 バックナンバー 「子にカネせびる“ダメ親”との決別の仕方」は、公開から約2年の月日が経過しているにもかかわらず、現在尚我がエッセイ集 Popular Entries にほぼ連日ランクインしている人気エッセイの一つである。

 このバックナンバーが何故それ程に人気を博しているかの理由を自己分析するに、おそらく現世は特に“金銭問題”に於ける「親子関係」に悩む人種で溢れているとの背景があろうかと推測する。

 私は当バックナンバーの結論部分に於いて、以下の記述をしている。
 この世に於ける人間関係において、“血縁”も含め「親族」関係程鬱陶しいものはない。
 捨て去るならば早い決断がものを言う、というのが私の持論である。
 「捨て去って」以降、お互いに“依存関係なき状態で”距離を置き長い年月が経過すれば、意外と良き関係が取り戻せるものとも、私自身の経験からアドバイスしておきたい。


 ところが幸いにも、私の場合は嫁ぎ先も含め両方の親達から“金銭問題”にて迷惑を被った経験は一度も無い。
 むしろ特に晩婚嫁ぎ先に関しては、婚姻以来多大なる経済的援助(新居購入やその後の住居買替転居の際)の恩恵で我が家が成り立っている事実に感謝している。
 片や我が実家に関しても、両親共々定年まで公務員を全うした家庭故に年代的に十分な公的年金に恵まれ(父は既に死去)、ただの一度も子供にカネをせびる分野の被害は経験していない。

 では何故、私が「親との決別の仕方」なる切羽詰まったエッセイを綴らねばならなかったの理由を、今一度解説しよう。 
 郷里にての短い実親との同居期間中に、親の考えの偏りや至らなさ故に元々天邪鬼気質が強靭かつ感受性が強い私は、精神的圧迫を大いに受けて育たざるを得なかったものと分析する。 そんな私は新卒就職先を東京にターゲットを絞り、親を郷里に残して単身にて上京して今に至っている。
 今後も一切、郷里へUターンなどとの志向は断固としてない。  東京に骨を埋める段取りを既に実施し、自分の永代供養場所を都内に確保している。


 さて、話題を変えよう。
 朝日新聞2016.5.11 「介護あの時、あの言葉」の今回の記事は 俳優 秋川リサ氏による 「『娘なんて産まなければ』に衝撃」 だった。
 その前半の一部を以下に要約して紹介しよう。
 同居していた実母(88)が認知症と診断されたのは7年前のこと。 症状が進むと深夜に外出して何度も警察に保護される等の対応に追われた。 2010年のある日、着替えやオムツ交換のため母の部屋へ入り、クローゼットの中から母が綴った過去の日記を発見した。 何気なく開くと目に入って来たのは私やかつての夫に対する罵詈雑言だった。 中でも「娘なんか産まなきゃよかった。一人で生きている方がよほどよかった。」なる言葉には傷つくと言うより喪失感を抱いた。 私の人生何だったのだろう、と本当に打ちのめされた。 夫婦なら嫌なら別れる事が可能だ。 血のつながった親子は分かれることが出来ない。」 それでも、介護の日々は続く…。 
 (以上、朝日新聞記事前半部分よりごく一部を要約引用したもの。)

 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 上記秋川リサ氏の事例の場合、リサ氏が若き頃にモデルの仕事を始め世に名が売れ始めた頃より、実母の生計をリサ氏がずっと支えて来たとの事だ。 その時の実母の日記には「生活の面倒を見てくれているかと言って、偉そうに」とも記載されていたらしい。
 この文言を、モデル時代の当時にリサ氏が読まなかったことを幸いとしたいものの…  まさに、それをリサ氏が見なかった事により、この母親の生命が未だ繋がっているとも考察可能だ。
 秋川リサ氏の母上が現在も存命との故、ここでは私からは失礼な発言は控えるべきだろう。 それにしても今尚そんな愚かな認知症実母に対し、優しく接しているリサ氏を尊敬申し上げたい思いにもなる。 

 そんな秋川リサ氏は、朝日新聞記事の最後で結論を述べられている。
 「親子なら何でも許される訳ではないということを私は母から教わった気がする。 親子だからこそ気を使わねばならないことがある。 親の仕事とは子育てをしてそれで終わりでなく、どう死に別れるかまで、ちゃんと見せなきゃいけない。」

