オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

カール・ベーム・没後30周年 「出会い」

2011年06月01日 09時57分19秒 | カール・ベーム(没後30周年)
「カール・ベーム没後30周年」いよいよ本題に入ります。
まずベームの生涯を簡単に記載します。

1894年 オーストリアのグラーツにて生れる。
1917年 グラーツ市立歌劇場でデビュー
1921年 ブルーノ・ワルターの招きでバイエルン国立歌劇場の指揮者に就任。
1927年 ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督に就任。歌劇「ヴォツェック」の公演を通じてベルクと知り合う。
1931年 ハンブルク国立歌劇場音楽監督に就任。
1934年 ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。ドレスデン時代、R・シュトラウスの歌劇「無口な女」と「ダフネ」を世界初演する。
1943年 ウィーン国立歌劇場総監督に就任。(~1945年)
1948年 ミラノ・スカラ座に初登場。
1954年 再びウィーン国立歌劇場総監督に就任。
1955年 再建されたウィーン国立歌劇場での記念公演を指揮。
1956年 ウィーン国立歌劇場総監督を辞任。後任はカラヤン。
1957年 メトロポリタン歌劇場に初登場。
1962年 バイロイト音楽祭に初登場。
1963年 ベルリン・ドイツ・オペラと初来日。「フィデリオ」と「フィガロの結婚」を指揮。
1975年、1977年 ウィーンフィルと来日
1980年 ウィーン国立歌劇場と最後の来日。ウィーンフィルの公演も指揮。
1981年 ザルツブルクで死去。

私は中学3年生の頃からクラシック音楽に興味を持ち聴きはじめ、現在に至りましたが、クラシック音楽の深みに入って行ったことに、3つの転機(3つの大きな扉)がありました。この大きな扉を開ける時、そこにいつもベームの存在がありました。
ベームを語ることは私の音楽遍歴を語ることになると言えるでしょう。

①1枚目の扉
以前、「ブルーノ・ワルターとの出会い」を特集した時にコメントしていたので再録します。

>高校1年の時FM放送でカラヤン指揮のベルリンフィルの連続演奏会を聴いて以来購入するレコードは全てカラヤンオンリーという時期が続きました。しかし予期しなかった事があり方向転換する時がきました。
高校2年も終わり3年になる直前の3月でした。NHKがベーム指揮のウィーンフィルを招聘し、これも連日放送されました。今では都会ではウィーンフィルの来日は年中行事になっているようですが当時は何年かの1度の事件でした。(私の4年間の東京での大学生時代でも来日は1回だけだった)当時、私自身はベートーヴェンやブラームスの交響曲は全て聴いており知っている(つもり)状況でした。
初日はFMの生放送でベートーヴェンの4番と7番の交響曲を聴きましたが別に何とも思いませんでした。そして・・・今も強烈に記憶が残っています。
2、3日後テレビでブラームスの交響曲第1番を聴き(観)ました。第1楽章の冒頭のティンパニの連打を聴いた瞬間、今迄聞いて来たものと全く違う事に驚き、別世界に連れて行かれるようであった。この作品はカラヤンのレコードを持っていましたが冒頭は単にティンパニを叩きましたという感じでしたが、この日聴いた演奏は指揮者の強い意思、そして気迫がオケに乗り移り物凄い緊迫感を第1楽章で感じました。ベームの指揮ぶりもカラヤンのような外面の良いものではありませんが作品に寄り添っているのがよくわかりました。そして第2楽章では気高さと第1楽章に反するような美しさ!特にコンサートマスターのソロの美しさ!初めてこの作品を聴く感じであった。第3楽章を経て第4楽章。あの有名な主旋律では、ここぞとばかり歌うウィーンフィル。そして速度をあげて力強い響きの圧倒的といえるクライマックス。カラヤン指揮ベルリンフィルのレコードと次元が違いすぎる!クラッシック音楽というものが、こんなに物凄く、決してきれい事でない世界である事を始めて知った!クラシック音楽を聴き初めての感動だったのではないか?
数日後FMでの生放送でシューべルトの交響曲9番も聴きましたがブラームスと同様でした。アンコールでの「マイスタージンガー」前奏曲も素晴らしかった!

