オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

父の誕生日

2013年12月04日 22時49分33秒 | 私事
昨晩も寝る前にまた、この前のNHK杯・アイスダンスからメリル・デイビスとチャーリー・ホワイトによるショートダンスの演技を見る。
もう何度見たであろうか。それでも飽きない、何度も見たい。
本当に素晴らしい演技。氷の上で演技をしているとは本当に思えない。おそらく究極のアイスダンスの演技。
音楽はミュージカル「マイ・フェア・レディ」から「踊り明かそう」
そう「マイ・フェア・レディ」から「踊り明かそう」
このナンバーを初めて聴いたのは小学生の時。
その頃、既に我が家には「サウンド・オブ・ミュージック」「南太平洋」そして「マイ・フェア・レディ」のミュージカル映画のサウンドトラック盤のLPレコードがあり、しょっちゅう耳にしていた。歌詞は分からなくても、ほとんどナンバーのメロディは頭に入っていた。いや体にしみついていた。
そして日曜日の朝、いつも、それらのLPレコードを鳴らしていたのは私の亡き父である。

今月15日は、その父の誕生日である。
元気でいたら、もう80歳を超えているのですが、父は既にこの世にいない。
父は私の高校の卒業式の一週間前に病のため、この世を去った。47歳の若さだった。
本来ならば、これから進学、そして卒業して世間の荒波に巻き込まれて行く時、大きな指針を示してくれるのは父親であろう。
しかし、そんな時、私には父親が既にいなかった。
就職、退職、転職など、私の大切な人生の転機の時、本当に相談する人がいなかった。全て自分だけで決めなければいけなかった。
今、私は完全に飲んだくれのダメおやじ。家にいる時はテレビを見ているかCDを聴いているかの、すぐに自分の世界に入り込む(娘談)どうにもならないダメおやじ。
ただ、要所要所で、行くべき方向へ子供の背中をポンと押して上げることが出来たら、それでいいと思っている。
実は私の娘は地元の短大を卒業する時、なかなか就職が決まらなく本当に辛かった。
やっと決まった就職先も、あまりいい条件ではありませんでしたが、その時、娘にはっきり言った。
「どんなに我慢できなくても絶対に2年間は辛抱しなさい。何かが身に付くはず。それが財産になる。気に入らないといって、すぐに仕事を変えると、その繰り返しになって何も身に付かない。ただ2年たったら好きにしろ」
日頃は私をアホにしている娘ですが、これだけは守ってくれて、2年後、見事に仕事を変え、毎日、夜、晩くまで仕事に励んでいる。
私自身、若い頃は、自分の父親のことは、全く意識していませんでしたが、あと数年で第一線を退こうとしている今、何故か自分の父親を強く意識している。何か自分の傍に父がいるような気がしている。
何故だか分からない。自分自身が今まで歩んできた道のりを亡き父が見て、どんなことを言うか?そんなことを、よく思う。
こんなことを思うのも私が齢をとったためか?よく分からない。

今、父に一番に感謝しているのは、やはり今、持っている感性を私に植え付けてくれたこと。
アイスダンスのメリル・デイビスとチャーリー・ホワイトによる「マイ・フェア・レディ」の演技を見て心から素晴らしいと思えることの出来る感性。
父は戦前、生まれ育った大阪でフィギュアスケートの全日本選手権での初めての女子シングル優勝者であり、日本女性として初めて冬季オリンピックに出場した稲田悦子さんの演技を、その目で見ていたと言うことを数年前、母から聞かされ、たいへん驚かされましたが、その時、私自身、何か運命的なものを強く感じました。
フィギュアスケートは今は亡き父と今の自分を結びつける、音楽と混然となった一本の糸なのかもしれない。
日本のフィギュアスケートの黎明期を見てきた目で、今のフィギュアスケート界を見て、どう感じたのだろうか?しかし、今、それを聞くことは出来ない。
もし父が今も元気で荒川静香さんや浅田真央さんを見て何と言うのだろう?喜んだであろうなあ、と、よく思うことがあります。
いや父に代わって私がフィギュアスケートを見ているのかもしれない。そう思うこともある。
だから私は浅田真央さんや高橋大輔さんが引退後も、日本のフィギュアスケートを、しっかりと見て行きます。
これからも単なるブームに流されることなく、フィギュアスケートを愛して行きたい。
父の誕生日が間近になってきて、そんな思いを強くするばかりです。
どうも今日は私の心情を、露骨に出し過ぎてしまいました。本当に申し訳ございませんでした。




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