 実に実に、秋川リサ氏の朝日新聞最後の発言に100%同感する原左都子だ。


 そんな私は5月末より1週間程、郷里に一人暮らす実母を「介護施設入居」へ誘(いざな)う目的で久しぶりに実家へ帰る計画を立てている。

 たった一週間未満程度の郷里滞在のため事前に効率良く物事を進めたいと志す私は、ここのところ度々郷里の実母と電話連絡を繰り返している。
 ところがどうしたことだろう??  高齢域に達して以降いつも強気で“自分の考えの方が正しい!”と、頭脳明晰な???娘の私相手に断固と主張する母が、ここのところ弱気に転じているではないか。

 少し前より、実母なりの特異的な「認知症状」が出始めているのかと懸念していたが、あの強気の実母の電話での態度が奇妙になった事に気付かない私ではない。
 近年の電話では、私の話の内容が気に入らないと直ぐにガチャッ!と電話を切って喧嘩を売る母が、ここのところ、たとえ会話内容が物別れに終わろうが、どういう訳か電話を切る間際に「電話ありがとう」などと健気にも言うのだ!
 しかも我が実母は、40年近く前の遠い過去に上京して自立した実娘の私が、現在有料高齢者介護施設に入居中の義母の身元引受人として全力を尽くしている事も理解出来ている。  電話でいつも実母が言うには「お義母さんを大事にしてあげて。貴方が今一番に果たすべき役割はそれだよ。」なのだ。 我儘な実母がその言葉を電話にて欠かさない事実も私にとっては多少不可思議だが、これぞ実母の心身状態の健全さがある程度失われていない事と善意に解釈して安堵せんとしている。


 とにもかくにも、久々に5月末より郷里に一人暮らす実母の実家を単身で訪れ、その“老いぼれ実態”をとくと観察して来ようと志している。

 誰しも、親族が特に高齢域に達した暁には、健全な関係とは保ちにくいものであろう。
 
 それでも、身内高齢者の失い行く心身状態の一部に一抹の光が見えるなら、その光を大事に受け止め出来得る限り対応したい思いは、義母・実母を問わずこの天邪鬼の原左都子にもある。

学校による「障害児カルテ管理」導入案に異議申し立てる

2016年05月17日 | 教育・学校
 表題に掲げた懸案に関する新聞報道に触れた直後より、私は様々な理由にて不安感を抱かされている。


 上記報道を紹介するに先立ち、冒頭より報道内容に対する我が不安感に関して、以下に思いつくままに列挙させていただこう。

 まず今回の学校に於ける「カルテ導入」案とは、「障害児」に的を絞っている点が大いに気にかかる。
 障害児と一言で言っても子ども個々の個性や家庭環境等が相俟って、その実態に多様性があるのが実情だ。 特に近年に至っては「発達障害」等、「障害」と「健常」のボーダーラインが不透明な児童の存在が認識されるに至っている。 そんな混とんとした時代背景下に於いて、個性ある生徒の一部に「障害児」のレッテルを貼りその制度を強制適用する事は、差別意識を煽る等々様々な意味合いに於いて問題が大きい。

 学校現場で「障害者カルテ導入」するとして、そのカルテを一体誰が作る能力があると言うのか?
 まさか学校の教員ではないと信じたい。 と言うのも、大方の学校教員とはそもそも医学知識がほとんどないものと私は理解している故だ。 
 医療現場や障害児教育研究専門機関とて、特に「発達障害」などの場合、その診断が担当医や研究者により食い違う事態が考えられ困難を極めるものと、我が経験則として指摘したい。
 
 しかも文科省案によれば、そのカルテは小学校入学から高校卒業まで12年間の長きに及び学校へ次々と引き継がれるという。
 その弊害も指摘しておきたいものだ。 保護者の考えとして、「成長を遂げている我が子には、今後は健常者としてこの世を渡らせたい」と志そうが、そんな「カルテ」が存在するがばかりにいつまでも足を引っ張られる事態が予測されるのも悲劇だ。  


