原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ありがとう!さよなら! 我がエレクトーン D700

2019年08月08日 | 音楽
 (写真は、私が1980年頃購入したヤマハ エレクトーンD700。 今回のエッセイを綴るつい先程撮影したもの。)


 
 冒頭より、2012.10.15公開の「若かりし頃の趣味リバイバルはいかが?」の一部を引用させていただこう。

 私が未だ独身だった24歳~29歳頃までの約5年間、電子オルガン(早い話が“エレクトーン”であるがこれはあくまでもヤマハの一商品名)演奏を音楽趣味の一つとしていたことに関しては、本エッセイ集バックナンバー “音楽カテゴリー”等に於いて幾度か紹介して来ている。 
 重ねて、2007年9月バックナンバー 「資格は取りゃいいってもんでもないが…」 に於いて、当時ヤマハが実施していた“エレクトーン演奏グレード”検定試験に9級からチャレンジし、6級まで取得していることも既述した。
 参考として、この資格を一庶民が6級まで取得したところで社会的に身を助ける程の“食い扶持”とはならない性質の資格試験であることは百も承知の上だったが、自己鍛錬の意味合いで私は段階を得つつ資格試験にチャレンジし続けた。 
 当時、私はヤマハ大人の教室でエレクトーン「集団・個人指導」(後に「完全個人指導」に移行)を受講していた。
 我が個人指導担当先生がおっしゃるには、若いうちに“グレード7級”程度以上を取得しておくと、たとえその後ブランクがあっても少し練習すれば“一生ものの趣味”として後々音楽を楽しめる、とのアドバイスでもあった。♪♪
 その7級までは調子良く各級を段階的にクリアしてきた私だが、6級受験に至った後難儀したもの、その結果合格に至った。 
     (途中大幅略。)
 昨日(2012年の話だが)の日曜日、私は久しぶりに我がエレクトーンを開けた。
 上記写真の通り、内側は美しさを十分に保っている我がエレクトーンである。 と言うのも、いつかは再演奏したいとの思いと共に手入れを欠かしていないためであろう。
 ただ購入後既に30年の歴史と共に、幾度の引越しにも耐え抜いている我がD700機が完全であるはずはない。 過去に一度ヤマハにメンテナンスをお願いしたところ、部品保存の理由でこれが修繕最後との通告も受けていた。 それから既に十数年の年月が流れている。
 我が家の(上記写真)エレクトーンD700型(約80万円也)とは、過去に於ける「マニュアル機種」としては庶民が自宅用に購入する機種の中では最高レベルであったものと私は捉えている。(これを20代後半頃、ボーナス一括払いで購入した事に関しても記述済みだ。)
 その後まもなく、エレクトーンの歴史もデジタル世界へと移り行くこととなる。
 昨日、そのD700機種の蓋を開けて何年かぶりに再演奏を試みると、手入れの良さによるのかなかなか調子が良い。 20分程練習を繰り返していると、昔取った杵柄と表現するべきか、以外や以外私の両手両足が自然と動くではないか!
 今後はエレクトーン演奏も、レトロなマニュアル機種により我が趣味の一つとして復活しそうだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を再掲載したもの。)



 このD700機種は、私が購入したエレクトーンの2台目だった。

 1台目は、エレクトーンを習い始めて直ぐの24歳時に購入している。 確か“D50”機種だった記憶があるが、その後すぐにD700が発売されるまでの間、素人用エレクトーンとしては最高峰の商品だった。

 ある日、エレクトーン教室を訪れると1台の新型機種D700が教室内にド~~~~ンと“物凄い存在観”で置かれている。 早速教官が演奏を披露してくれると、ド迫力の音量だ!
 それに圧倒された私が呆然としつつ演奏に聞き惚れていると、教官が私に「今日はこれで練習していいですよ。」と言って下さるではないか!!
 この教室の説明をすると、「少人数の集団個別レッスン」と言うべきだろうか。 教室内の4,5名の生徒がそれぞれのエレクトーンをヘッドホン着用にて練習しているのを指導教官が順番に回りつつ、教官に演奏を披露する時にはヘッドホンを外すために、全員に演奏が聞こえるとのシステムだ。

