原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

山林置き去り奇跡生還少年の生命力の強靭さに感動!

2016年06月07日 | 時事論評
 皆様、1週間程ご無沙汰致しました。
 本日より、エッセイ執筆を再開します。

 留守中旅先の宿泊ホテルや郷里の実家にてテレビニュースは垣間見たものの、新聞に目を通す暇もない程のハードスケジュールに苛まれた私は、帰宅後初めて表題のニュースに触れた。

 1週間程前に綴ったエッセイ 「“しつけ”と称して山林に置き去りにされた少年の無事を祈る」 内の最後に、私は次なる記述をしている。

  大和君が元気な姿で見つかる事を、心より祈っているよ。

 まさかこれが現実になるとは、記載した当時は思い及びもしなかったのが正直なところだ。 絶望感と共に私は旅に出た。 
 そして、帰宅後この我が願いが現実になった奇跡に驚くと同時に、少年の類稀な生命力に感無量の思いである。


 本日少年は退院予定と見聞しているが、少年が数日を過ごした発見場所である自衛隊演習場へ辿り着いた道程に関しては不明のままだそうだ。

 その約10キロの道程を予想して、実際に歩いたレポートがネット上に公開されていたため、その一部を以下に紹介しよう。
 約10キロの道のりは、うっそうとした草木に覆われていた。北海道鹿部町の自衛隊演習場内の施設で、6日ぶりに発見された北斗市追分4の小学2年、田野岡大和さん(7)。 置き去りにされた場所から大和さんがたどったとみられるルートを記者が日中と夕方の2回歩くと、わずか7歳の男の子の生命力に改めて驚かされた。
 男の子が置き去りにされた林の奥は薄暗い。ヒグマが出没する恐れもあり、1人だとヒヤリとするだろう。林道の幅は約3メートル。砂利道になっており、最初は電柱や看板もあるが、徐々に山深くなり、人けがなくなっていく。
 記者は日中、地図を持って歩いた。 なだらかな上り道を約1時間行っても景色は変わらない。男性2人組とすれ違った。報道関係者のようだ。この先に案内板があり、右に曲がると演習場の方向という。 
 夕暮れ迫る中、田野岡大和さんがたどった可能性のある道を歩き、自衛隊演習場の境界に…   だが、すぐに道がなくなってしまった。 おかしいと思いながらも、獣道もない完全な林の中を約15分にわたって突き進んだ。不安になって引き返したが、今度は元の道に戻れない。 山林の中で方向感覚を失ったようだ。しばらくさまよい歩いていると、ようやく林道の砂利道が見えた。
 ちょっとでも判断を間違えば、遭難しかねない。 林道に戻って先に進むと、十字路に案内板を見つけた。 右が演習場の方向だ。 一転して下り坂になった林道を歩き、ようやく演習場にたどり着いた。迷った時間(約40分)を除くと、約1時間40分。疲労に耐えかね、膝が震えている。
 自衛隊の許可を取り、林道よりも少し広い演習場敷地内の道路に入った。 夜になれば、ホテルのネオンが遠くに見える。 大和さんはこの光を頼りに歩みを進めたのだろうか。
 約40分後、廠舎(しょうしゃ)と呼ばれる簡易宿泊施設に着いた。 施設内はひんやりしている。演習場内は入り組んでおり、施設に着くには運も必要と感じる。 大和さんのたどったルートはまだはっきりとしていないが、どの道を通っても肉体的にも精神的にも強くなければ歩ききれないはずだ。 野球好きだった大和さん。その強さを実感した。
 (以上、ネット情報より一部を引用。)


 引き続きネット情報より、大和君を山林に置き去りにした保護者に対する道警や児童相談所の対応に関する情報を引用する。
 北海道七飯町の山中で行方不明になり、6日ぶりに保護された北斗市の小学2年、田野岡大和さん(7)から、道警函館中央署は6日、「しつけ」として置き去りにされた状況や、その後の足取りなどについて事情を聴いた。
 父親らは一時置き去りにしたものの、すぐに現場に戻っており、保護責任者遺棄容疑などでの刑事責任は問えないと判断した。 大和さんは7日午後、入院先の函館市立函館病院を退院する。
 同署は病院の許可を受け、6日午前11時から約1時間、病院内で話を聴いた。 精神状態を考慮し、母親と医師が同席した。 取り乱すこともなく元気な様子で答えていたという。
 5月28日夕に行方が分からなくなった前後の状況は、両親の話と一致した。 道警は、父親がすぐ現場に戻っており、長時間置き去りにしたわけではないとし、連れ去りなど第三者の関与もないと断定した。
 大和さんは保護されるまでは誰にも会わず、施設の水道で水を飲み、夜は施設内のマットレスをかぶって寒さをしのいだ。 昼は周辺を歩き、上空をヘリが飛んでいることにも気づいたが、周囲に人の気配はなく名前を呼ぶ声も聞こえなかったという。
 一方、同署から3日に通告を受けた函館児童相談所は、両親や大和さんから話を聞き、必要と判断すれば両親へ指導する。
 (以上、同じくネットより保護者への対応に対する情報を引用したもの。)