 それでは、朝日新聞2016.5.15 一面記事 「障害ある子 学校が『カルテ』20年度以降 小中高通じ支援へ」 を要約して以下に引用しよう。 
 障害のある子どもを小学校から高校まで一貫して支援し進学や就労につなげるため、文科省は進学先にも引き継げる「個別カルテ(仮称)」を作るよう、各校に義務付ける方針を固めた。 通常学級に通う比較的軽い障害や発達障害の子どもも対象で、2020年度以降に導入する。 個別カルテには、子どもの障害や健康状況、保護者と本人の希望や目標等を書き込む。 卒業後は進学先に渡し、子どもの状況を把握してもらう。 
 現在の学習指導要領では、子どもの「個別教育支援計画」や「個別指導計画」を作るよう指導しているが義務化はしていない。 15年度調査によれば、公立小中の1割、公立高校の4割が作成していない。 さらに、これらを次なる進学校に引き継ぐかに関しては、各校が独自に判断している。
 個別カルテは、現在の指導実態を元に、小学校から高校まで引き継ぐことを前提とした書式を目指す。 文科省は20~22年度に順次始まる小中高の新学習指導要領での義務化を検討する。 私立高校までに広げるかは今後検討する。 文科省は、カルテの詳しい中身や個人情報が漏れない仕組みを詰める。
 (以上、朝日新聞5月15日朝刊一面記事より要約引用したもの。)
 

 ここで一旦、原左都子の私事及び私見に入ろう。

 本エッセイ集バックナンバーに於いて、私はそもそも文科省や地方自治体教委が操るところの公立学校義務教育課程を、肯定的に捉えていない人間である事を表明し続けている。
 義務教育とは週3日程で十分であり(要するに公立義務教育を完全否定はしていない)、後は保護者の判断で子どもの適性に応じた目標を持ち自由選択的環境下で子どもの能力を育てるのが理想、なる私論を幾度となく述べて来ている。
 それが叶わぬ故に我が子を公立小学校へ強制入学させたものの…。 当該公立小学校にて“いじめ”等の被害に遭った暁には、すぐさまその場から逃げるとの判断をし転校との強行手段を採った。
 中学以降は、文科相や地方自治体の管理が及ばない私立学校に入れる事を視野に入れ、それを実行してきた我が親子だ。

 後で思えば短い我が子の公立小学校期間だったが、それでも親の意思で小3にて転校させる時に、「まさか前校の情報を転校先に伝えられるのだろうか?」なる懸念を抱かされた。 
 と言うのも、娘の新たな小学校でのスタートに先立ち、信憑性無き書類によるのではなく、是非共保護者の私の口から直接担任先生に娘の現在の実態を伝えたかったのだ。
 前校の担任より下手な情報を提供されたものならばとんでもない!感覚に苛まれていた私は、早くも娘の転校前に転校先の小学校を我が子を引き連れて訪れ、担任(予定)先生と少しの時間だが面談を持たせてもらったものだ。 そんな保護者としての熱意だけは、転校先に伝わった様子だった。

 別の観点からの私見だが、学校教員とはそもそも医学専門知識を伴っていないのが普通であろう。
 もちろん日々学校現場にて子どもの様子をみている立場として、経験的にそれを習得している部分も認める。 ただ、これが難病・奇病等経験外の事態の場合は、やはりたとえ教員と言えども発言を控えるべきかと私は指摘したい。
 我が娘に話を戻すと、幼少の頃より中学1年生時に至るまで40度を超える「不明熱」を繰り返した。 時の経過と共にその頻度が少なくなり今となっては一切その症状が出ない事に安堵しているが、小学校低学年の頃まではこの対応に母として難儀させられた。
 担任とのやり取りに於いて娘の「不明熱」に関して議論対象となり、それが学校長面談にまで発展してしまった経験がある。 元医学関係者の私として「不明熱」に関する医学的情報を学校へ十分に提供しているにもかかわらず、“仮病”で処理したい担任が、娘の欠席を校長にまで訴え出たのだ。 ただそのお陰で、保護者の私は校長との直接面談が叶い、娘が度々発症する40度を超える発熱の理由を学校長に理解してもらえた事は収穫だった。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 文科省が実行せんとしている「障害児強制カルテ管理」も、児童が育っている家庭環境やその保護者の実態によれば一部では実行力はあろう。

 要するに我が私論としては、この懸案に関しても障害児全員強制ではなく、あくまでも「任意制度」の位置付けとして保護者の自由意思に任せるべきと考える。

 何故、いつもいつも文科省や地方自治体教委は、“保護者皆の上位に君臨し続けたい”との思想を貫くのだ??
 少しは身の程を知りながら、特に義務教育課程に於いては保護者多様性の観点に立ち、今後の事案を処理する事を望みたい。

