原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

名画の百科事典的役割を果たす陶板美術館を行く -3-

2016年06月13日 | 旅行・グルメ
 (写真は、徳島県鳴門市に位置する大塚国際美術館 B2階の外庭 モネの「大睡蓮」 にて撮影したもの。)


 前回のエッセイにて紹介した“まずかったランチ”のお口直しに、今度こそは“美しい庭園”の話題に移ろう。

 モネの「大睡蓮」と銘打つ当該美術館の外庭が、はてさて、モネの傑作を再現できているか否かはともかく、確かにこの庭は美しい。
 
 大きな楕円形の外周を「池」と見立て、実際に睡蓮を池内に生育させているようだ。 
 この時期の睡蓮とは上記写真のごとく、小さい花が咲き始める頃なのだろうか?

 それを知りたく思い、先程睡蓮に関するネット情報を検索したところ、以下の記述が見つかった。
 睡蓮は水位が安定している池などに生息し、地下茎から長い茎を伸ばし、水面に葉や花を浮かべる。 葉は円形から広楕円形で円の中心付近に葉柄が着き、その部分に深い切れ込みが入る。 葉の表面に強い撥水性はない。 多くの植物では気孔は葉の裏側にあるが、スイレンでは葉の表側に分布する。 根茎から直接伸びる花柄の先端に直径5-10cmほどの花をつける。

 なるほど。 睡蓮の花とは大きくて直径5~10㎝程度なのだ。 
 と言うことは、私が6月初旬に大塚美術館の外池にて観察した睡蓮の花も、既に立派に咲いた成花だったのかもしれない。
 睡蓮と蓮のイメージがダブる私は、この花がもっと大きく立派に育つのかと勘違いし、その時期にこの池を今一度訪れたいと志したのは誤りだったようだ。


 ここで、クロード・モネ氏が連作した「睡蓮」に関する情報の一部をウィキペディアより紹介しよう。

 「光の画家」と呼ばれたモネは、同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く制作した。 もっとも作品数が多く、モネの代名詞ともなっているのが1890年代終わりから描きはじめた『睡蓮』の連作である。 『睡蓮』はジヴェルニーの自宅の庭にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から1926年に亡くなるまでの間に全部で200点以上制作されている。
 1893年には自宅の土地を買い増して池を造り、1901年にはエプト川の水を引き込んで池を拡張した。しばしば絵のモチーフになっている日本風の橋は1895年に造ったものである。 本格的にこのテーマに取り組むのは1899年からである。 同年から翌1900年にかけて、睡蓮と日本風の橋とをテーマとした連作を手がけ、18点が制作された。 1900年頃からの晩年には他の絵はあまり描かなくなり、もっぱら『睡蓮』に傾注した。
 その後、1909年から1913年頃までは視力の悪化のため、あまり制作をしていない。 この間、1911年5月には2番目の妻アリスが病死。実子のジャンも1914年に没した。
 1914年頃から制作を再開。 縦1メートル、横2メートル、あるいはそれ以上の大キャンヴァスにもっぱら描くようになる。 視力が悪くても大画面に描き、遠くから眺めれば何とか制作できることがわかったからである。 最晩年の「日本の橋」や「バラの小道」をテーマとした作品群はほとんど抽象に近づいている。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 画家 クロード・モネ氏が自宅の庭に睡蓮の池を作り、亡くなるまでの30年程の期間 視力の衰えにもかかわらず「睡蓮」画制作に傾注したとのことだ。 晩年に近い頃には大キャンヴァスに睡蓮を描いたとのエピソードは驚くばかりだ。
 それ程までに、人生後半を「睡蓮」に捧げ、それを愛し続けた画家の人生は賞賛されるべきだろう。


 このモネの「大睡蓮」の外庭が美しいと判断する、もう一つの原左都子なりの評価を語ろう。

 大塚国際美術館とは、国立公園「鳴門公園」内に存在している。 そうだとすると、自ずとその鳴門公園の恩恵に与っている事も確かだ。
 まさにその通り、この「大睡蓮」の庭から瀬戸内海に位置する鳴門の海が展望出来るのだ。 両者がコラボレートした風景とは絶景に間違いなかった。

