昨夜に引き続き、本日も「原左都子エッセイ集」バックナンバーよりの再掲載となるが。
安倍政権が先だっての7月の参院選前に、「今後は年金減らすから、自分で老後資金を2000万円貯めておけよ!」とホザいた記憶は国民の間で未だ新しい事だろう。
大企業などでは、60歳定年後も65歳まで延長雇用する制度が既に定着しつつあるようだ。 ただし仕事内容はレベルが下がり年俸も3分の1程度に抑えられるようだが、それでも妥協して仕事を続けたい人はそれに甘んじているとも聞く。
そんな状況下で、表題のごとくの“歪み”が発生するのも必然と言えるだろう。
それでは、2012.03.12公開の「定年後働きたい人材は周囲に迎合せねばならないのか?」と題するバックナンバーを、以下に再度掲載させていただこう。
我が亭主が(2012年)4月初旬に定年退職を迎える。
その事務処理に当たり、職場の定年退職業務担当者より「失業保険」の申請を勧められたのだと亭主が言う。 その場合、定年後すぐ職業安定所(ハローワーク)に通い、今後の就業に関して面談や相談を定期的に実施する事になるようだ。
亭主曰く 「この経済不況下の今時、年寄りには清掃か守衛の仕事位の紹介しかないだろうなあ」
それに応えて私曰く 「もしも奇跡的に自分の適職を紹介された場合、働く気はあるの??」
さらに亭主が冗談半分で応えるに 「処遇待遇にもよるが条件が良ければ働いてもいいよ」
(そんな都合のいい仕事が年寄りにある訳ないじゃんねえ~~。)
少し前に政府は、65歳まで働きたい人全員を雇用するよう企業に義務付ける方針を示した。
若者を始めとする現役世代とて超就職難のこの時代に、民間企業相手に“高齢者を雇用せよ”との政府の方針とは如何なものか、と呆れるのが原左都子の見解である。
世界規模での経済危機のこの時代背景の下、現状打開策として今現在早急に着手するべき課題とは、若い現役世代の雇用こそを充実させる事であるはずだ。 こんな時に何故政府は高齢者の雇用の充実を打ち出したのであろうか?
何年か前に“ワークシェアリング”が叫ばれた時代もあったが、その頃はまだしも“シェア”できる仕事が社会に存在していたからこそ、その議論が成り立った事と考察する。
ところが今現在は、老いも若きもが“シェア”するべく労働市場が貧困を極めている実態であろう。
こんな厳しい世の中に生きている庶民の現状を知ってか知らずか、民主党政権が国民のどの世代にもいい顔をしようとの魂胆で安直な“八方美人”政策を示したとて、“ないものはない”社会背景の中、企業の定年退職者が「ハローワーク」へ通わされる虚しさも少しは理解して欲しいものだ。
加えて忌々しき問題として、確かに高齢にして身を削ってでも働かねばこの世に生きていかれない貧困層が存在するのも事実であろう。
ただ、今回政府が立ち上げた「65歳まで働きたい人の雇用を企業に義務付ける方針」とは、切羽詰った高齢者の存在を救う話とかけ離れ、ある種“恵まれた人種”をさらに保護せんとの議論であることに大いに反発したい私である。
(結局は、官僚依存野田政権が得意とする“政府と大手企業との癒着”の範疇の話だよねえ~)
まあ確かに、たとえ大手企業に定年まで勤めたとは言えども定年後の暮らしがさほど豊かとは言えないのが今の時代のサラリーマンの現状であることも理解できる。
我が家のごとく高齢出産で産んだ子どもの学費が定年後に至ってまだまだ発生するご家庭も、今時少なくない事であろう。 親の介護や老人施設への入居にも多大な出費が伴うこととも推察する。
そうした場合政府の方針はさておき、定年後も働いて一家の生計を支えねばならないご亭主がこの世に少なからず存在することは想像がつく。
そのように定年後も一家を支えるため仕事を欲するご亭主相手に、定年後働くに際するアドバイスを提示したと思しき記事を(2012年)1月31日付朝日新聞で発見した。
朝日新聞1月31日付「耕論」ページの“65歳まで会社員ですか”との記事内から、原左都子が一番に異論を呈したい見識者氏の見解を以下に紹介しよう。
「愛嬌が一番、自慢話ダメ」と題する見解を綴った62年生まれ(現在未だ40代との計算になるが)の人材コンサルタント専門家と名乗る人物のご意見を以下に要約する。