実力を伴うならば学歴も自己ブランド価値となろう

2016年05月14日 | 教育・学校
 「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて、幾度か「学歴」をテーマとしたエッセイを綴り公開している。
  
 その中から2エッセイを取り上げ、原左都子の結論部分のみを今一度公開させていただこう。

 まずは、2013.11.4 バックナンバー「学歴が高過ぎて何が悪い!?」
 原左都子の結論を述べよう。 それでも分かるのだ。 今現在、就職難に立ち向かっている若者が置かれている理不尽な立場が。
 要するに我が国日本に於いては過去の教育行政の失策故に、今になって尚「学歴」なるものの信憑性の程が不確実である事実を痛感させられる。
 もしかしたら将来の職業につながりにくい「文系」出身者を筆頭に、その就職不確実性が顕著ということであろう。 それを各種民間企業側が悪用して、採用後まもない時期から生産性に直結しない使い物にならない高学歴者をとっとと切り捨てている現状ではあるまいか? そうであるとしたならば、高学歴者を切り捨てる民間企業側の身勝手な論理も叩かれるべきということだ。
 何はともあれ、自分の実力とは自分自身が本気になって磨こう。
 学歴を身につけるのもその一端と志向して、私など30代半ば過ぎてから「大学院修士課程修了」の学位をゲットした。 現在に至っては我が意に基づく就職先には恵まれないものの、学位取得の経験とその実績は今尚私自身の生活上大いに役立っている。(自らの不動産賃貸管理、あるいは義母の財産税務管理等々の実務に於いて。)
 学歴が高過ぎようと、自分自身が一生に渡りその学問経験を有効活用可能ならば何らの支障も無い事は元より、世間からバッシングされる筋合いなど皆無なのはもちろんの事だ!
 (以上、当エッセイ集バックナンバーより結論部分のみを引用したもの。)

 次に、2009.11.4 バックナンバー「博士の行く末」
 「修士」はともかく、「博士」の学位を取得すると就職の受け皿がないという話をよく耳にする近頃である。 博士の方々の就職難の実態が気の毒にさえ思えてくる。
 私事で恐縮だが、我が家にも「博士」が1名いる。  我が家の博士は“理学博士”なのだが、自分自身の研究者としての意思と希望を優先するために、やはり“真っ当な”就職までには難儀した人物であるらしい。(“らしい”と表現するのは、私はこの人物が親掛かりを離れて自力での生活が安定して以降に知り合っているためである。) 我が家の博士の場合、学位取得後、理系の博士に多い“ポスドク”(ポストドクター = 任期付きの博士研究員)を2大学に於いて経験している。 その間に科学誌“ネイチャー”に研究論文を発表した後、30歳代半ばになってやっと日本の某企業の研究所に就職を決めたとのことである。  それでも、我が家の「博士」の場合はその頃の時代背景にも助けられ、遅ればせながらも就職先にありつけ、その後は一応安定収入を得つつ現在に至っているため、まだしも恵まれている方なのであろう。
 「博士」の“数”だけ増やせばよいと安易に考えた文科省の政策は、やはり失策だったのではなかろうか。 そして、その責任を教育現場の大学になすりつけて済むと言う話でもないであろう。 今後は大学の意識改革の下に、研究分野の専門能力のみならず、この厳しい経済社会で真に活躍できる総合的な能力をも兼ね備えた人材の育成に取り組んで欲しいものである。
 そして、「博士」等の学位取得を目指そうとする人々やその保護者の皆様にも提言申し上げたいのだが、学位を取ればどうにかなる時代など、とうの昔に終焉している。 どのような分野であれ、確かな実力があってこそ渡っていける世の中である。 それを肝に銘じて精進していただきたいものだ。 
 (以上、同じく当エッセイ集バックナンバーより引用したもの。)

 ついでだが、私は娘が大学4年に進級するに先立ち、以下のような指導・アドバイスをしている。
 もしも貴方が大学院進学を目指したいのならばその学費を親が負担してもよいが、それには条件がある。 必ずや大学院進学に関して自らの明確な学問・研究ポリシーを持つ事。 大学院に於いては、その学問研究及び修士論文作成に全力投入する事。 大学院修了時には、自分が大学院にて励み獲得した学位を誇れる程の実力を身に付けておく事。  それらの一つでも達成不能と判断するならば学費負担はしない故に、就活に精を出して自ら就職先を確保せよ。
 結果として、我が娘は後者の就活を選択した。 現在新入社員として職場の諸先輩の方々に“絞られて”いる様子だ。


