原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

義母よりも実母との関係維持がよほど難しい

2016年05月19日 | 人間関係
 「原左都子エッセイ集」 2014.5.14 バックナンバー 「子にカネせびる“ダメ親”との決別の仕方」は、公開から約2年の月日が経過しているにもかかわらず、現在尚我がエッセイ集 Popular Entries にほぼ連日ランクインしている人気エッセイの一つである。

 このバックナンバーが何故それ程に人気を博しているかの理由を自己分析するに、おそらく現世は特に“金銭問題”に於ける「親子関係」に悩む人種で溢れているとの背景があろうかと推測する。

 私は当バックナンバーの結論部分に於いて、以下の記述をしている。
 この世に於ける人間関係において、“血縁”も含め「親族」関係程鬱陶しいものはない。
 捨て去るならば早い決断がものを言う、というのが私の持論である。
 「捨て去って」以降、お互いに“依存関係なき状態で”距離を置き長い年月が経過すれば、意外と良き関係が取り戻せるものとも、私自身の経験からアドバイスしておきたい。


 ところが幸いにも、私の場合は嫁ぎ先も含め両方の親達から“金銭問題”にて迷惑を被った経験は一度も無い。
 むしろ特に晩婚嫁ぎ先に関しては、婚姻以来多大なる経済的援助(新居購入やその後の住居買替転居の際)の恩恵で我が家が成り立っている事実に感謝している。
 片や我が実家に関しても、両親共々定年まで公務員を全うした家庭故に年代的に十分な公的年金に恵まれ(父は既に死去)、ただの一度も子供にカネをせびる分野の被害は経験していない。

 では何故、私が「親との決別の仕方」なる切羽詰まったエッセイを綴らねばならなかったの理由を、今一度解説しよう。 
 郷里にての短い実親との同居期間中に、親の考えの偏りや至らなさ故に元々天邪鬼気質が強靭かつ感受性が強い私は、精神的圧迫を大いに受けて育たざるを得なかったものと分析する。 そんな私は新卒就職先を東京にターゲットを絞り、親を郷里に残して単身にて上京して今に至っている。
 今後も一切、郷里へUターンなどとの志向は断固としてない。  東京に骨を埋める段取りを既に実施し、自分の永代供養場所を都内に確保している。


 さて、話題を変えよう。
 朝日新聞2016.5.11 「介護あの時、あの言葉」の今回の記事は 俳優 秋川リサ氏による 「『娘なんて産まなければ』に衝撃」 だった。
 その前半の一部を以下に要約して紹介しよう。
 同居していた実母(88)が認知症と診断されたのは7年前のこと。 症状が進むと深夜に外出して何度も警察に保護される等の対応に追われた。 2010年のある日、着替えやオムツ交換のため母の部屋へ入り、クローゼットの中から母が綴った過去の日記を発見した。 何気なく開くと目に入って来たのは私やかつての夫に対する罵詈雑言だった。 中でも「娘なんか産まなきゃよかった。一人で生きている方がよほどよかった。」なる言葉には傷つくと言うより喪失感を抱いた。 私の人生何だったのだろう、と本当に打ちのめされた。 夫婦なら嫌なら別れる事が可能だ。 血のつながった親子は分かれることが出来ない。」 それでも、介護の日々は続く…。 
 (以上、朝日新聞記事前半部分よりごく一部を要約引用したもの。)

 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 上記秋川リサ氏の事例の場合、リサ氏が若き頃にモデルの仕事を始め世に名が売れ始めた頃より、実母の生計をリサ氏がずっと支えて来たとの事だ。 その時の実母の日記には「生活の面倒を見てくれているかと言って、偉そうに」とも記載されていたらしい。
 この文言を、モデル時代の当時にリサ氏が読まなかったことを幸いとしたいものの…  まさに、それをリサ氏が見なかった事により、この母親の生命が未だ繋がっているとも考察可能だ。
 秋川リサ氏の母上が現在も存命との故、ここでは私からは失礼な発言は控えるべきだろう。 それにしても今尚そんな愚かな認知症実母に対し、優しく接しているリサ氏を尊敬申し上げたい思いにもなる。 

 そんな秋川リサ氏は、朝日新聞記事の最後で結論を述べられている。
 「親子なら何でも許される訳ではないということを私は母から教わった気がする。 親子だからこそ気を使わねばならないことがある。 親の仕事とは子育てをしてそれで終わりでなく、どう死に別れるかまで、ちゃんと見せなきゃいけない。」

 実に実に、秋川リサ氏の朝日新聞最後の発言に100%同感する原左都子だ。


 そんな私は5月末より1週間程、郷里に一人暮らす実母を「介護施設入居」へ誘(いざな)う目的で久しぶりに実家へ帰る計画を立てている。

 たった一週間未満程度の郷里滞在のため事前に効率良く物事を進めたいと志す私は、ここのところ度々郷里の実母と電話連絡を繰り返している。
 ところがどうしたことだろう??  高齢域に達して以降いつも強気で“自分の考えの方が正しい!”と、頭脳明晰な???娘の私相手に断固と主張する母が、ここのところ弱気に転じているではないか。

 少し前より、実母なりの特異的な「認知症状」が出始めているのかと懸念していたが、あの強気の実母の電話での態度が奇妙になった事に気付かない私ではない。
 近年の電話では、私の話の内容が気に入らないと直ぐにガチャッ!と電話を切って喧嘩を売る母が、ここのところ、たとえ会話内容が物別れに終わろうが、どういう訳か電話を切る間際に「電話ありがとう」などと健気にも言うのだ!
 しかも我が実母は、40年近く前の遠い過去に上京して自立した実娘の私が、現在有料高齢者介護施設に入居中の義母の身元引受人として全力を尽くしている事も理解出来ている。  電話でいつも実母が言うには「お義母さんを大事にしてあげて。貴方が今一番に果たすべき役割はそれだよ。」なのだ。 我儘な実母がその言葉を電話にて欠かさない事実も私にとっては多少不可思議だが、これぞ実母の心身状態の健全さがある程度失われていない事と善意に解釈して安堵せんとしている。


 とにもかくにも、久々に5月末より郷里に一人暮らす実母の実家を単身で訪れ、その“老いぼれ実態”をとくと観察して来ようと志している。

 誰しも、親族が特に高齢域に達した暁には、健全な関係とは保ちにくいものであろう。
 
 それでも、身内高齢者の失い行く心身状態の一部に一抹の光が見えるなら、その光を大事に受け止め出来得る限り対応したい思いは、義母・実母を問わずこの天邪鬼の原左都子にもある。