大半の会社は高齢者に専門的な仕事を期待していない。 高齢者が持っているノウハウなど直ぐに役に立たなくなる。 高齢者に求められている資質とはひとえに「愛嬌」である。 逆に自慢話や愚痴は禁物だ。 今の高齢者は厚生年金をもらいながら働いているし「定年まで勤める」意識が強いので、再雇用されたら働く意欲が一気に下がってしまう故に定年を境にキャリアの断絶が起きている。 そのため高齢者は「愛嬌」だけでは済まなくなるが、能力を磨き続けるならば長い目で見れば日本の活力向上につながるはずだ。
(以上、朝日新聞記事より 日本能率協会勤務の小林智明氏と名乗る一社員 の見解より引用)
上記小林智明氏のご見解を、原左都子が今一度私なりにデフォルメしつつまとめ直して以下に再度紹介しよう。
定年退職後再雇用された高齢者達に職場は専門力など誰一人として期待していないから、まずは「愛嬌」を若者達に振りまこうじゃないか! 決して自分がこれまでに培ってきた(既に形骸化している専門分野の)自慢話を一つたりとて後進の若者に披露してはならないぞ! お前らはなあ、過去の馬鹿げた政治に安穏とした時代の負の産物としてこの世に生き長らえているだけの存在なんだよ! 少しは恥を知れよ。 その恥を知ったならば、高齢者としてこの世で再び労働するに当たって「愛嬌」だけでは通用しないんだよ。高齢者なりにもっと能力を磨けよな。それこそが今後の日本の活性化に繋がるって事だよ!
小林智明先生、よく理解申し上げました。
未だ40代の小林先生の観点からみると、高齢者って社会の中で何の役にも立たない割には“自慢話”ばかりするろくでもない存在と言う結論なのですね。
ところで小林先生。
先生がおっしゃるところの「専門家」とは如何なる分野の専門家なのだろう。 この議論はそれに大いに左右されるものと私は心得るのだが、小林先生が現在人材コンサルタントであられるということは、そのバックグラウンド範囲内でものを言っておられると理解してよいのだろうか??
そうした場合原左都子としては、貴方は未だその若さ故に単なる“世間知らず”と判断申し上げたい気もする。 高齢者と一言で表現しても、その経歴やバックグラウンドは千差万別であることだろう。 40代の貴方が今その高齢者を論評するのは、数十年時が早かったということではあるまいか??
朝日新聞「耕論」のその他2つのオピニオンは、いずれも1940年代生まれで高齢者として今尚現役でご活躍中の方々よりご自身の経験を語られた充実したご意見であった。
題名だけ紹介すると 「匠は還暦後も海外で通用」 「肩書より充実感を大切に」
それらのご意見には私も同意申し上げたい。
年齢を重ねたからと言って、すぐさま職場の周囲に迎合して愛嬌を振りまかねばならない義務などないはずであるし、例えば先端科学技術の分野であれば科学の歴史とはそもそも地球上で5000年来の重みがあるもの故に、それに挑む基本姿勢を後進に伝承することは高齢者とて重々可能であるはずだ。
むしろ後進弱輩者から傲慢な態度で頭ごなしに高齢者の存在を否定してかかられるとならば、この世の進化など望めないのではなかろうか?
このような馬鹿げた見解が“一応専門家と名乗る”若い世代の人物より“そらみたことか”のごとく新聞紙上で掲載公開されること自体、野田政権の官僚の言うなりの単純論理に過ぎない 「つけを後世に残さない」 との政治指針と重複している事を実感させられ愕然とする思いである……。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)
以下は、2019.08.01時点での考察だが。
時が経つのは早いもので、亭主が定年退職して既に7年少しの年月が流れた。
すっかり定年生活が板につき、もう今後まかり間違っても“再就職”との言葉が死語化している我が家だ。
この私も50代後半期頃まで再就職を考慮し、それを実践に移した時期もあった。 今思い起こすに、医学臨床現場や公立学校の相談員等に応募した経験がある。
前者に対してはありがたい事に採用されそうになったが、現役時代はずっと基礎医学分野で活躍した私に「臨床分野」の業務は今更無理と判断し、辞退するとの結末となった。
後者の「学校相談員」に関しては、教育委員会の面接担当者との間で“不登校児童生徒”に関する感覚の齟齬が生じ、(私は“不登校肯定論者”だが)我がポリシーをあくまで主張したところ、自ずと不採用になった。
とにかく高齢域に達したとて、自分のポリシーを曲げるなどアンビリバボーだ。
職場の歪んだ方針や好まぬ環境に迎合してまで、老体に鞭打って就業したいとの意思は無い!との我が結論には変わりない。
