(写真は、今回の再掲載エッセイに記載した“免疫学”の仕事に没頭していた頃の私。 会社の社員旅行にて撮影したもの。 当時、余暇で所属企業のロックバンドボーカルを担当していたため、このヘアスタイルだ。)
本日の再掲載ものは、我が医学業務の原点とも言える“免疫学”についてまとめたものである。
早速、2007.10.20公開の「self or not self」を以下に再掲載させていただこう。
私は20歳代の頃、医学部新卒で民間企業に就職し医学関係の仕事に従事していた。 医学関係と言えども分野が広いが、私が携わったのは免疫学関連の分野である。
医学(特に基礎医学)にも“ブーム”があるが、その頃(1970年代後半から80年代以降にかけて)免疫学は目覚ましい発展を遂げていた時期だった。 当時の日本における免疫学の第一人者といえば、東大医学部教授の多田富雄氏や阪大医学部教授の岸本忠三氏(お二方とも当時の所属)などがあげられる。 その頃、私はこれら免疫学の研究分野において第一線でご活躍中の諸先生方の最新の研究成果を入手したく、(会社の出張費で)単身で全国を飛び回り諸先生方の“追っかけ”をするため、「免疫学会」や「臨床免疫学会」「アレルギー学会」等研究発表の場へ情報収集に足繁く出かけたものである。
以下の文章は、1993年発行多田富雄著「免疫の意味論」(青土社) を大いに参考にさせていただく事をあらかじめお断りしておく。(多田富雄先生はその後脳内出血で倒れられた後も、多方面でご活躍のことと拝聴している。) (追伸だが、その後亡くなられた。)
加えて、医学は日進月歩の世界である。 私が以下に述べさせていただく内容は、あくまでも1970年代後半から1980年代の私の免疫学体験に基づいた知識の上での話の域を出ていないものと解釈願いたい。
免疫学を語る上での第一のキーワードが表題に掲げた“self or not self"という概念である。日本語では「自己か非自己か」と訳されている。
「免疫」と聞くと皆さんはきっと、外部から進入してきた細菌やウィルスなどの外敵から自分の体を守った上で、その情報を後々まで記憶しもう一度同じ外敵が体に進入してきた時に発病しないような仕組みであると認識されていらっしゃることと思う。
その認識で十分「免疫」は説明できている。
そこで、もう少し踏み込んで考えることにしよう。
外部から進入してきた細菌やウィルスなどの外敵を、なぜ自分の体が“外敵”であると認識できるのであろうか。 ここで登場するのが“self or not self"概念だ。 すなわち、外敵(病原体)が体内に侵入すると、「免疫」のはたらきによって、その病原体が持っている成分を、自分の体内成分ではないもの(異物“not self")として認識し、この成分をやっつける物質(抗体)を作り排除して自分(“self")を守るのだ。 1970年頃までの免疫学においては、上記のごとく「免疫」とは“not self"に対するシステムとしてとらえられていた。 すなわち、外敵を認識しやっつけるシステムとして考えられていたのである。
ところが、その後の研究により「免疫」とは“self"を認識するシステムであることがわかってきた。
すなわち、「免疫」とは“not self"を排除するために存在するのではなく(もちろん結果的には排除するのだが)、“self"の全一性を保証するためのシステム、すなわち「自己」の「内部世界」を監視する調整系として捉えられる時代に入るのである。 ところが、この“self"と“not self"の境界も曖昧だ。 それでも、そんなファジーな「自己」は一応連続した行動様式を維持し、「非自己」との間で入り組んだ相互関係を保っている。
(詳細は、上記の多田富雄著「免疫の意味論」をお読みいただくか、あるいは免疫学に関する各種論文等文献を参照いただきたい。)
“self or not self" 、 当時の私はこの言葉に惹きつけられ、自然界のひとつである人間の体内にもこんなすばらしい哲学があることにいたく感動したものだ!
あれから長い年月が経過した今でも、私の思想の根底にこの“self or not self" の哲学はまだ息づいている。 そんな一端を今回は少し語らせていただいた。
このエッセイには若き男性より「トラックバック」を1本頂戴したため、それも以下に紹介させていただこう。
Trackback
自己ってなに? (ベリーロールな日々)
10年前にブック・オフで買ったままほったらかしていた本をやっと読みました。「免疫の意味論」 作者: 多田 富雄 出版社/メーカー: 青土社 発売日: 1993/04 メディア: - 理系の専門的な部分は当然よくわかってないんですが、面白かった。もっと早く読めばよかった..