 さて、話題を変えよう。

 本日(5月14日)朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、20歳 大学3回生女性による、「母親に学歴上げろと言われて」 だった。
 早速、その相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 20歳のこの春大学3回生になった女性だが、そろそろ就活のことや将来自分が何をしたいかを考えねばと近頃思うようになった。 その矢先、母親から電話があり「大学院に行って」と言われた。 母親が言うには、私が今通っている大学を卒業するとそれが私の学歴となるのでそれが許せない、との事だ。 現在私が通っている大学を上回るレベルの国立大学大学院に進学しなさい、と言う。 私は悲しくなった。 どうして私の人生を親に言われた通りに生きねばならないかと。 そして、社会に出ると学歴だけで人は判断されてしまうのかと。 親の意見に構わず、自分のしたい事に突き進んでいいだろうか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より要約引用したもの。)

 とりあえず、原左都子の感想を述べよう。

 一体どうしたんだ?  何とも低レベルな母娘の確執に娘さん側が悩んでいる様子に驚かされる。
 相談内容から察するに、どうやらこの娘さんは実家を離れて大学へ通っている様子だ。 そしておそらくこの娘さんは、大学3年生にして明確な将来目標を持っていないと推測出来よう。 まあ確かに特に文系学部の場合、それは致し方ないかもしれない。  で、母親から「大学院へ進学せよ」と電話で言われ、やっと学歴社会を垣間見たのだと??  しかも、自分がやりたい事に突進していいのか?と相談内容にあるが、肝心の「自分がやりたい事」すら何もない事実に唖然とさせられる。

 片や、母親側の“愚かさぶり”にも心が痛む思いだ。
 おそらくこの母親自身が大学院経験が一切無いと推測するが、そもそも大学院とは大学とはまったく異なり、いわゆる“偏差値”で評価するべき学問の府ではない。 故に、この相談者の母親氏が言われるところの「(娘さんが現在通っている)大学を上回るレベルの国立大学院へ行け!」との指令自体が根本的に誤っている事実に母娘共々無知な事実こそが墓穴を掘っているのだ。
 例えば東大を例に挙げると(私自身が過去に東大大学院法学研究科修士課程を狙い願書を提出した立場だ。残念ながら「民事訴訟法」の学習が間に合わず受験を断念したが…。) 大学に関しては超難関(とは言えどもあくまでも偏差値レベルの話であるし、学部間差異も大きい)であるとして…。  大学院とはそもそもその存在命題が大学とは異質であり、他大学や外国人入学者の学問・研究有志に対し門戸を開いて歓迎している学問研究機関であるため、様々な個性溢れる人材が在籍している。 特に東大大学院の場合、院生数が何千人規模と膨大で、他大学や一般人・外国人の入学者が多いと心得ているが。
 要するに、大学院に「学歴」を求める母親の要求自体が根本的に誤っているのだ。 私が思うには、この相談者の母親とは自分自身の狭い周囲の付き合いに於ける井戸端会議にて、単に「娘は現在〇〇国立大学大学院へ通っているのよ!」と自慢したいレベルの話ではなかろうか? 
 大学院に真に興味があるならば、娘さんではなくお母様ご本人が入学される事を是非お勧めしたい。 


 そうした場合、上記“悩みのるつぼ”相談に対しては、今回の回答者であられる評論家 岡田斗司夫氏の回答が的を射ている。
 (参考のため原左都子の回答に関しては、冒頭に紹介した我がエッセイ集バックナンバー等々にて既に幾度となく述べている。)

 以下に、岡田斗司夫氏による“悩みのるつぼ”ご回答の一部を紹介して締めくくろう。
 「学歴だけで人は判断されてしまう?」 「社会に出るとみんな学歴で判断する?」 答えはすべてノーです。  (中略)  学歴とは「セールスポイント」の一つではある。 それが無い人は逆を考えよう。
 どこでも構わないから、とりあえず雇ってくれる会社を見つけて働いちゃう。 そこでやりたい事を見つけるのがポイント。 母親や自分のプライドを納得させるのはずっと後回しにしよう。 本当にしたい事よりも、「自分はどう役に立つのか」を考えた方が、たぶん幸せになれる。

 いやはや、まったくもって現在の原左都子の娘とは、大学での専攻とはまったく異なる分野への就職をゲットし、岡田斗司夫氏が言われるところの「自分が社会に如何に貢献出来るか!?」なる課題に対する自分なりの答えを求めるスタートラインに立ったばかりだ。  