安倍政権が先だっての7月の参院選前に、「今後は年金減らすから、自分で老後資金を2000万円貯めておけよ!」とホザいた記憶は国民の間で未だ新しい事だろう。
大企業などでは、60歳定年後も65歳まで延長雇用する制度が既に定着しつつあるようだ。 ただし仕事内容はレベルが下がり年俸も3分の1程度に抑えられるようだが、それでも妥協して仕事を続けたい人はそれに甘んじているとも聞く。
そんな状況下で、表題のごとくの“歪み”が発生するのも必然と言えるだろう。
それでは、2012.03.12公開の「定年後働きたい人材は周囲に迎合せねばならないのか?」と題するバックナンバーを、以下に再度掲載させていただこう。
我が亭主が(2012年)4月初旬に定年退職を迎える。
その事務処理に当たり、職場の定年退職業務担当者より「失業保険」の申請を勧められたのだと亭主が言う。 その場合、定年後すぐ職業安定所(ハローワーク)に通い、今後の就業に関して面談や相談を定期的に実施する事になるようだ。
亭主曰く 「この経済不況下の今時、年寄りには清掃か守衛の仕事位の紹介しかないだろうなあ」
それに応えて私曰く 「もしも奇跡的に自分の適職を紹介された場合、働く気はあるの??」
さらに亭主が冗談半分で応えるに 「処遇待遇にもよるが条件が良ければ働いてもいいよ」
(そんな都合のいい仕事が年寄りにある訳ないじゃんねえ~~。)
少し前に政府は、65歳まで働きたい人全員を雇用するよう企業に義務付ける方針を示した。
若者を始めとする現役世代とて超就職難のこの時代に、民間企業相手に“高齢者を雇用せよ”との政府の方針とは如何なものか、と呆れるのが原左都子の見解である。
世界規模での経済危機のこの時代背景の下、現状打開策として今現在早急に着手するべき課題とは、若い現役世代の雇用こそを充実させる事であるはずだ。 こんな時に何故政府は高齢者の雇用の充実を打ち出したのであろうか?
何年か前に“ワークシェアリング”が叫ばれた時代もあったが、その頃はまだしも“シェア”できる仕事が社会に存在していたからこそ、その議論が成り立った事と考察する。
ところが今現在は、老いも若きもが“シェア”するべく労働市場が貧困を極めている実態であろう。
こんな厳しい世の中に生きている庶民の現状を知ってか知らずか、民主党政権が国民のどの世代にもいい顔をしようとの魂胆で安直な“八方美人”政策を示したとて、“ないものはない”社会背景の中、企業の定年退職者が「ハローワーク」へ通わされる虚しさも少しは理解して欲しいものだ。
加えて忌々しき問題として、確かに高齢にして身を削ってでも働かねばこの世に生きていかれない貧困層が存在するのも事実であろう。
ただ、今回政府が立ち上げた「65歳まで働きたい人の雇用を企業に義務付ける方針」とは、切羽詰った高齢者の存在を救う話とかけ離れ、ある種“恵まれた人種”をさらに保護せんとの議論であることに大いに反発したい私である。
(結局は、官僚依存野田政権が得意とする“政府と大手企業との癒着”の範疇の話だよねえ~)
まあ確かに、たとえ大手企業に定年まで勤めたとは言えども定年後の暮らしがさほど豊かとは言えないのが今の時代のサラリーマンの現状であることも理解できる。
我が家のごとく高齢出産で産んだ子どもの学費が定年後に至ってまだまだ発生するご家庭も、今時少なくない事であろう。 親の介護や老人施設への入居にも多大な出費が伴うこととも推察する。
そうした場合政府の方針はさておき、定年後も働いて一家の生計を支えねばならないご亭主がこの世に少なからず存在することは想像がつく。
そのように定年後も一家を支えるため仕事を欲するご亭主相手に、定年後働くに際するアドバイスを提示したと思しき記事を(2012年)1月31日付朝日新聞で発見した。
朝日新聞1月31日付「耕論」ページの“65歳まで会社員ですか”との記事内から、原左都子が一番に異論を呈したい見識者氏の見解を以下に紹介しよう。
「愛嬌が一番、自慢話ダメ」と題する見解を綴った62年生まれ(現在未だ40代との計算になるが)の人材コンサルタント専門家と名乗る人物のご意見を以下に要約する。
