夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

そして、その後の10数年の名曲は・・♪  《初出2007.9.2.》

2008-05-30 12:54:22 | 音 楽
私の50歳前後から定年退職までの期間は、
業界はミリオンセラーが続出し販売額のピークとなった後、
減少したので、日本の数多くの民間会社と同じような現象で再構築に基づいて、
リストラが行われが、苦楽を共にした人々が業界を去っていった時代でもあった。


ZARD『揺れる想い』

GLAY『BELOVED』

X JAPAN『Rusty Nail』

小柳ゆき『あなたのキスを数えましょう』


1998年に業界はピークとなった頃までは、
ミリオンセラーとなった数多くの曲は、ほぼ聴いてたりしていた。

やがて、私の務めていた会社も早期退職優遇制度の美名の中で、
止む得なく去っていった人、或いは大幅な人事異動と配置転換、私のように出向となった人、
業界自体が混迷した時代でもあった。

私は本社勤務から、出向先となった物流情報会社の不馴れの初めの頃は、
失墜感の中で、遠方となった通勤時間のひととき、
ビジネス・バックの中にCDウォークマンを入れて、CDの3枚前後を入れて、
X JAPANを盛んに聴いたりしていた。

その後。心身が落ち着いた頃、小柳ゆきのデビュー曲を偶然聴いて惚れ込み、
半年後の頃は、退社直後の8時過ぎに、人影もない暗い夜道をバス停まで歩き、


♪壊れそうな 明日に向かい
 信じあう 奇跡を

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑 】


小声で唄ったりした。

そして4年が過ぎて、私は定年退職を迎えた。


退職後は1960年代から2000年頃まで聴く曲が圧倒的に多く、
あの曲が街に流れていた時は・・と我が身を振り返ったりしている。

ここ数年の曲には興味がないが、昨年の秋は、
絢香(あやか)の『三日月』に魅せられて、夢中になった頃は、
月を眺めたりすると、あやかちゃん・・
などと62歳の私は小声で言ったりしていた。


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私の人生で、音楽から影響を受けた名曲・・♪ 《初出2007.9.1.》

2008-05-30 12:50:34 | 音 楽
私は定年退職後の3年生の身であるが、
ときおり収集したCDをCDラジカセなどで音楽を聴いている。

昨日、書類棚を整理していたら、葉書の専用箱を見ていて、
一枚の葉書を懐かしさがあったので、時を忘れて見たりしていた。

この一枚は、10数年前に私が書いた年賀状であった・・。

私は民間会社のあるレコード会社に勤め、
音楽の制作と直接に関係しない管理畑の部門であったが、
人並みに音楽が好きな方であった。


・・・
この間あまたの歌がありましたが、私の脳裏から離れない歌を綴って・・。

バルバラ『ナントに雨が降る』

中島みゆき『HALF』、『エレーン』

井上陽水『傘がない』

五輪まゆみ『少女』

長渕 剛『昭和』

S。アズナーブル『遠い想い出』

グロリア・ラッソ『サ・セ・ラムール』

シャーリー・バッシー『別れの時まで』

戸川昌子『ボンボヤージュ』EMI盤

パティ・キム『離別(わかれ)』

大塚博堂『私は女です』

内藤やす子『悲しい色やね』

金子由香里『愛の砂漠』、『スカーフ』

イーグルス『ホテル・カルフォルニア』

別格 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』


このように書かれて折、思い込みの激しい私が、
25歳で中途入社して、50歳前後まで私なりに惚れ込んだ曲であるが、
このことは少しばかりの私の信条が見え隠れするので、
と今の私は微苦笑している。

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9月になれば・・♪   《初出2007.9.1.》

2008-05-30 12:44:21 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、静寂な曇り空を迎えている。

昨夜、カレンダーを一枚捲(めく)り、
猛暑だった8月に別れを告げて、そして破いたりした・・。

9月は日本古来から長月と称されて折、
夜が長くなる『夜長月』といわれているが、
民俗学者の折口信夫氏に寄れば、
長雨の時季を意味する『ながめ月』と述べられている。

思い返せば、確かに秋雨前線と台風が重なるので、
一年の中でも雨がよく降る時季でもある。

或いは、農作物、果樹に携(たずさ)われた農家、果樹園の人々の労苦の成果として、
穀物と果物の実りをもたらしてくれる時季でもある。

夏のなごりと初秋が交差する九月は、何かと物思いに耽(ふけ)ったり、
私は暑さに苦手な季節を過ぎたので、
心身健全な季節となる。

私は先程、玄関庭の片隅で煙草を喫っていたら、
紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実が、薄紫色に色づいてきたのを眺めたり、
クロッカスに似た群生させた玉すだれの純白の花に心を寄せたりしている。