 要するに、各々の演奏能力の程は周囲の生徒皆が把握している。
 そんな中、教官が私にD700機種での演奏を勧めてくれたということは、暗黙の了解として教室内で私の演奏が一番優れているのを皆が認めていたという事だ。 私自身は決してそれ程の自信は無かったが、確かに一番“やる気がある熱心な生徒”だったことには間違いないだろう。


 とにかく私はD700機種を一度弾いただけで病みつきとなった。
 こうなると、もうD50などで練習できやしない。

 そして、早速“エレクトーン買替作戦”に入った。
 20代半ばにして、消費税や運送料込みで80万円を超過する大型買い物だったが、これを“夏のボーナス一括払い”にて売買契約した。
 その時、ローン会社より保証人を立てて欲しいとせがまれ、郷里の親の氏名や電話番号を契約書に記載させられた。
 そうしたところ、早速郷里の親どもより電話が掛かって来るではないか!
 (参考だが、そもそも貯蓄が趣味の私であるし、加えて当時勤務していた企業が急成長株の優良医学企業でありボーナスが年間9か月分支給されていたため、一度のボーナスで80万超円を一括払いで軽々と支払えるのに…  何でローン会社は、上京以降経済面で何らの世話にもなっていない郷里の親どもなどに電話をするのよ! と怒り心頭だったものだ!
 親の電話に応えて、「ちょっといいエレクトーンを買ったのよ。 余裕で自己資金で支払えるから何の心配も要らないよ。」と返答しておいた。


 その後2度目の大学進学計画と並行して、残念ながらエレクトーン個人レッスンは終了した。
 それでも、事ある毎にD700とは関わって来ている。

 30代半ばで高校教員に採用された際、私は迷いなく「音楽部」の顧問を引き受けた。
 音楽部とは言えども、男子生徒数グループによる「ロックバンド」の練習の場だったのだが。 その中の一グループから文化祭の舞台での演奏時に「キーボード」を担当して欲しいと嘆願され、快く引き受けた。 
 その練習を自宅にてこのD700で頑張った! と言うのも、一人で勝手に独奏にて弾くのとはまったく勝手が異なり、ロックバンド内でのキーボード演奏とは皆との整合性も考慮せねばならない。 初めて経験する事態であり、思ったよりも実に困難な課題だったのだ。
 それでも、ロックバンドグループの生徒達から「先生、よく頑張って練習したね!」と褒めてもらい、どれ程嬉しかった事か! こちらこそありがとう!と言いたいところだった。


 婚姻そして出産後は、娘と共にこのD700に触れる場面も多かった。
 それに加えて音楽好きの亭主が、このD700の性能の高さに感嘆してくれたのも嬉しかった。 亭主曰く、何処かの国のロックバンドがベースとしてハモンドオルガンを利用している、等々の談話も披露してくれたことがある。 それにガッテン!!の私だ。 エレクトーンにて足で弾くベース音が凄いのだ! 十分にロックバンドのベースの役割を果たせることであろう。


 このD700を、ついに廃棄処分に持ち込む決意を下した私だ。

 ウィーン旅行を終えた暁には、それを実行せんと志していたのだが……
 先だって不要品処分企業に電話を入れると、来週の火曜日にD700を引き取りに来てくれるとの事だ。

 ここのところその引取りに先だち、D700の上に飾ってあった写真や装飾品の片づけや周辺整理に精を出している。 


 最後のお別れが5日後に迫りつつある。 実に名残惜しい… 

 40年近い年月に渡り、私や家族に音楽の素晴らしさを届けてくれた我がD700よ!

 ありがとう! さよなら!!