原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

池上彰氏は釈明の仕方を誤った 

2007年10月30日 | 時事論評
 昨日(10月29日)の朝日新聞夕刊のコラム池上彰の「新聞ななめ読み」で、“読者の反論 紙面でやり取り、これぞ言論”と題して、池上氏は前回の同コラムの内容に対し寄せられた読者からの反論について取り上げた。
 当ブログにおいても、このコラムの前回の記事につき論評した。(「朝日新聞池上彰の『新聞ななめ読み』論評」をご覧いただきたい) 簡単にその内容を復習すると、女優の沢尻エリカが悪態をついた騒動が池上氏いわく“社会現象”であるのに、朝日新聞だけがこれを報道しなかったことについて、朝日新聞はお高くとまっておりこんなことでは読者の新聞離れが進む、と私論を展開された訳である。これに対し私は、沢尻エリカ騒動ごときが“社会現象”たり得る訳がなく、朝日新聞が報道しなかったのは当然の判断である趣旨の反論を述べた。
 この池上氏のコラム記事には、案の定朝日新聞読者から私の論評同様の反論が多く寄せられた模様だ。

 さて、池上氏の釈明記事と解される昨日夕刊のこのコラムであるが、残念ながら論点がずれてしまっており、反論に対応できていないのだ。いや、あえて論点をずらすより他に釈明の方法がなかったものと察する。池上氏はあくまでも沢尻エリカ騒動を朝日新聞は報道するべきだった、との自らの私論を貫き、反論が多かったことについて「これぞ言論のあるべき姿だ」と問題をすり替えて自己満足していらっしゃるのだ。すなわち、こんなに反論を巻き起こした自身の前回の記事がすばらしかったと言わんばかりに、前回の記事を正当化してしまったのである。
 池上さん、論点を自分の都合でずらさず、話を元に戻して考えましょうか。 池上さんがおっしゃる通り、新聞は“社会現象”を報道し、読者にその事実を周知させ、世間の議論を呼び起こすべき役割を担っている。そんなことは池上さんからお教えいただくまでもなく、誰だって承知の上で新聞を購読している。異論反論があれば、読者は投書等の手段でそのオピニオンを公開し、そして意見交換がなされ様々な価値観が交錯していく。その過程の中で、“社会現象”はより存在感を増したり、あるいは社会から淘汰されていくものである。
 もう一度繰り返すが、今回の沢尻エリカ騒動は、そもそもその“社会現象”たり得ないのだ。すなわち、井戸端会議で済ませば良いレベルのたわごとであり、市民の議論の対象となり得ない取るに足りない事実なのだ。朝日新聞が紙面を割いてまで速報するべき出来事ではないのである。それが証拠に沢尻エリカ騒動は既に社会から消え去っている。わずか半月足らずで完全に消え去る出来事を“社会現象”とは呼ばないであろう。池上氏は、今回のコラムでこの騒動が“社会現象”と言える程の出来事ではなかったことを認め釈明するべきであったのに、問題をすり替え逃げてしまったのだ。
 さらに、池上氏は「(池上氏の)朝日新聞に対する批判に怒って朝日を擁護する読者がいて、朝日は恵まれている」と述べてこのコラムを締めくくっている。池上さん、もう少し冷静に考えませんか。誰も朝日新聞を“擁護”しようとして投書したりブログ記事を書いているわけではないのですよ。読者はあなたの朝日新聞に対する“批判”に怒っているのではなく、あなたがコラムで取り上げた記事の題材があまりにもお粗末なことに怒っているのですよ。
 
Comments (5)