(以上、本エッセイ集開設当初の2007年10月記載バックナンバーを再掲載したもの。)
2019年8月現在の私見に入ろう。
その前に、くれぐれも繰り返しておくが。
私が上記に述べた内容は、あくまでも1970年代後半から1980年代の私の免疫学体験に基づいた知識の上での話の域を出ていないものと解釈願いたい。
とにもかくにも、この“self or not self"概念に、未だ20代前半のうら若き私はぞっこん はまった。
社内の誰に指示されるでもなく自分から「私に行かせてください!」と積極的に申し出て、「免疫学会」「臨床免疫学会」「アレルギー学会」「臨床病理学会」等々の医学学会全国学会へと飛び回ったものだ。
おそらく全国から訪れている医師や研究者達で溢れている学会会場で、このロックバンドボーカルヘアの私は異色の存在だったことだろう。しかも長身の私だし… いやもちろん、服装はまさかTシャツ・ジーンズ姿ではなく一応ロングスカート姿だったものの、目立っただろうなあ。 それが証拠に、学会会場で知り合いの某医師先生より「△社の〇さんじゃないですか?」とお声が掛かった事もある。
学会参加となれば“物見遊山”も兼ねてその地に訪れる関係者も多いようだが、私は絶対的に違った!
学会抄録を穴が開く程事前研究し、絶対にはずせない発表や特別講演、シンポジウム、ワークショップ等々へ会期中足繁く出かけたものだ。
それだからこそ、昨年ノーベル医学・生理学賞に輝いた本庶佑先生の発表も当時の学会会場にて聞かせていただいていたため、すぐさま“あの本庶先生だ!”と認識可能だった。
所属企業の業務として学会会場へ訪れているため、帰社後は「レポート報告」が欠かせない。
その「学会報告レポート(控え)」を未だに書棚に保存してあるのだが、我が若きパワーが炸裂する内容で、今現在垣間見ても当時の“免疫学”に入れ込んでいた我が熱意が伝わってくる。
あれから40年以上の年月が過ぎ去り、現在の「免疫学」は更なる輝かしき劇的な変貌を遂げている事であろう。
専門書を読破する能力はもはや私には皆無であろうし、疲れそうだ…。
時間があれば免疫学関連学会会場にこっそりと忍び込み、その変貌の様子を探りたい気分になってきたぞ。
その前にネット検索にて主たる免疫関連学会抄録を入手してみようか。 東京都内開催ならばすぐにでも行けそうだ。
また一つ、楽しみが増えた!
p.s.
我が老朽化したパソコンの不具合により、「self」の「l(エル)」が抜けておりました事、お詫び申し上げます。
本日の再掲載ものは、我が医学業務の原点とも言える“免疫学”についてまとめたものである。
早速、2007.10.20公開の「self or not self」を以下に再掲載させていただこう。
私は20歳代の頃、医学部新卒で民間企業に就職し医学関係の仕事に従事していた。 医学関係と言えども分野が広いが、私が携わったのは免疫学関連の分野である。
医学(特に基礎医学)にも“ブーム”があるが、その頃(1970年代後半から80年代以降にかけて)免疫学は目覚ましい発展を遂げていた時期だった。 当時の日本における免疫学の第一人者といえば、東大医学部教授の多田富雄氏や阪大医学部教授の岸本忠三氏(お二方とも当時の所属)などがあげられる。 その頃、私はこれら免疫学の研究分野において第一線でご活躍中の諸先生方の最新の研究成果を入手したく、(会社の出張費で)単身で全国を飛び回り諸先生方の“追っかけ”をするため、「免疫学会」や「臨床免疫学会」「アレルギー学会」等研究発表の場へ情報収集に足繁く出かけたものである。
以下の文章は、1993年発行多田富雄著「免疫の意味論」(青土社) を大いに参考にさせていただく事をあらかじめお断りしておく。(多田富雄先生はその後脳内出血で倒れられた後も、多方面でご活躍のことと拝聴している。) (追伸だが、その後亡くなられた。)
加えて、医学は日進月歩の世界である。 私が以下に述べさせていただく内容は、あくまでも1970年代後半から1980年代の私の免疫学体験に基づいた知識の上での話の域を出ていないものと解釈願いたい。
免疫学を語る上での第一のキーワードが表題に掲げた“self or not self"という概念である。日本語では「自己か非自己か」と訳されている。
「免疫」と聞くと皆さんはきっと、外部から進入してきた細菌やウィルスなどの外敵から自分の体を守った上で、その情報を後々まで記憶しもう一度同じ外敵が体に進入してきた時に発病しないような仕組みであると認識されていらっしゃることと思う。
その認識で十分「免疫」は説明できている。
そこで、もう少し踏み込んで考えることにしよう。