舛添都知事、公金私的流用疑惑で居直り続けるのはみっともないよ

2016年05月11日 | 時事論評
 つい先ほど、ネット報道にて見た舛添東京都知事に関するニュースを以下に紹介しよう。

 東京都の舛添要一知事の資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」(解散)が「会議費」名目で千葉県内のホテルに支出した約37万円が、家族旅行に充てられ政治資金規正法違反(虚偽記載)の疑いがあると5月11日発売の週刊文春が報じた。 舛添氏は同日午前、報道陣に対し「事務所に調べるように指示した。精査が終わればコメントしたい」と述べた。
 同研究会の政治資金収支報告書によると、研究会は千葉県木更津市の「龍宮城スパホテル三日月」に2013年1月3日に約23万8千円、14年1月2日に約13万3千円を支払っており、支出目的はともに「会議費用」となっている。 週刊文春は会議ではなく家族旅行だったとする関係者の証言を紹介し、政治資金規正法違反(虚偽記載)の疑いがあると指摘した。
 舛添氏は報道陣から自身の記憶ではどうかと問われたが、「不正確なことは言いたくない」と話した。
 (以上、本日5月11日先ほどネットにて見た報道より引用したもの。)


 上記“事件”発生以前の4月下旬にも、舛添氏は公用車の私的利用に関して問題を起こしている。

 早速、ネット情報よりその事件報道を以下に紹介しよう。
 ネット表題: 舛添知事、公用車で湯河原の別荘通い 「全く問題ない」 2016年4月27日19時19分
 東京都の舛添要一知事が昨年5月からほぼ毎週末、神奈川県湯河原町の別荘と都庁などの公務先を運転手つきの公用車で行き来していたことがわかった。 都が27日、明らかにした 。舛添氏は「ルールに従ってやっている。全く問題はない」と述べた。
 都によると、公務先と別荘の送迎で公用車を使用していたのは、記録が残る昨年4月1日から今月11日までで計48回。 自身が役員を務める会社「舛添政治経済研究所」が所有する事務所が別荘にあるという。
 舛添氏は「一番静かで仕事ができる。健康を保ち頭を整理して都民のために働く態勢を整えるのは、知事として重要な役割だ」と説明。 週末を中心に通って都政に関わる資料を読み込むなど、翌週の公務に備えていたという。
 湯河原町と都庁の距離は約100キロ。 移動に2時間ほどかかるが、都の決まりでは知事の公用車は、発着点のいずれかが公務に関わる場合は距離や時間にかかわらず使用が認められている。
 災害発生など緊急時に登庁できない恐れについて、舛添氏は「湯河原には緊急連絡無線もある。私の経験では奥多摩より早く都庁に戻れる」と述べた。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)

 ここで、原左都子の私見に入ろう。
 舛添東京都知事に関する上記“湯河原別荘”ニュース報道を、私はおそらく4月28日のNHKのニュース報道にて最初に見聞した。
 その時の我が印象を語ろう。 「へえ、舛添さんもそういう事をやっていたのね~~。 まあ考えられるけど。 何と言っても現在の東京都は4年後の東京五輪に向けて躍起になっているとも言えるし、それに関して舛添さんは出過ぎもせず消極的にもならず適度な関係を国家及び都民と築きつつ、自分では上手くやっていると図に乗っているんだろうなあ。  それにしても、昨年4月から48回にも渡り自分の別宅に公用車を走らせたのだと???  その行動が自分の都知事運営にとって、自分に適合していた故に合法だったと?!?」
 ただ、私はメディアの報道に応える舛添氏の“笑み”の中に、「やっちゃった… しまった!」なる怯えた影の表情を見逃していない。 
 「えーー。慎重に湯河原まで行ったつもりなのに、メディアに後を付けられていたのか……」 そんな舛添氏の大失敗感覚による“歪んだ笑み”を、哀れにすら感じていたところだ。

 そうしたところ、やはり続報とはあるものだ。
 それぞ、冒頭に記した「舛添都知事公金家族旅行流用事件」なのだが。
 当該事件に関しては、舛添氏本人が回答保留としている事を一都民として救いに思うものの…



