原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

癌は突然やって来る

2007年10月05日 | 医学・医療・介護
 私が利用させていただいているこのブログのgooもピンクリボンキャンペーンに協賛されているようである。
 現在、癌は日本人の死亡原因の第一位を占めているようだ。とは言っても、自分や身内や近親者が癌に罹患しない限り、他人事と考えている人が今なお多いのではなかろうか。 ところが、癌とは本当に突然やって来るものなのだ。

 実はこの私にも癌が突然やって来た。私の場合、医学関係の仕事をしていたこともあってある程度自分の体の状態が客観的に把握できるため、突然と言うには少しニュアンスが違うのだが、そんな私にとっても癌との対面はやはり人生において忘れることはない大きな出来事であった。
 癌と診断される8年も前のある日、私の頭に突然“できもの”が出現した。痛くも痒くもないのだが何日たっても消えない。不気味に思い、健診時に医師に相談したところ「粉瘤」であろうとの診断である。私もその類のものではないかと自己診断していたため多少は気にしつつも“できもの”に特に変化はなく年月が流れた。 子どもが1歳の頃、その“できもの”が徐々に大きくなっていくのに私は怯えながらも、母親として育児を最優先し自分の事は後回しにしているうちに、子どもが2歳になり少し手が離れた。その“できもの”の大きくなり方が尋常ではないため、私は思い切って近くの皮膚科を受診した。案の定、直ぐに大学病院を紹介され、その大学病院にて“できもの”の組織を切り取り細胞診の結果を待った。その3週間後の夜10時半頃担当医から突然自宅に電話があり、次の日の午前中に必ず病院まで来るようにとの指示があった。あの電話のことは今でも生々しく憶えている。私はその電話で既に癌であることを悟り、生まれて初めて「死」を意識した。ところが、私は自分でも不思議なくらい至って穏やかなのだ。なぜならば、死を意識した瞬間に「いい人生だった」と思えたからである。(何分、類を見ないほど自分のやりたいことを最優先して自分勝手に生きてきたもので…。) いち早く、その電話の事と私の「いい人生だった」との思いを親しい知人に話したところ、知人からこっ酷く叱られた。「馬鹿なことを言ってるんじゃない。あなたにはこれから子どもを育てていく義務がある!」と。その知人の愛情が心にしみて、私は初めてぼろぼろ涙を流した。 それでも、死を意識した瞬間に「いい人生だった」と思えたことが、その後の私の癌闘病生活の大きな支えとなる。
 入院後、癌周辺組織の摘出手術を受け私は順調に回復し、見舞ってくれた友人に“明るい癌患者”と名付けられる程生き生きとしていた。2週間後には退院できると喜んでいた時、突然担当医が抗癌剤投与を告げるのだ。私は自分の癌について医学書を熟読し十分な知識を得てから入院しており、担当医とも出来る限り話し合って治療に臨んでいた。私の癌に特異的に作用する抗癌剤はその時点では開発されていないはずで、抗癌剤投与はしないことを話し合っていたのに、突然の変更に私は大きく動揺した。抗癌剤はご存知のように癌細胞を攻撃する薬であるのだが、正常な細胞までも攻撃してしまう、すなわち副作用が大変強い薬なのである。私は投与を中止するよう担当医に交渉したのだが聞き入れてもらえず、早速抗癌剤投与が始まってしまった。これが予想通りの大打撃で、投与の度に発熱して体が手に取るように弱っていくのだ。手術後はあれだけ元気だったのに、抗癌剤のせいで私は一転して“癌患者らしく”なってしまった。人間というものは体が弱ると心まで弱気になり悲観的になるものだとつくづく学習させられることになる。人にも会いたくなくなりせっかくの見舞い客の対応が苦痛になった。1週間のみ限定投与の条件を付けたので、この苦しみを私はとにかく1週間我慢した。担当医はこの約束は守ってくれ、投与終了後退院の運びとなった。入院前にはピンピンしていた体が抗癌剤のせいで弱りきっての退院である。
 退院後は定期的な通院となるわけであるが、育児の日常が待ち構えており私はみるみる回復した。ただ、抗癌剤による後遺症の抜け毛が半年程続き、手術の置き土産の傷跡は一生残ることとなる。それでも術後11年が経過した今、私は再発、転移もなくこの通り普通に生きている。
 近年は癌検診の精度も上昇し、癌治療5年後の生存率も驚異的に上昇しているらしい。昨日のニュース報道によると、病院ごとの癌治療生存率さえ公表される時代に突入しているようである。癌患者にとってはすべて吉報ではある。ただ、癌の遺伝的要因に関しては研究が進んでいるものの、未だにその発症原因が不明の疾患でもある。それ故に治療法もまだまだ確立されたとは言い難い。 癌はやはり突然襲ってくる病気であることには変わりはない。少なくとも今後共、癌に突然襲われた癌患者やその家族が医師と対話しつつ治療に臨めることを、私は祈るばかりである。
  
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