10月20日(水曜日)
プールから上がり携帯電話を見れば、着信のチカチカが光っています。誰から電話が掛かって来たのかな? 同期入社の鳥越君です。ひょっとして、同期の西野君の容態が悪く知らせてくれたのかな?折り返し電話をすると、「昨夜8時に西野君が亡くなったよ。物が食べれず、体重が40キロを切りガリガリだったとのこと。家族葬でやると聞いているけど、私は顔を出す予定」。
2年前までコマツOB会長をやっていた鳥越君。入社した時は大分津久見から出て来た純情無垢な青年でした。労組の役員をやり、一皮も二皮も剥け口達者に変身。亡くなった西野和夫君は、中学時代に石川県鳳至郡門前町から守口の姉の所に下宿し、成城工高を優秀な成績で卒業し入社。都会で暮らした西野君は俗に言う”ええかっこしー”。背広はあつらえ。金が無くなれば背広を質に入れます。私の背広は安物なので、質に持って行っても10円も貸してくれなかったことでしょうね。独身時代、一番一緒に遊んだのは西野君でした。枚方市駅、寝屋川市駅前で力いっぱい遊んだものです。寝屋川駅前のキャバレー”美都”では、今は亡き鳳けいすけ、京唄子と掛け合い漫才をやったことが思い出されます。冬の寒い時は、枚方市駅前の屋台のおでん屋で二人でグイッ!彼はクジラのコロが大好き。私は苦手・・・。馬刺しも彼は好きでしたが、私はダメ・・・。兎に角、初物は体が受付ません。今とはなっては良き思いでです。西野君を不死身の男と言っているのは、2009年に肺がんになりました。彼が亡くなった場合に備えて、思い出アルバムを作っていましたが、不死鳥のごとく復活。2012年には肺がんが再発し、肺は3割に。自称演歌歌手の西野君。
オハコは北島三郎の歌。苦しい、声が出ないと嘆き節。
2020年の秋に3度目の再発。「4回目は無いので無茶をしてはいけませんよ!」と忠告しましたが、やっぱり4度目は有りませんでした。あんなことこんなことが、走馬灯にように駆け巡ります。2年前に同期の桜との飲み会が最後になりました。も一度西野君と飲みたいな。君の ”演歌は心で歌うんだよ” の北島三郎の歌が聞きたかった・・・。コロナで葬式に出れないのが悔しい。
西野和夫 享年77歳 合掌