 私は、2015.4.3付バックナンバーにて、「政治家も医師も労働対価以外の金銭授受は慎むべき」なる表題のエッセイを公開している。
 当該エッセイに於いては、世に「先生」との敬称にて奉られ、十分な労働対価にも恵まれているであろう“上層階級”に位置していながら、何故意地汚くも法外金銭授受を甘受せんとするのかに対し厳しい指摘をしている。

 以下に、その内容の一部を振り返らせていただこう。
 庶民には厳しく、自分たちには大アマな安倍内閣の金遣いが明らかになった。 2015年3月30日の衆院予算委で、石破茂地方創生担当相が高級公用車を短期間で乗り換えていた事実を指摘した。 内閣府の運用ルールでは、大臣の公用車は「12年間使用か10万キロ走行」をメドに買い替えるのが一般的。 これに大いに反する石破氏の公用車買替実態の我儘ぶりであり、庶民がカツカツの生活費で暮らしているのにフザケた金銭感覚だ。 いやはやまったくもって“恥知らず”のみっともない醜態を国民に晒した石破氏だが、カネに関する感覚が麻痺しているのは政治家のみならず、医師も同様の惨憺たる有様だ…。
 (当該ネット情報は医師の金銭授受に関しても指摘しているが)、医学経験がある私に言わせてもらうならば、とにもかくにも“医師中心の医療業界ピラミッド虚像構造”こそがどうにかならないものか!と結論付けたいものだ。  
 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
 政治家先生達や医師先生達。  貴方達は本気で根拠無き巨額の金銭を受け取る事を“自分らの当然の権利”と認識してしまっているのだろうか??    少しはこの世に生を受けた人間として、「恥を知ろうよ」。 自分自身が成し遂げた“労働対価”以外の金銭を深い思慮もなく安易に受け取るその姿とは、経済弱者である庶民達の目線からは“醜いブタ”すなわち“乞食同様”に映り、実にみっともないとしか表現しようがない。
 もしもこの世を“上から目線”で操っている(と勘違いしている)政治家及び医師諸先生方が、少しは我が身を省みて「恥を知る」観点に立てたならば、世はもっと活性化するとの未来展望がありそうな気もする。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を紹介したもの。)


 舛添さん。 貴方が知事に選出された東京都とは確かに税収に恵まれ、自治体として経営破綻なる言葉とは対極の存在である事は東京都に住む私も理解している。

 ただそれに甘んじ安穏と公的資金(都民からの税金)を私的流用せんと企む、その麻痺感覚に陥った精神構造の程は、一体どうしたことか??
 政治家の多くがその麻薬に引っかかり身を誤っている現状に、貴方も同調してしまっているのか?

 よくぞまあ、舛添氏の公的資金汚染の実態をメディアが報道してくれたものだ。
 が、これでまた舛添氏が辞任すると想定した場合、堂々巡りで繰り返される政治家の金銭的醜態を想像すると、血税を払い続ける一庶民としては、やるせない思いと共にとことん嫌気がさすというものだ。

老いるのが嫌なら「若死に」するしかないよ

2016年05月09日 | 医学・医療・介護
 先週5月6日のNHK「スタジオパーク」のゲストは、武田鉄矢氏だった。

 この方、若き頃にはあの独特のストレートロン毛ヘアスタイルの印象が強烈だったせいか“デカ顔”ばかりが目立ち、我が目には何とも“ブサイク”な男性にしか映らなかった。(武田鉄矢さん、大変なご無礼発言をお許し下さいますように。)
 私の場合「金八先生」とやらの、世間を一世風靡したらしきドラマを一切見ていない。
 ただ、後にそのドラマ内で海援隊が歌った(?)「贈る言葉」との楽曲により、武田氏をやっと肯定的に評価出来るようになった。


 と言うのも、この曲には私なりの“涙無くして語れない”思い出があるのだ。
 現在尚この歌を歌番組等にて聴いては、当時の光景と情感が脳裏に蘇り、どうしても涙ぐむ(と言うより号泣すると言った方が正解だが)私だ。