 その風景を展望出来る事自体が、名画を超えた真の芸術であろうと評価する。

 徳島県鳴門市出身の(郷里嫌いの天邪鬼)原左都子としても、そんな風景に私なりに納得出来た事が、今回の旅の醍醐味でもあった事実を一応認めておこう。

名画の百科事典的役割を果たす陶板美術館を行く -2-

2016年06月13日 | 旅行・グルメ
 (写真は、徳島県鳴門市に位置する大塚国際美術館のガーデンレストランにて食した 「モネのランチ」のメインディッシュを撮影したもの。)


 大塚美術館公式サイトがネット上にて公開している、当該「モネのランチ」に関して引用しよう。
 
 4月~9月まで
 モネのランチ (ガーデンランチ) 1,000円

 柔らか玉ねぎのスイレン仕立て
 チキンパテと甘いブラウンソース
 小さなタルトのキッシュを添えて 

 モネが描いた睡蓮をお皿の上で表現しました。
 国内産の鶏ミンチを使ったパテと玉ねぎを使った甘いデミグラスソースの相性は抜群!
 きれいに花咲く玉ねぎの睡蓮がかわいい一皿です。
 絵画の鑑賞とともにお楽しみください。

 (以上、ネット情報より引用。)


 さて、大塚美術館を訪れた私だが、郷里出身者として何度も当美術館を訪れている立場で正直に言うなら、美術館周辺には歩いて行ける近場に何らのレストラン等食事処がない。
 しかも当該美術館が大規模であるが故に観賞所用時間が長時間となり、ほとんどの観光客は必然的に館内にてランチをとる運命となろう。

 今回私も美術館入館後早い時間帯にランチを食すために館内ガーデンレストランへと足を運んだのだが、既に長蛇の列だ。
 この長蛇の列のレストラン側の顧客のさばき方が、実に手際が悪い。
 都内レストランのごとくきちんと顧客を列に並ばせればよいのに、その対応がまったく出来ていない。  厳しい視線でこの待ち時間を過ごしていると、やはり観光客らしき人物が、「あの人が先に来ていた、どうのこうの…」と店員氏に指摘している。

 都会暮らしが長い我が目にも、何故巨大美術館のランチレストランにてこれ程の失態を繰り広げているのかとやきもきしつつ、様子を観察した。 
 まさに顧客を待たせる事に関して、大塚美術館レストランは今後に至る大きな課題を抱えていると言えるであろう。 是非共、顧客案内に関してスマートな対応が可能となるべく進化することを期待したいものだ。

 
 しかもしかも、どうしたんだ???。 この「モネランチ」のまずさ加減は!?!

 アイデア発想は認めるものの、これ程の低レベルランチを食するのは滅多に経験が出来ない程に、私の舌にはとんでもなくまずい!!!
 要するにパテとして固めたような冷凍品を皿に並べて用意しておき、レンジでチンして顧客に提供しているのであろう。 しかも混雑状況下において十分な時間が取れず、冷凍チンの時間すら短かったものとも推測するが、何とも中途半端に生温かく気持ち悪い。
 仕方なくご飯に塩をかけ、カボチャスープと思しきもの(これも決して美味でなく、おそらく冷凍ものであろう)を食したものの、モネランチメインディッシュは最大限頑張っても我が舌と体が半分程しか受け付けず、残す始末だ。
 言葉通りの“後味の悪さ”を引きずりつつ、このレストランを後にした。 

 私が過去に当該美術館へ訪れた時に食した「うどんと天ぷらセット」の方が、安価にしてよほど美味しかった記憶がある。
 もしも大塚美術館へ訪れる機会があれば、ランチの選択には要注意! とアドバイスしておこう。


 地元の高齢御婦人団体が、この美術館の当該レストランにて会食中の風景を見かけた。
 何でも、その主催者が医者の奥方であるようだ。 (徳島はとにかく医者が数多い医者大国だからねえ。諸産業が発展せずそれしか主要な地位がなかった時代に、私も地元の医学部にて教育を受けているのだが…。)
 で、どうしたんだ?? そのおばさん連中のうるささは!  自分は医者の奥方だから偉いんだと??  たとえ過疎地とてそんな事を大きな声で吹聴して威張っていられるのは、貴方程の年代が最後じゃないのかなあ??
 こんなまずいランチを食しつつ自分の優位性を誇っている場合ではない程に、世の中は移り変わっているよ。 痴話はもう少し小さい声でしようよ。 せっかくの美術空間が台無しにされそうだよ。

 いやはや、過疎地(の特に年寄り連中)とはとんでもなく偏った意識を今尚引きずっているものだ…
 なるマイナス感覚に苛まれ呆れ果てつつ、我が陶板美術館報告は次回へと続きます。