ベームの演奏で、カラヤンと全く違う世界が私の前に広がりました。それまでは、どちらかと言うと単に「作品を聴く事」が勝っていたが、べーム指揮ウィーンフィルの演奏を聴いて初めて知った事は今にして思えば「演奏を聴く事」の面白さだったのではないかと思います。
それまでカラヤンの本も読んでいましたが、どちらかと言うとメディアに関することが多かったですが、ベームに関する記事を読むと、カラヤンと全く違っていた。ベームを通じてワルターやクナパーツブッシュを知り、バイロイト音楽祭、ヴィーラント・ワーグナーを知り、そしてR・シュトラウスやベルクまで至りました。ベームをミュンヘンに招いたのがワルターであり、その後任がクナパーツブッシュ。ベームとのつながりで、いろいろと知ることも多く音楽的視野も一気に広がり、クラシック音楽を聴く楽しさも深くなっていくものがありました。

②2枚目の扉
高校生になって特に興味を持った作曲家がワーグナーでした。歌劇「タンホイザー」序曲などはよく聴いていたのですが、特に楽劇「トリスタンとイゾルデ」からのコンサート形式による「前奏曲と愛の死」を初めて聴いた時は、たいへん衝撃を受け、何か異様な世界に引きずり込まされるような気分でした。
楽劇「トリスタンとイゾルデ」の全曲を聴いてみたい、特に第2幕の愛の2重唱はぜひ聴いてみたいという願望を強くしていきました。しかし当時のオペラの全曲レコードは現在のCDでは考えられないくらい、高校生だった私にとってたいへん高額でしたが、コツコツとお金を貯めて、そして、やっと購入しました。
録音はカラヤン盤を見向きもしないで当然ながら1966年のベーム指揮によるバイロイト音楽祭のライブ録音を選びました。ベームの自伝「回想のロンド」を既に読んでいて、ベームのこの作品への愛着の強さ、この録音の意気込みを知っていたので当然でしょう。
手にしたアルバムはズシリと重いものでした。あの初めて手にしたときの重さの感覚は今も忘れられません。あの重さ=作品の重さと言えるでしょう。
我が家のステレオのスピーカーから初めて聴く第2幕の最初の序奏が初めて鳴り響いた時は、本当に感動しました。
楽劇「トリスタンとイゾルデ」という作品が私を音楽の深みにさらに導いてくれた。そして、この作品の真価を教えてくれたのが、またしてもベームでした。



③3枚目の扉
高校生生活を終えた私は大学は東京の某私立大学に進学することとなり東京で4年間を過ごすことになりました。それまで生のオーケストラを聴いたのは中学3年の時のNHK交響楽団の地方公演の1回のみの状態だったので、東京で生のオケの演奏、特に海外のオケの来日公演も聴けるという気持ちが強かった。一番、聴きたかったのは当然ながらベーム指揮のウィーンフィル。しかし当時80歳を超える高齢だったので、もう来日はないだろうと諦めていました。ですから1975年の来日公演の放送を聴いて、もう少し早く生れていたら・・・と何度、思ったことでしょう。
それが何と1977年3月に実現しました。夢のようでした。チケット代は12000円。オーケストラの演奏会のチケット代が1万円を超えたのは、この時、初めてだったのではないでしょうか。アルバイトで貯めたお金を注ぎ込みました。
東京へ出て初めて聴いた外国のオケはチェコフィルでした。期待し過ぎていた為か、ちょっと肩透かしで、残念ながら、海外のオケは、この程度か?と思ってしまいました。
そして2番目に聴いたのがベーム指揮のウィーンフィル。
期待と不安の気持ちが交錯しながら会場のNHKホールに向かいました。座席は1階の前から8番目のほぼ真ん中。田舎の貧乏学生の私が何で、あのような条件のよい場所の席が確保できたのか、今も不思議でたまりません。音楽の神様のおぼし召しだとしか考えられません。
プログラムはベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第5番。アンコールは「レオノーレ」序曲 第3番。
「田園」が素晴らしかった!輝かしく、この世のものと思えないくらい美しかった!現在まで、いろいろと聴いてきましたが全く別次元の演奏でした。
この日の演奏のライブ録音が、後年CDでも発売されましたが、実際、私が聴いた響きは、あんなものではなかった。しかし、これは、しかたがないことでしょう。