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天成の歌人に魅了された頃・・♪   《初出2007.8.31.》

2008-05-30 12:42:22 | 読書、小説・随筆
私は短歌を詠(よ)む力はないけれど、
人が詠まれた歌を読むのは好きである。

私が定年退職後の3年生の身であるが、
私なりのつたない自己形成で最も影響を受けた中で、
歌に関しては、ひとつの歌が頂点を極めている・・。


   春は花 夏ほととぎす 秋は月
       冬雪さえて 冷しかりけり

            道元禅師

この歌に初めて接したのは、東京オリンピックの頃であり、
私は大学を中退した二十歳であった。

日本古来の自然の四季のうつろいを歌っている。
この世を的確に達観し、凝縮(ぎょうしゅく)されて表現されては、
散文を書く後世の人にとっては、余りにも大変、と感じたのである。


歳月は流れ、昭和56年に岡山県にある洞松寺の住職の赤松月船の解説の導きがあったりしたが、
私なりに理解できたと錯覚していた。

しかし、私なりに無心な心境で受け止めるには、長い歳月が必要であり、
年を重ねた今でも、まだ生臭い自分がいることに気付かされるのである。

私にとっては、人生の命題かしら、と深く思ったりして、
つたなく日常を過ごしている。



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八月も終りを告げて・・♪   《初出2007.8.31.》

2008-05-30 12:39:56 | 定年後の思い
東京の郊外は、霧雨の静寂な朝を迎えている。

日めくりのカレンダーも月末となり、
私はこの八月は何をして過ごしてきたのかしら、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、想い返えしたりした。

私は定年退職後の3年生の身であるが、
退職後まもなくしてブログの世界を知り、
旧サイトの【goo簡単ホームページ】に於いて、ほぼ毎日数通を投稿してきたが、
7月の下旬に9月末の閉鎖を知ったので、
どのサイトにするかで、迷い考えて8月を迎えた。

結果としては、新サイトとして【OCN Cafe】に加入した後、
旧サイトの日記に相当する部分を移行して、
13日から私なりに投稿を初めてきた・・。

これと同時に、ニフティの【ココログ】に加入しているが、
【OCN Cafe】に投稿をし続けて、ある程度軌道に乗った後、
【ココログ】に重点を移せばよい、決意したのが8月の初旬であった。

このようにさまよいながら、私は念願の蓮の花を観る為に、
群馬県の最南東にある館林市の外れの城沼に3泊4日で家内の母を含め、
3人で小旅行をした。

今年の夏は、7月の中旬から下旬は曇り時々雨となり、
今月の8月は私の記憶にない猛暑が続き、
ここ数日、雷雨のあと朝涼となり過ごしやすい日々となっている。

過ぎ去ってしまった今、微笑んでいるが、
揺れる心情は投稿してきた60前後に綴っているので省略するが、
年を重ねた私なりに、大きく揺れ動いた月であった。


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季節で変わる、映画鑑賞・・♪   《初出2007.8.30.》

2008-05-30 12:33:06 | 映画・テレビ
私は定年退職後の3年生の身であるが、
若き時期のひととき映画青年の真似事をしたこともあったので、
昨今は居間で映画を観たりするのは好きである。

そして私なりのつたない鑑賞歴でも、魅了された作品は、何回でも観るタイプである。

例えば邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。

洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等は、10年ごとに観たりしている。

或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』などが鮮明に記憶に残っている。


私は定年退職の5年前頃に、退職後にその時に観たい映画として、
100作品前後の名作があればよいと考えていたが、
瞬(またた)く間に増えだした・・。
やむえず、250本収納できるビデオ・ラックを2本買い求め万全とした。

しかし、時代はビデオ・テープからDVDに移行期の上、
私のソフト販売店からの購入、或いはWOWOW、BS2からのコピーが増えて、
天上までとどく、幅広い大きなラックを買い増ましたのである。

そして今日は、邦画、洋画、映画以外のドキュメンタリー、音楽の四つの区分で、
ビデオ・テープ、DVDが並んでいる。


私はその時に観たい映画作品をラックの前で選定したりするが、
何故かしら、やはり季節に応じて観てしまうのである。

冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなるのである。

そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなるのである。

不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景は、
暑くて落ち着かないのである。

かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。

このようにして私は鑑賞しているが、
1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。



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この世で一番美味しい食べ物は・・♪  《初出2007.8.30.》

2008-05-30 12:30:41 | 食べ物、お酒
今朝、朝食前に家内が洗濯の合間のひととき、料理雑誌を見ていて、
野菜、果物、魚介類の秋の時節のことで、私に話しかけてきた・・。