大半の会社は高齢者に専門的な仕事を期待していない。 高齢者が持っているノウハウなど直ぐに役に立たなくなる。 高齢者に求められている資質とはひとえに「愛嬌」である。 逆に自慢話や愚痴は禁物だ。 今の高齢者は厚生年金をもらいながら働いているし「定年まで勤める」意識が強いので、再雇用されたら働く意欲が一気に下がってしまう故に定年を境にキャリアの断絶が起きている。 そのため高齢者は「愛嬌」だけでは済まなくなるが、能力を磨き続けるならば長い目で見れば日本の活力向上につながるはずだ。
(以上、朝日新聞記事より 日本能率協会勤務の小林智明氏と名乗る一社員 の見解より引用)
上記小林智明氏のご見解を、原左都子が今一度私なりにデフォルメしつつまとめ直して以下に再度紹介しよう。
定年退職後再雇用された高齢者達に職場は専門力など誰一人として期待していないから、まずは「愛嬌」を若者達に振りまこうじゃないか! 決して自分がこれまでに培ってきた(既に形骸化している専門分野の)自慢話を一つたりとて後進の若者に披露してはならないぞ! お前らはなあ、過去の馬鹿げた政治に安穏とした時代の負の産物としてこの世に生き長らえているだけの存在なんだよ! 少しは恥を知れよ。 その恥を知ったならば、高齢者としてこの世で再び労働するに当たって「愛嬌」だけでは通用しないんだよ。高齢者なりにもっと能力を磨けよな。それこそが今後の日本の活性化に繋がるって事だよ!
小林智明先生、よく理解申し上げました。
未だ40代の小林先生の観点からみると、高齢者って社会の中で何の役にも立たない割には“自慢話”ばかりするろくでもない存在と言う結論なのですね。
ところで小林先生。
先生がおっしゃるところの「専門家」とは如何なる分野の専門家なのだろう。 この議論はそれに大いに左右されるものと私は心得るのだが、小林先生が現在人材コンサルタントであられるということは、そのバックグラウンド範囲内でものを言っておられると理解してよいのだろうか??
そうした場合原左都子としては、貴方は未だその若さ故に単なる“世間知らず”と判断申し上げたい気もする。 高齢者と一言で表現しても、その経歴やバックグラウンドは千差万別であることだろう。 40代の貴方が今その高齢者を論評するのは、数十年時が早かったということではあるまいか??
朝日新聞「耕論」のその他2つのオピニオンは、いずれも1940年代生まれで高齢者として今尚現役でご活躍中の方々よりご自身の経験を語られた充実したご意見であった。
題名だけ紹介すると 「匠は還暦後も海外で通用」 「肩書より充実感を大切に」
それらのご意見には私も同意申し上げたい。
年齢を重ねたからと言って、すぐさま職場の周囲に迎合して愛嬌を振りまかねばならない義務などないはずであるし、例えば先端科学技術の分野であれば科学の歴史とはそもそも地球上で5000年来の重みがあるもの故に、それに挑む基本姿勢を後進に伝承することは高齢者とて重々可能であるはずだ。
むしろ後進弱輩者から傲慢な態度で頭ごなしに高齢者の存在を否定してかかられるとならば、この世の進化など望めないのではなかろうか?
このような馬鹿げた見解が“一応専門家と名乗る”若い世代の人物より“そらみたことか”のごとく新聞紙上で掲載公開されること自体、野田政権の官僚の言うなりの単純論理に過ぎない 「つけを後世に残さない」 との政治指針と重複している事を実感させられ愕然とする思いである……。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)
以下は、2019.08.01時点での考察だが。
時が経つのは早いもので、亭主が定年退職して既に7年少しの年月が流れた。
すっかり定年生活が板につき、もう今後まかり間違っても“再就職”との言葉が死語化している我が家だ。
この私も50代後半期頃まで再就職を考慮し、それを実践に移した時期もあった。 今思い起こすに、医学臨床現場や公立学校の相談員等に応募した経験がある。
前者に対してはありがたい事に採用されそうになったが、現役時代はずっと基礎医学分野で活躍した私に「臨床分野」の業務は今更無理と判断し、辞退するとの結末となった。
後者の「学校相談員」に関しては、教育委員会の面接担当者との間で“不登校児童生徒”に関する感覚の齟齬が生じ、(私は“不登校肯定論者”だが)我がポリシーをあくまで主張したところ、自ずと不採用になった。
とにかく高齢域に達したとて、自分のポリシーを曲げるなどアンビリバボーだ。
職場の歪んだ方針や好まぬ環境に迎合してまで、老体に鞭打って就業したいとの意思は無い!との我が結論には変わりない。