 原左都子の私論に入ろう。

 まず、大和君の山林置き去られ後の行動に関して考察しよう。

 それ以前の課題だが、大和君が持って生まれている“特質性”に関して記載した情報がネット上にも散乱している模様だが、実は私もこの“特質性”に関して自分なりの憶測がある。
 (不正確な情報を発信するのは控えるべきと心得つつも)、大和君はもしかして「発達障害児」ではないか? とのネット上の書き込みに同意する私だ。 
 何故それを疑うのかに関しては、ご両親がドライブ旅行中に大和君が他人や車に石を投げる行為をした事に手を焼いたとの報道がある故だ。 注意を繰り返してもこれを止めない大和君に困り果てたご両親が、大和君をドライブ道中2度も置き去りにしたとの報道内容である。
 
 我が家に話を移せば、若干の不具合を抱えて産まれて来た娘の幼少時から7歳くらいまで「発達障害児研究所」にて支援・指導のお世話になっている身だ。
 その時に、大和君に似た暴力的多動性行動を取る男児(少数ながら女子も存在したが)を複数観察して来ている。 (参考のため、我が娘はまったく逆の寡黙症状を呈していたため当該研究所にて支援いただいたのだが。)
 まさに大和君のご両親の困惑の程が、この当時接した男児達が取った行動と重なるのだ。

 さてそうだとして大和君本人には何らの責任もないどころか、その特質を大事に育成したいとすら私は結論付ける。 
 注目するべきは、今回大和君が山林に置き去りにされた後に取った行動と彼の心理状態だ。 (海外メディアも、今回の大和君の生存快挙を取り上げている様子だが。)
 私が推測するに、大和君とは生まれ持って“怖れを知らない”子なのではないかとの思いがある。 もしこれが通常児であれば、置き去りにされた時点で“寂しい”“辛い”“怖い”なる感情が一番に湧き出た事であろう。 そしてこれらの感情こそが、自分の幼き命を縮める一番の要因となったであろうと想像する。
 ところが、大和君はそうではなかった。 おそらくその種のマイナス感情よりも、もしかしたら「冒険に出よう!」なる類稀な感情が先行したのではなかろうか?  このプラス感情こそが、大和君の6日間の生命を救ったと私は結論付けるのだが。
 
 そんな素晴らしい大和君の持って生まれた類稀な内的感情を、ご両親や教育機関が潰すことなく今後も大事にしながら育成して欲しいものだ。
 話が飛躍するが、かのアインシュタイン氏も7歳程の頃には家族や周囲から「変質者」と結論付けられていた事実に鑑みて、どうか、大和君の持つ生存力なる特異性をプラスの方向に育成して欲しいと私は願う。

 ここで我が娘に話を移すと、大和君程の力強さはないものの、寡黙過ぎる娘なりの(私にはない)絶対的な強さ(悪く言うと“鈍さ”)があり、それに気付き尊重しつつ育てて今に至っている。


 そして最後に、刑事責任の立件は免れたものの、児童相談所より指導対象となっている大和君の御両親にも、原左都子より一言応援のメッセージを贈りたい。

 もしも大和君を発達障害児と仮定した場合、7歳に至るまでの家庭内での指導教育はさぞや厳しく辛いものだったと想像する。
 今回の事件に関しても多方面よりバッシングを受け、御両親及び家族の皆さんが心身共に疲れ果てている事実を察して余りある。
 
 どうか今後は自治体児童相談所等の支援を受けつつ、大和君の特質・個性を潰すことなく尊重しながら、ご家族の皆さんが徐々に普通の日常を取り戻される事をお祈り申し上げます。

 (参考だが、両親が大和君を山林に置き去りにした事実を、原左都子としては“虐待”と結論付けている事には変わりはない。 今回の場合は大和君が奇跡的に生還したからこそ、両親は刑事責任を問われなかったのであろう。)