空を染める、夕日 |
「 秋 」、この一文字であなたは何を連想し、また何を想うのでしょうか。
私にとっての秋は、もの想う秋。
枯葉の一片(ひとひら)が過ぎし日々を物語っているように、
心の中に言い表せぬ感情が芽生えてくるのです。
つい先日まで聴こえていた虫たちの合唱も静かになり、
ガラス窓をこする 「マンゲツ=大モミジ」 の乾いた音が聴こえてくるだけ。
サラサラ、サラサラ・・・。
普段気づかない音さえも心に染み入り・・・サラサラ、サラサラ・・・。
幸せな環境、というか、家の周りには大きな建物が無く、
一歩外に出れば周りは田んぼ。 東を見やれば白山。
西に向かえば、遠くに小松市内の低い街並みと広がった空。
日の暮れる時間も早まり、
4時半を過ぎる頃からすべての影が急に長くなってくる。
作業場のドアから入ってくる光も弱くなり、ガラス窓も次第に赤味を帯びてくる。
晩秋へと向かうこの時季、運がよければ美しい夕焼けを見ることが出来る。
その茜色に染まった空が見られる日も、指折り数えるくらいになっていく。
赤く、真ん丸い夕日が西の空の向こうに沈んでいく様も美しいが、
夕日が残してくれた、名残り(なごり)の色が無性に詩情をかき立ててくれる。
|
窯変紅彩壷(辰砂壷) 径ー21、5cm 高ー29、5cm |
そのような思いの中から焼きあがった作品である。
複雑な赤みを帯びた、紅の色が何層にも重なり合い、
いま目の前で見ている夕焼けの景色にも似て。
窯元で修業をしていた頃、よく聞き言われた諺(ことわざ)のひとつ、
「 辰砂(しんしゃ)で身上(しんしょう=財)をつぶす 」と。
辰砂の複雑、かつ魅力的な色合いは、焼物を志す者にとって、
一度は挑戦したい、また焼き上げてみたい焼物なのです。
諺(ことわざ)のように、この色の虜(とりこ)になって追求をしていくと、
いつしか蓄えも何もかもなくしてしまう、だからやめなさい、と言う難しい焼物なのです。
若い頃から、青磁と共に鉄釉、辰砂を追及してきた私、
多くの作家達が作っているような、「 何となく赤い辰砂 」の色は簡単に出すことが出来るが、
私の求めている辰砂の色は、もしかしたら危険な仕事なのかも知れない。
この壷のように、複雑な発色と魅力的な紅(=赤)を求めてやまないのである。
テストを何度も繰り返し、求める色合いになり、これで良し!、と決めて造った辰砂釉薬。
その日の天候、温度、湿度、窯の火の微調整、それらのすべての条件が整って
ようやく焼きあがる焼物なのです。 しかし、数日後窯の扉をあけてみて・・・。
最初に見える、扉近くにある辰砂の色は私の求める色合いではない、ということは
その窯で焼いた辰砂はすべて求めている色合いと異なるわけである。
心こめて作り上げ、窯と共に焼き上げた、その時の作品は残念ながらすべて・・・。
辰砂作品の殆どは、このような運命をたどるのです。
そのような中から焼きあがった、窯変紅彩壷(辰砂壷)。
いつの日にか、どなたかの目に止まり、その方の下で輝いて欲しいと願っているのです。