10月14日の記事で指揮者ムラヴィンスキーにふれましたが知らない方もいるかもしれませんので簡単に紹介します。
エフゲニー・ムラヴィンスキー(1906生~1988年没 ソ連)
1924年レニングラード音楽院に入学。1938年ソ連指揮者コンクールに優勝。直ちにレニングラード・フィル(現在のサンクトペテルブルク・フィル)の音楽監督、主席指揮者に就任。時に35歳、没するまで約半世紀その地位に君臨した大指揮者。同国人の作品の初演を多く手がけたが、音楽院時代からショスタコーヴィッチと親交が深く交響曲では5番、6番、8番、9番、10番、11番、12番の世界初演を行っている。どうしてもチャイコフスキーやショスタコーヴィッチなどのロシア音楽のスペシャリストのように見られるが、ベートーヴェンやブラームスなどにも名演を残す。
来日は1973年レニングラード・フィルと初来日。その後も同フィルと1975年、1977年、1979年にも来日。なお私は1977年の東京公演を聴いています。機会があれば取り上げたいと思います。
エフゲニー・ムラヴィンスキー(1906生~1988年没 ソ連)
1924年レニングラード音楽院に入学。1938年ソ連指揮者コンクールに優勝。直ちにレニングラード・フィル(現在のサンクトペテルブルク・フィル)の音楽監督、主席指揮者に就任。時に35歳、没するまで約半世紀その地位に君臨した大指揮者。同国人の作品の初演を多く手がけたが、音楽院時代からショスタコーヴィッチと親交が深く交響曲では5番、6番、8番、9番、10番、11番、12番の世界初演を行っている。どうしてもチャイコフスキーやショスタコーヴィッチなどのロシア音楽のスペシャリストのように見られるが、ベートーヴェンやブラームスなどにも名演を残す。
来日は1973年レニングラード・フィルと初来日。その後も同フィルと1975年、1977年、1979年にも来日。なお私は1977年の東京公演を聴いています。機会があれば取り上げたいと思います。