 その思い出とは、我が30代前半の勤労学生時代に、夜間東京丸の内(の旧丸ビル最上階)でラウンジコンパニオンをしていた時の出来事だ。(この話題に関しては「原左都子エッセイ集」初期のバックナンバー、「パーコン」及び「丸の内でのお仕事」に於いて詳細を綴っておりますので、よろしければご参照下さい。)
 顔見知りの顧客が、「この若造が名古屋に転勤になりこれから送別会2次会にカラオケに行くんだけど、貴女も来てくれる?」とのお誘いを受けた。 飲兵衛かつカラオケ大好きな私は即座に「喜んで!」なる回答をして、その送別会2次会に同席した。
 皆がカラオケを楽しみ、最後に当該名古屋転勤の張本人が歌って最後を締めくくる事となった。 そしてセレクトした楽曲が「贈る言葉」だ。 本来ならば見送ってあげる立場の人間が歌うべきなのだろうが、誰もそれを選曲しなかったため、地団駄踏んでいた本人がやむを得ず最後に自分で歌おうと志したのだろう。
 その歌唱力の程が素晴らしく皆で聞き惚れていたのだが、途中から感極まって本人が泣き始める。 ついに皆で立ち上がり、大合唱が始まった!  転勤者本人の涙が号泣と化し、涙もろい私も一緒に号泣した。
 あの時の「贈る言葉」の感極まった印象が、今尚我が脳裏に刻み付けられているのだ。


 冒頭から私事が長引いたが、上記のごとく私は1980年代半ば頃までは武田鉄矢氏のことを単に“ブサイクな男”としてしか捉えていなかった。

 この我が視点が豹変したきっかけは、上記の名古屋転勤若造を送る2次会への出席であり、はたまた(時代が大きく飛ぶが)現在BSジャパンにて金曜夜9時から放映されている「武田鉄矢の昭和は輝いていた」を時折視聴し始めてからだ。

 ここでついでに、私は上記の「昭和は輝ていた」なる番組にも思い入れがある事を語らせて頂こう。
 当該番組は激動の時代であった昭和に焦点を当て、主たる司会者である武田鉄矢氏を中心にゲスト出演者達と共に昭和時代の「人」「モノ」「出来事」から毎回テーマを決め、昭和を振り返る番組である。

 この番組に於ける武田鉄矢氏の番組進行力が実に素晴らしいのだ!  もしも下手な司会者ならば、ゲストの発言を遮ってまでも自分の発言を最優先するところ、武田氏は十分にゲストやアシスタント局アナの話までをも「聞く耳」をお持ちなのだ。
 この武田氏の対応力に感嘆している私は、現在に至っては遅ればせながら武田鉄矢氏のファンだ。

 
 そんな武田鉄矢氏が登場した、5月6日のNHK「スタジオパーク」を私は見逃していない。

 今回の武田氏側のトークのテーマとは、ご自身の「老い」 だったと私は結論付けるのだが、そのトーク内容も興味深かった。
 武田氏曰く、「自分も老齢域に達し、不覚にも心臓の手術をするためある程度の期間病院に入院した経験がある。」 
 その際のご経験のトークが実に面白く、我が身に響いたのだ。
 要約して記すと、武田氏は入院中に同じく入院中の某高齢者女性と知り合い、病院内で会話をしたそうだ。
 武田氏曰く、「高齢になり老化が進むと、病気に苛まれてしまうのが嫌ですね…」
 それに高齢者女性が応えて曰く、「老化が進むのが嫌なら、若死にすればよかったんだよ」

 一旦私論に入るが、何とも哲学的なご回答だ。 これ以上の回答は無いと私も唸った。 武田鉄矢氏にも素晴らしい病院内の「出会い」があったものだ。

 
 最後に、原左都子の結論私論に入ろう。

 まさに、世には「老化」を嫌う人物で溢れている感覚がある。
 何故、自らの「老化」を自分自身が認め受け入れられないのであろうか?

 かく言う私自身も、もしも病院内で偶然武田鉄矢氏に遭遇したとして、「老化が進むのが嫌やら、若死にすればよかった」なる究極哲学的回答を返せないであろう。
 ただ、そんな力量が無い私にして、「老化」を受け入れてこそ今後の我が未来がある!との発想には根強いものがある。 

 表題に戻そう。
 まさか、老化が嫌だから「若死に」しておけばよかった。 などと本気で真剣に考えている人間は皆無であろうと信じたい。
 そうした場合、必ずや誰しも高齢化を避けては通れない運命にあろう。
 それを自らの課題として真正面から力強く受け入れてはどうなのか?!  そのエネルギーこそが、自身の「老化」を多少は阻止するであろうし、その課題をクリア出来そうにも私は思うのだが。 

 (余談だが、明日予定通り女優のオーディションへ行きますよ~~。 何がどうなるやら、海千山千の私としては、とっても楽しみで~~~す。 へっへ。