原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者同士の友達付き合いは難しい!?!?

2024年05月25日 | 人間関係
 「友人」ねえ。

 そう呼べる相手との付き合いを、既に高齢域に入った私は現在しているのかと問われると。


 ここのところ同窓会のお誘いが重なり、級友たちと久々に会う機会はあった。

 特に、昨年秋に我が郷里にて執り行われた郷里医学部の同窓会では、実に久しぶりに旧友たちと楽しく相まみえることが叶った。
 当時の我が愛称は、「〇ちゃん」だったのだが。
 その同窓会に卒業して初めて参加したのは私のみだった。
 ほとんどの同級生は郷里に残ったりご自身の郷里に帰ったりしていたこともあって、卒業後上京したのは私一人であり。  会場に「〇ちゃんコール」(参考だが当時から我が愛称が「〇ちゃん」だった)が響き渡ったものだ。
 卒業から何十年(半世紀が過ぎようとしているにもかかわらず!!)経過しても その年月の長さにかかわらず。 当時の我が呼び名である「〇ちゃん」と皆が呼んでくれることが、心より嬉しかったものだ。😃 



  話題を変えよう。

 本日 2024.05.25付 朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談は、60代女性による「友人と距離を置きたい私は薄情?」だった。
 以下のその一部を引用しよう。

 学生時代の友人の事で相談する。 彼女は60代後半。 20代で親のすすめる相手と結婚したがすぐに離婚し、実家暮らしをしている。 体が弱いため50過ぎてから職に就かず、同居する90代の母親の年金で暮らしている、ひとりっ子だ。
 彼女とは年に数回食事をするつきあいだ。 親戚づきあいもないようで、もし将来私が入院したといは保証人になってくれないか、と頼まれた。 その時は断った。
 彼女は今一生懸命母親の世話をしている。 お母さんが亡くなられた後の友人も心配だが、私に何か頼られても困る。 正直距離を置きたい。 一方でそんなことを思う自分は薄情かと思う。 どのように友人と接して行けば良いか。
 
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談より引用したもの。)



 原左都子の私事と私見に入らせていただこう。

 学業・職業経験と 付き合う友人とは比例するのか??
 この私には近い過去において、上記相談内容のごとくの身体的欠陥や経済的困窮を抱えている友人と知り合った経験が皆無である事に気付かされる。

 人間関係に於けるいざこざや困惑に関するトラブル等の相談を受けることはあれど、友の上記相談内容ごとくの困惑を経験していないと言えよう。

 これ、たとえ友人と言えども、「入院時の保証人」や「母親の死後に至る相談」を受ける必要はさらさらないと判断できよう。

 
 今回の相談回答者は、社会学者の上野千鶴子氏だが。

 特に 友人のお母さんに関する相談に対しては、「医療保険や介護保険、場合によっては生活保護制度など、使える公的福祉の情報やノウハウ」を共に提供することを勧められている。
 上野氏がおっしゃる通り、それ以上の例えば年金の無い高齢女性の貧困を友が背負う必要など無くて当たり前であり。
 そんなこと、友ではなく専門機関に相談せよ! と上野先生同様に、私もその相談者の友とやらに言いたいものだ!!
 ここは きっぱりとその辺の事を友に教えるべきと、私も相談者に伝えたい。


 それにしても、“友達とは一体何だろう” と。
 高齢域に達して尚、問う必要があるべく付き合いなど 相手が誰であれ回避したいものだ。


 その点 この原左都子など、ランニングに出れば近隣の女性達から「頑張って!」の声援を頂けるし。
 我がマンション内の某高齢者女性が「膝は治りましたか?」と気遣って下さる等々、会う都度短時間の会話ができる環境下にあるし。

 そこそこ、軽めの人間関係に恵まれていると思える日々だ。