超一流の指揮者による超一流のオーケストラの演奏がいかに物凄いか!まざまざと実感するものがありました。一流と超一流の違いの大きさ。
私にとってのベームの生のステージは、この1回だけですが、あの時のウィーンフィルの音色は30年以上たった現在も、忘れる事がなく、しっかりと憶えています。
音楽の永遠性、演奏の永遠性を今も教えてくれています。すべて心に残るもの。
1975年のウィーンフィルとの来日公演を放送を聴き、1977年、NHKホールで生の演奏を聴くまで、たったの3年間ですが、私にとって、たいへん大きな3年間であり、私の現在の音楽観が固まった大切な3年間だったといえます。そして、その中心的存在が指揮者カール・ベームで、ここまで私を導いてくれた(そして、これからも導いてくれている)と言えます。

たいへん長文になってしまいました。次回はR・シュトラウスを語りたいと思っています。




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4 コメント

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カール・ベームとの出会い (そぴあ)
2014-10-11 18:46:12
記事読ませていただきました。私も高校時代、1980年のベーム最後の来日公演のベートーベン7番の演奏をテレビとFM放送で聴き、クラシック音楽の奥深さを知りました。記事を拝読させていただき、とても嬉しくなってコメントさせていただきました。
ただ私の場合は、その後は、CDを聴くくらいで、しばらく音楽から遠ざかっていたのですが、最近になって(やはりというか子育てなどが一段落して)、ベームのビデオや、CDをコツコツと集めています。(…あのぉ、私も夫からは、あきれられています(笑)。)
ああ、それにしても何と!1977年の公演にいらしたのですね。…もう、今となっては絶対にかなわない願いですが…私もライブの音を聴きたかったです。
突然、失礼いたしました。素敵な記事をありがとうございました。
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カール・ベーム (オペラファン)
2014-10-12 21:38:42
そぴあ様へ

コメント、ありがとうございます。
さて1977年の日本公演。この公演を最良の座席で聴けたことは、今だに音楽の神様のおぼし召しだったと信じています。
「田園」の第1楽章の冒頭の旋律が流れてきたとたん、あまりの美しい音色に体の力が抜けたことを今も、はっきり覚えています。
私も、そぴあ様と同様、現在もベームのCDをコツコツと集めています。
ベームの録音に関しては、これからも話題にするつもりです。その時は、またコメントをお願いします。
今後も、よろしくお願い申し上げます。
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Unknown (ぐっちー)
2015-12-23 21:14:48
突然はじめまして。
女房が羽生君のファンでこのブログにたどり着きました。
ブログ主さんと私とのクラシック音楽遍歴がほとんど一緒なので、失礼ながら笑ってしまいました。

私もあのベームのブラ1でクラシック音楽に目覚めた口です。
しかもそれまで聴いていたレコードがカラヤンというのも一緒です。(笑)
私の場合はカラヤンがウィーンフィルとDECAに録音した
ものでしたが、ベームの演奏を聴き、カラヤンの演奏とのあまりの違いに呆然としました。クラシック音楽はキレイごとではない世界なんだという事が分かりました。
その後私はクラシック音楽にのめり込んで行きます。
次にはまったのが、トリスタンとイゾルデ。
小遣いを貯めてLP5枚組のレコードを買ったというのも同じです。私はジャケットの色彩の魅力で買ったのですが、分厚い解説書のをめくるとまず最初にワーグナーの肖像画が出て来て、「これは大変な買い物をしてしまった」と思ったのも懐かしい思い出です。
このトリスタンのレコードを擦り切れるほど聴いて、ベーム、クラシック音楽の真髄に近づけたような気がします。
唯一違うのは、ベームの生演奏を聴けなかった事です。
どんなに素晴らしかったのか、うらやましいです。
多分ブログ主さんは、私と趣味的なものがほとんど同じですね。バーンスタインの「復活」が一番。黒澤明好き。私たちの年代は皆そうなのでしょうか?またコメントしますね。
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Unknown (オペラファン)
2015-12-23 22:48:27
ぐっちー様へ

コメント、本当にありがとうございます。
私と、あまりにも音楽遍歴が同じ方がいることを知って、驚くとともに、たいへん嬉しいです。
ちょっと違うのはカラヤン指揮のブラームスのレコードはベルリンフィルとのドイツ・グラモフォン盤だったということ。
当時購入したLPレコードは、今、我が家の物置部屋で眠っていますが、ベーム指揮の「トリスタンとイゾルデ」の全曲レコードは、今もスピーカーの横で鎮座しています。
この録音はCDで買い直していますが、今も時々ジャケットを眺めています。
黒澤明監督の映画も、いろいろご覧になっているのでしょうか?
これからも、よろしくお願い申し上げます。
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