外部から進入してきた細菌やウィルスなどの外敵を、なぜ自分の体が“外敵”であると認識できるのであろうか。 ここで登場するのが“self or not self"概念だ。 すなわち、外敵(病原体)が体内に侵入すると、「免疫」のはたらきによって、その病原体が持っている成分を、自分の体内成分ではないもの(異物“not self")として認識し、この成分をやっつける物質(抗体)を作り排除して自分(“self")を守るのだ。 1970年頃までの免疫学においては、上記のごとく「免疫」とは“not self"に対するシステムとしてとらえられていた。 すなわち、外敵を認識しやっつけるシステムとして考えられていたのである。
ところが、その後の研究により「免疫」とは“self"を認識するシステムであることがわかってきた。
すなわち、「免疫」とは“not self"を排除するために存在するのではなく(もちろん結果的には排除するのだが)、“self"の全一性を保証するためのシステム、すなわち「自己」の「内部世界」を監視する調整系として捉えられる時代に入るのである。 ところが、この“self"と“not self"の境界も曖昧だ。 それでも、そんなファジーな「自己」は一応連続した行動様式を維持し、「非自己」との間で入り組んだ相互関係を保っている。
(詳細は、上記の多田富雄著「免疫の意味論」をお読みいただくか、あるいは免疫学に関する各種論文等文献を参照いただきたい。)
“self or not self" 、 当時の私はこの言葉に惹きつけられ、自然界のひとつである人間の体内にもこんなすばらしい哲学があることにいたく感動したものだ!
あれから長い年月が経過した今でも、私の思想の根底にこの“self or not self" の哲学はまだ息づいている。 そんな一端を今回は少し語らせていただいた。
このエッセイには若き男性より「トラックバック」を1本頂戴したため、それも以下に紹介させていただこう。
Trackback
自己ってなに? (ベリーロールな日々)
10年前にブック・オフで買ったままほったらかしていた本をやっと読みました。「免疫の意味論」 作者: 多田 富雄 出版社/メーカー: 青土社 発売日: 1993/04 メディア: - 理系の専門的な部分は当然よくわかってないんですが、面白かった。もっと早く読めばよかった..
(以上、本エッセイ集開設当初の2007年10月記載バックナンバーを再掲載したもの。)
2019年8月現在の私見に入ろう。
その前に、くれぐれも繰り返しておくが。
私が上記に述べた内容は、あくまでも1970年代後半から1980年代の私の免疫学体験に基づいた知識の上での話の域を出ていないものと解釈願いたい。
とにもかくにも、この“self or not self"概念に、未だ20代前半のうら若き私はぞっこん はまった。
社内の誰に指示されるでもなく自分から「私に行かせてください!」と積極的に申し出て、「免疫学会」「臨床免疫学会」「アレルギー学会」「臨床病理学会」等々の医学学会全国学会へと飛び回ったものだ。
おそらく全国から訪れている医師や研究者達で溢れている学会会場で、このロックバンドボーカルヘアの私は異色の存在だったことだろう。しかも長身の私だし… いやもちろん、服装はまさかTシャツ・ジーンズ姿ではなく一応ロングスカート姿だったものの、目立っただろうなあ。 それが証拠に、学会会場で知り合いの某医師先生より「△社の〇さんじゃないですか?」とお声が掛かった事もある。
学会参加となれば“物見遊山”も兼ねてその地に訪れる関係者も多いようだが、私は絶対的に違った!
学会抄録を穴が開く程事前研究し、絶対にはずせない発表や特別講演、シンポジウム、ワークショップ等々へ会期中足繁く出かけたものだ。
それだからこそ、昨年ノーベル医学・生理学賞に輝いた本庶佑先生の発表も当時の学会会場にて聞かせていただいていたため、すぐさま“あの本庶先生だ!”と認識可能だった。
所属企業の業務として学会会場へ訪れているため、帰社後は「レポート報告」が欠かせない。
その「学会報告レポート(控え)」を未だに書棚に保存してあるのだが、我が若きパワーが炸裂する内容で、今現在垣間見ても当時の“免疫学”に入れ込んでいた我が熱意が伝わってくる。
あれから40年以上の年月が過ぎ去り、現在の「免疫学」は更なる輝かしき劇的な変貌を遂げている事であろう。
専門書を読破する能力はもはや私には皆無であろうし、疲れそうだ…。
時間があれば免疫学関連学会会場にこっそりと忍び込み、その変貌の様子を探りたい気分になってきたぞ。
その前にネット検索にて主たる免疫関連学会抄録を入手してみようか。 東京都内開催ならばすぐにでも行けそうだ。
また一つ、楽しみが増えた!
p.s.
我が老朽化したパソコンの不具合により、「self」の「l(エル)」が抜けておりました事、お詫び申し上げます。