原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「大変遅ればせながら原左都子も“スマホ”生活に入りました!」

2019年08月15日 | 時事論評
 原左都子が大変大変遅ればせながら“スマホ”を購入して後、半年程が過ぎ去った。

 何故、私がそれ程までに“スマホ”を敬遠していたかに関して「大変遅ればせながら原左都子も“スマホ”生活に入りました!」と題するバックナンバーに於いて綴っている。
 2019.02.05公開の当該エッセイを、以下に再掲載させていただこう。


 私はそもそも携帯電話が流行り始めた頃(2000年頃)から、それが「特段必要無し!」と考えていた人間である。

 我が娘が小学校低学年の頃にその時期が訪れたのだが。

 娘の友達が下校後自宅まで遊びに来る。 その時既に「携帯電話」を持参して来る子がいた。 遊びの途中で何度も親と連絡を取りつつ、帰宅の時間を相談したりしている。
 その風景を見た私は何とも言えない違和感を抱いた。 これじゃあ、せっかくの友達との遊びに集中できないだろうなあ。 と同時に、友達との交友中に親がしゃしゃり出て帰宅時間等々あれこれ指導するのもどうなのか、との印象を抱かされた。(他人の家で何度も携帯通話せずとも、あらかじめ帰宅時間を約束しておけば済むだろうに。)

 あるいはその後、娘の習い事の迎え時に母親たちが携帯電話を持参し待ち時間中にそれぞれの会話に夢中だ。 携帯電話をしながら、子どもを引き連れて帰宅する風景も何度も見た。

 更にその後の我が国の世はまさに携帯社会へと移行し、電車に乗れば子連れの母親が子供を無視して携帯(今やスマホ)に夢中の風景は、今や当たり前で見飽きた時代と成り果てている。

 そんな私が携帯電話を初めて持った(持たされた)のは、娘が私立中学に合格した後に次なる職種として挑んだフランチャイズ学習教室の経営者兼指導者に採用された時の事だった。
 フランチャイズ元の企業担当者から「この仕事は本部と教室との密なる連絡のため、どうしても携帯電話が必要だ!」と強制され、私としては不本意にも初めての携帯電話を契約・購入する事態と相成った。
 そうしたところ、我が教室の若き男性担当者から呆れるほどに日夜頻繁に携帯電話が掛かって来るではないか! (この実態こそが鬱陶しかったのも、結果として私がその事業を早期撤退した理由の一つと捉えているが…) 
 いや実際、フランチャイズ業務に従事するのは私としては初めての経験だった。 正直な私は「携帯電話は控えてくれないか!??」」の旨を担当者に訴えたりもした。 あるいは“居留守”を使う常習犯でもあった。
 とにかく、携帯電話とは自身の信条や個人生活を乱される“とてつもなく迷惑な代物”であることには間違いないだろう。(固定電話も同様だが。)

 そんな私故、「スマホ」購入をずっと後回しにする事には必然性があったとも言えるだろう。

 ではどうして私は、昨日「スマホ」を契約・購入したのか。

 その一番のきっかけは、娘と二人で旅をした2018昨夏の「米国個人旅行」であったかもしれない。
 とにかくあの旅行中には、娘のスマホに大いにお世話になったのだ。 個人旅行とは道中道に迷ったり予定通りにいかないトラブルの連続だ。
 そんな中、娘がスマホでせっせと検索してくれる姿に、母の私が感動しない訳が無いではないか!  娘のお陰で、スマホの果たす役割とはここにあり! を実体験させてもらえた米国旅行だったと言えよう。 (例えば、地下鉄シビックセンター駅構内の券売機の使い方が分からなかった時にも、娘がスマホで検索してくれた。 あれには、そんな事も検索できるのかと脱帽させられたものだ。)

 その後、月日が過ぎ去り我が脳裏に「スマホ」が過る事も少なくなりかけたのだが。

 そんな私がずっと以前より時折感じる、もう一つの課題がある。
 例えば当「原左都子エッセイ集」執筆中にもう一台パソコンがあれば助かるかなあ、なる感覚だ。
 それを代替するのが「スマホ」では無かろうか?、なる発想もずっと以前からあったのが事実だが。
 何分我がエッセイ集の場合「時事論評」「学問・研究」等々を主柱テーマとしている関係で、執筆途中に検証・監修作業を実施したい場面が多発する。 その際に今までは一旦執筆を中断して、同一パソコン内でそれを実行してきている。 もしもスマホが手元にあれば、その作業役割を果たしてくれるのではなかろうか、なる期待感があった。

 そして昨日、いよいよ私はその「スマホ」をゲットするべくauショップへと向かった。
  
 まあ、何とも可愛らしくかつ専門力のある若きau女性担当者氏のお陰で、私はある程度我が好みの「スマホ」のゲットが叶った!
 ところがどっこい。 「スマホ」って、初心者にはその扱い方が高度な代物だね!
 可愛い女性担当者氏にその扱い方のノウハウをいろいろと訪ねるのだが、店を出る時には「これ、私には無理か!????」との感想が精一杯の現実だった… 

 いえいえ、それから丸一日たった今現在に至っては、「スマホ」の特徴がこの私にも少し読めて来ている。
 まあ、要するにパソコンを小型化したような代物なのだろう。 

 確かに上に記した我が「スマホ」購入必要条件が満たされそうで、昨日思い切って買い替えてよかったと思うべきか…

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより再掲載したもの。)



 さてさて、スマホを生活に取り入れて後2019.08.15現在の私にとり、スマホとは如何なる存在なのだろう?

 結局、7月のウィーン旅行にはスマホを持参したものの、ウィーンでは一切使用しなかった。 その一番の理由が、写真撮影を我が愛用のデジカメで実施したかったが故だ。
 スマホの写真機能は、普段デジカメに慣れ切っている我が身には実に実に使いにくい。

 加えて、所詮スマホの主たる役割とは“連絡機能”にあろう。 現地で知り合いに会う等の予定があるならばいざ知らず、それがなければ事件・事故にでも遭遇しない限り、連絡の必要が一切ないのだ。
 それに何と言ってもツアーリーダーの私故に、スマホ係はやはり娘に委ねるのが筋だろう。 娘に下調べを任せておけば、私は常に意思決定係に特化可能だ。 これで二人の関係は旅中ずっとうまく機能した。


 いやそれにしても、上記2019.02.05記載エッセイ内の“私が携帯を持つのが遅かった理由”を再読しても実に腹立たしいねえ!
 周囲の親どもがこぞって未だ小さき可愛い我が子に携帯を持たせていた事実を、軽蔑を込めてアホらしく思い起こす。 あの子達は、その後真っ当に育ったのだろうか??

 それと、フランチャイズにて携帯を持たされ、フランチャイズ元より幾度も電話が掛かって来た事実も懐かしいなあ。 もしかしたら担当男性が私に気があるのでは?などとの思考に陥る程の高頻度だった。
 「携帯連絡は控えるように!」と指導したのはおそらく私だけだろうが、まあ、私が優秀なフランチャイザーだったが故に、どうしても早期撤退されたくなかったのだろう。 (一人で勝手に言ってようっと。
 実際は、大幅赤字の痛手を背負っての早期撤退だったのだが…
 もう二度とフランチャイズになど着手するもんか!! と後々の大いなる教訓となったものだ。


 でそのスマホだが。

 「原左都子エッセイ集」執筆の補助となっている以外は、やっぱり大して思い入れはないなあ……