珍しく久しぶりの天候に恵まれた、雪が降らない一日だった。
前々から気になっていた越前海岸の水仙、薄日と小雨、そして風の穏やかな今日、
日本海を見下ろす断崖に咲いている水仙に会いたくなって、急遽出かけてきた。
午前10時前に家を出たときには晴れていたが、やはり北陸の冬、
石川県、福井県の県境に近づくにつれ、雲行きが怪しくなり大粒の雨が降ってきた。
ハンドルを握りながら西の空を眺めれば薄い雲、きっと晴れる、そう思ってまずは東尋坊へ。
それまで荒れていた空が急に晴れ渡り、空一面が青空に。
目的の越前海岸まではかなりの距離、慣れ親しんだ東尋坊の景色を眺めながら、
南下を続けた。
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東尋坊の海 |
今日の目的は観光ではなく、北風に耐えながらも懸命に咲いている水仙に会いに行くこと、
風光明媚な海岸線を走っていると、いつもの休憩場所に到着。
1997年1月2日、ロシア船籍の重油タンカー「ナホトカ号」が悪天候の為沈没、
その後、船首部分が漂流を続け、同年1月7日に福井県三国町に流れ着いた。
その事実を忘れない為に作られた記念碑、その近くの展望台に到着。
昨年3月の東北の大震災、何もかも流されてしまった悲しい出来事、
ここ東尋坊には積荷のC重油6,000kl以上が海上に流出し、
美しかった海岸線を真っ黒に染めてしまった。
けれど全国から沢山のボランティアの方々が駆けつけてきてくださり、
流れ着いたC重油を柄杓や手で、そしてバケツリレーで丁寧に取り除いてくださり、
わずかの間に海は元の姿を取り戻すことが出来た。
私も微力ながら、手伝いに出かけた。
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越前海岸 |
一般人の懸命な姿に対し、住民の、国土を守るべき政治家と言えば、
エメラルド色の海が好き、と愛人と南の島に遊びに行ってマスコミ攻勢にあったり、
アイロンの折り目がきっちりと付いた被災服を着た、デップリと太った政治家が来て、
流れ着いた重油を取り除くでもなく、ただ状況を見て何もせず帰って行ってしまった。
ここに立つと、いつもその時のことが思い起こされ、
今も政治的な復興が進んでいない、東北、そして福島原発の被災者のことを思い、
心が、胸が痛んで仕方ない。
政治家の無力さに比べ、一般の方々の心ある行動で元の美しい海が甦った海岸線、
東北、東日本にも一日も早く平穏な日々が訪れることを願って止まない。
ほんの一時(いっとき)の晴れ間の中、平日の今日は行き交う車もまばら。
海岸線を沿って走る道路も殆ど車が通らず、運転はとても楽であった。
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越前海岸 ・ 水仙 |
福井・東尋坊から三国漁港、そして越前海岸へと車を走らせた。
それまで姿が見えなかった水仙がチラホラと見え始めてきた。
けれど何故か枯れている水仙が殆どだった。
温暖化の影響は確かにあるが、海沿いの水仙の花は茶色く変色していた。
きっと強い季節風が吹き荒れ、塩水をかぶった為に枯れてしまったのでは、と、
断崖の上に登る道を運転していった。
やはり上の方の水仙は楚々(そそ)として、美しい花を咲かせていた。
ここにたどり着くまでは海も穏やかで、群青の海が穏やかだったが、
西の空から雲が広がって来、海の色も空と同化するように鉛色に変化し始めてきた。
ここの水仙は、私の近くの水仙と異なって一重、香りもほんのりと。
海から吹き上がる北風に耐え、懸命に咲く姿はとてもいとおしい。
厳しさに耐え忍んで生き抜く様、見習わなくてと寒さも忘れ見惚れていた。
せっかく越前海岸まで来たのだからと、水仙が咲いている丘陵を散策した。
そうこうしている間にも雲行きが怪しくなり始め、今にも雨が降り出しそうになってきた。
越前海岸まで来た道を引き返すのも芸がない、そう思い、
鯖江市へ出、国道8号線を北上し夕方帰宅。
久しぶりの車にての遠出、しっかりと根をおろして咲く水仙に感動した一日だった。