原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

サルコジ仏大統領前夫人の離婚の理由

2007年10月26日 | 時事論評
 仏大統領サルコジ氏と(前)夫人のセシリアさん夫妻は、サルコジ氏が大統領選に立候補以前より不仲が伝えられていたが、最近のニュース報道によるとセシリア前夫人が、やはり離婚に踏み切ったそうだ。
 朝日新聞朝刊(10月20日)によれば、このセシリアさん、以前より実業家と駆け落ちするなど奔放なイメージが強いらしい。それは勝手にしていただくとして、私は今回のセシリアさんの離婚の理由に同情するため、この決断を支持申し上げたいのである。

 何でも、セシリアさんは今回離婚に踏み切った理由につき「もっと静かに生きたかった」と述べ、「大統領夫人としての公的な役割に違和感を抱いていた」と仏レスト・レピュブリカン紙のインタビューに応じたらしい。セシリアさんは「私は公的な生活に本質的になじめなかった。私は陰にいて平穏で静かに過ごすことを愛する人間だから」とも述べたそうだ。そして「夫が元首に就任して私は誇らしいが、そこには自分の居場所はなかった。」「政治家と結婚すると公私の区別が難しい。問題の原点はそこにあった。」とも釈明したとのことである。
 私の場合、大統領夫人になるチャンスは残念ながら今後共にないものと思われるが、今回のセシリアさんの決断が身にしみてわかる気がする。 私が長~い独身時代を過ごした(挙句の果てには結婚したのだが。)のは、実は「結婚」を選択する前から「結婚」とはそんなものであろうとの予想をしていたためだと、今になって思えるのだ。 私の場合はセシリアさんと違い、陰にいて平穏で静かな暮らしをしたいという発想は元々ない方だが、結婚相手の都合で自分の公私の区別がつかなくなる事態など、到底勘弁ならない。
 そもそも、主要国元首会談等の会合に必ず大統領(首相)夫人が同行している報道をマスメディアから見せられて、昔から私は大いに違和感を抱いていた。何で旦那の仕事に奥さんがのこのこついて行かなきゃいけないの? まあ、夫婦だからついて行ってもいいけれど、公の場にまでしゃしゃり出て記念写真までいっしょに入り、それが世界中に報道されるって、おかしな話でしょう? ファーストレディって言うけれど、着飾って、旦那の仕事に金魚のうんちみたいにつきまとって、あらかじめ仕立てられた慈善行為のパフォーマンスだけマスメディアの取材のためにする事のどこがファーストレディなんだか、私には理解しかねる。 だいたい、「夫人」という言葉も気に入らない。奥さん(この言葉も変な言葉だが)は夫の所有物なのかい?
 しかも、逆はあり得ないのだ。例えば、サッチャーさんの旦那が元首会談にのこのこついて来たのを私は見たことがない。アメリカ大統領選に出馬中のクリントンさん(女)は、クリントン元大統領にはいつも同行していたけれど、現在出馬中のクリントンさんに旦那がくっついている姿も見ない。男女平等意識の高い国々でさえこの有様なのはなぜであろうか。政界における単なる慣習なのであろうか。
 職業上、パートナーのサポートがかかせない分野もあるであろう。例えば自営業などの場合、夫婦共同で営んでいるケースも多い。だが、政治家というのはそもそも選挙により選出される職業だ。市民は候補者一個人に投票しているはずであり、奥さんも含めた候補者に投票している訳ではない。奥さんの立場から考えると、夫である政治家のサポートは他の職業同様に決して義務ではないはずだ。(もちろん、夫婦なのでプライベートでのサポートはお互いに信義則に従ってなされるべきではあるが。)

 セシリア前夫人の評判の程はともかく、以上のような理由で、私は今回のセシリアさんの離婚の決断を支持申し上げる次第である。
  
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