水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(2)声が聞こえる  <再掲>

2024年08月09日 00時00分00秒 | #小説

「え~、必ず私は一票の格差をなくし、この日本が住みよい国になるよう努めて参りたい! かように思う、わけでございます!!」
 立ち止まった矢森透は、街頭で行われている選挙演説を冷めた目で聞いていた。
「ふん! どうだっていいさ…。どうせ変わらねえんだろ!」
 透の右隣にいた男がそう吐き捨てるようにいって立ち去った。透も同感に思え、その男の後ろに従った。足早やな透はいつの間にか緩慢に歩く男の横へ並んだ。突然、男が声をかけた。
「あんたも、そう思うかい?」
「はあ、まあ…」
 透は、ビクッ! として横を向き、そう返した。
「そうかい…。だよな、俺達とは住む世界が違うんだよ、政治家さんは…。なんか、上から目線に聞こえるのさ。あんた、どう思う?」
 憤懣(ふんまん)この上ない・・と思える怒った声で、その男は透に同意を求めて訊(たず)ねた。透は少し、その男に危険を感じた。
「そうですね…。じゃあ!」
 急いではいなかったが、知らぬ危険男の愚痴を聞くほどテンションは高くない。透はなに気なく交差点の通路を左へ逸(そ)れ、男と別れた。今日は久しぶりの休みだし、映画を見て美味いものだ…。透にはその程度の考えしかなかった。選挙など、どうでもよかった。○×党で給料が上がるわけないさ…と、透は思った。そのとき天空から声がした。
━ あんた次第だよ、矢森さん ━
 その声を透は確かに聞きとれた。危険男で気が昂(たか)ぶってるせいだ・・と思えた。だから余り気にはとめなかった。
 次に透がその声を聞いたのはバスの中だった。混雑したバスの中で、透は吊革を持ちながら窮屈さに耐えて立っていた。辺りは人いきれと熱気で噎(む)せ返っていた。そんなとき突然、声がした。
━ どうだい? 調子は、矢森さん? ━
「あんたは、いったい誰だ!」
 空間を見回し、透は叫んでいた。周囲の者が訝(いぶか)しげに透を見た。思わず、透は俯(うつむ)いた。
 そんなことが唐突(とうとつ)にその後、三度ほど続き、透は自分が病気ではないかと思い、病院の門をくぐった。
「おかしいですね…。どこもお悪いところはないんですが…。少し、お疲れなんじゃないですか? 安定剤を出しておきましょう」
 脳神経外科、内科などでは異常がまったく見つからず、透は最後に訪れた精神科で、そう医師に告げられた。疲れてんだな、きっと…と、保も思った。
 その夜、保がベッドへ入りウトウトとまどろみ始めたとき、その声がまた聞こえた。
━ 明日(あした)起きれば、あんたは政治家だよ、矢森さん ━
 またか! と、透は掛布を被(かぶ)ってその声を無視した。そしてやがて、深い眠りへと引き込まれていった。
 朝が巡り、透は肩を叩(たた)かれ起こされた。
「先生、起きて下さい! そろそろ街頭近くです」
「んっ!? …」
 透はなんのことかと思った。それより、一変した周囲の状況に驚かされた。そして、ゆっくり自分の姿に視線を向けた。背広を着ていた。肩には選挙立候補者の襷(たすき)をかけていた。傍(かたわ)らにはハンドマイクがあった。
 その十分後、街頭の透は、どこかで聞いたような演説を聴衆の前でぶち上げていた。[やもり透]として、である。
「え~、必ず私は一票の格差をなくし、この日本が住みよい国になるよう努めて参りたい! かように思う、わけでございます!!」
 スラスラとその言葉が透の口から飛び出していた。透は一字一句、その演説を忘れていない自分が不思議でならなかった。

                        THE END 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 短編小説集(1)照射銃  <... | トップ | 短編小説集(3)消えた羊羹(... »
最新の画像もっと見る

#小説」カテゴリの最新記事