(冒頭写真は、2024.15.14付朝日新聞一面トップ記事より転載したもの。)
早速、当該朝日新聞記事 「65歳以上『孤独死』年6.8万人 政府データ推計 実態把握へ」の一部を以下に引用しよう。
孤独・孤立の問題への対策をめぐり、政府は13日、今年1~3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人が全国で計2万1716人(暫定値)確認され、うち65歳以上の高齢者が約1万7千人で8割近くを占める現状をあきらかにした。 年間の死者数は約6万8千人と推計される。 (中略)
今回のデータの公表は初めて。 今年1~3月、警察への通報や医師からの届け出で警察が取り扱った一人暮らしの遺体(自殺も含む)のうち、65歳以上の高齢者は6万8千人と推計される。 東京都監察医務院によると、20年に東京23区内で自宅で亡くなった一人暮らしの65歳は4207人で、15年前と比べて1.35倍に増えた。
内閣府は、孤立死をいったん定義し、「誰にももとられることなく死亡し、かつ、その遺体が一定期間の経過後に発見されるような死亡の様態」とした。
単身世帯の増加やコロナ禍などの環境変化に伴い、経済的困窮や自殺といった孤独・孤立にかかわる問題は顕著化している。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
この記事を見て、私が真っ先に思い出したのは。
今から既に十数年程前のことになるが、我が教職時代に一番お世話になった先輩女性教師の孤独死だ。
彼女(「Mさん」としよう)が亡くなったのは、生涯独身を貫いた一人暮らしの部屋だった。 (発見人はMさんのお姉さんだが)そのお姉さんより、死後十数日経過下時点で彼女の部屋にて孤独死している遺体を発見したとのご連絡だった。
私も40歳近くまで独身を貫いていた身にして、とにかくMさんとはツーカーの仲で実に馬が合った。 Mさんが勤務先の高校の近くに一人暮らしをしていた関係で、業務終了後にはよくMさんのお宅にお邪魔し、酒盛り((Mさんは飲まないのに飲兵衛の私にいつも楽しそうに付き合って下さった)したり、二人で居酒屋やカラオケ三昧したりと、夜遅くまで楽しく過ごしたものだ。
私が「出産退職」にてMさんよりずっと先に職場を去った後も、出産祝い等々の際には必ずや遠方から我が家にお越し下さって、我が娘を可愛がってくれたりした。
娘小6時に娘のバレエ発表会にその会場まで鑑賞しに来て下さったのが、Mさんにお会いした最後だっただろうか…
その後も電話にてよく話したり、手紙交換も続けていた。
享年69歳のMさんが自宅にて帰らぬ人になって、既に20年近い年月が経過した…
Mさんの場合は、実姉氏とのお身内が近県にお住まいだったのがラッキーだったのかもしれない。
死体発見はかなり遅れたにせよ、とにかく、死後の片づけやMさんを墓に入れるお世話はその実姉氏が滞りなく実施されたようだった。 (参考だが、Mさんは生涯独身にて高校教諭を長年続行された人物であるため、“金銭的蓄え”に関しては相当の金額保持されていたことだろう。)
その意味では 死亡直後は「孤独」であったかもしれないが、安心して“あの世へ行かれた”と表現可能だろう。
原左都子自身に話題を移そう。
この私も、「孤独死」が十分考え得る。
と言うのも 現在一緒に暮らしている亭主が私よりも年上のため,、順当にいくと先に他界するであろう??!?
我が娘も どうやら結婚願望は無く、おそらく今後も一人暮らしの現状維持を続行するのだろう。
先々、もしも私が「孤独死」した場合、いずれはこの一人娘に一番に連絡が入るのだろうが…
その事態を、今から懸念している私だ。 😱
なんせ40歳近くで高齢出産にて、やっとこさ産んだ我が一人娘だ。 私が死ぬ際には、娘は未だ現役バリバリで職業人として活躍中だろう。
そんな中 この私の葬儀のために娘に一日時間を割いてもらうのは、どう考察しても心外だ!!
表題の通り、この私自身は「孤独死」でよいのだが。
まさに、死後の我が処理を娘に委ねるのは実に心苦しい思いだ…