『どれも・・美味しそうね・・』
と云った。

私は新聞記事の政治の喧騒を思い浮かべていたので、
『女性とご年配の方達が・・喜ぶものが多いみたい・・』
と大人になりきれない民主党のある政治家の人達のことを思った。

『だけど・・貴方の好きなお酒の付け出しに最適なのも・・あるわょ・・』
と家内は私に行った。

私は家内の見ている雑誌を斜め見ると、
『確かに・・美味しそうなものはあるよねぇ・・
だけど、この世で一番美味しいものは、
旬のものを素材を大切にした料理・・
これ以上のものはないと思うょ・・』
と私は言った。

『・・』
家内は私の断片癖が始まったと感じていたが、
やがて微笑んだ。

私は家内から茶事、焼き物、料理などの和事の基本を多くを学んで折、
30数年前の新婚時代に、家内から教えられたひとつであった。

我が家の夫婦の会話は、私の退職後の日常は、
こうした話や旅行先のこぼれ話が多い。

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ときには、庭の手入れをすれば・・♪  《初出2007.8.29.》

2008-05-30 12:26:11 | 小庭の情景を眺めながら
9時半過ぎより、庭の手入れをはじめた・・。

昨夜の雷雨のお陰で猛暑は去り、
最高気温といっても26度前後で過ごしやすい日中であった。

久々の庭の手入れであり、少し荒れ放題の玄関庭となっている。

雑木の剪定と草抜きに専念したが、泥まみれと汗まみれになるが、
健全な汗なので心身にそれなりに心地よい。

1時半過ぎに疲れ果てて中断し、お風呂が沸(わ)くまで間、
何時ものように軒下付近で、煙草を喫いながらビールを呑んだりしている。

紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな黄緑色の実を見つめたり、
花梨(カリン)の樹木を眺めたりしているが、
こうした時は現役時代のことなどを想い浮んだりすることが多い。

私は民間の中小業のサラリーマンの身であったが、
数多くの人と同様にそれなりの苦楽がこうした折、
甦(よみがえ)ってくるのであった。

過ぎ去ってしまえば、過去は苦楽を忘れ去り懐かしく、
そして美しさばかり残るのは、
多くの人々と同じ思いである。

『貴方・・お風呂・・沸きましたわょ・・』
と家内の声が聴こえ、私は腰を上げた。


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白雨(はくう)の後は、真夏日が去り・・♪  《初出2007.8.29.》

2008-05-30 12:20:11 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外の調布市は、朝涼(あさすず)の朝を迎えている。

昨夜の7時半過ぎ、雷鳴が響きわたると、大粒の雨脚が屋根にあたる音が聴こえ、
しばらくすると稲光が光を帯びて、夜空を裂き、豪雨となった。

私は夕食前であったが、玄関庭の軒下に出て、
待ち焦がれた雨を眺めていた。

樹木は豪雨を受け、樹木越しの景色は白いベーェルに覆(おお)われたかのように霞(かす)んでいる。

地上の草花は水しぶきを受けて、乾ききった大地を潤(うるお)しているが、
激しい雨を受けて、もう・・だめぇ、
といったような樹形を震(ふる)わしていた。

私の履いている下駄も水しぶきを受けていたが、
待ち焦がれた雨の情景を見つめていた。

付近で落雷が数度響きわたり、大地を震(ふる)わした・・。

私は苦笑しながら、居間に戻り、
『やっと・・降ったねぇ・・』
と私は家内に言った。

ビールを呑みながら夕食を頂いている時でも、
屋根に激しい雨脚が聴こえている。

夕食を終えた後、煙草を喫うために玄関の軒下にたたずむと、
雨は小降りになり、微風が吹いていた。

日中の猛暑も数日前のように思われ、
夕立であったならば、白雨のひとときの情景だったかしら、
と暑さに苦手な私は微笑んだ。

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私が険悪する言葉・・♪   《初出2007.8.28.》

2008-05-30 12:17:51 | 時事【社会】
昨今、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉がある。
一番困るのは、テレビの出演された30、40代の小奇麗な女性が使ったりすると、
容姿に似合わず蓮っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。


★はまる

若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも40歳以上の大人の人が使うのは、
いかがなものかしら、と思っている。

この言葉は、江戸時代以来の枕詞に近い男女間の会話と、私は思っている。

☆夢中になっている

☆熱中している

少なくとも大人と思われる方には、使って頂きたい、と思っている。

反論されるお方は、流行している言葉を使わないと、
時流から取り残される、と危惧し、あえて使っている方も見られる。

日常の言葉は時代を移す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があるのに、
日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。

★ムカツク

この表現も険悪する。
このような言葉を口にだしたら、相手のお方は・・
こうした心情を思えば、少なくとも大人の人は使えないはずである。

私の現役時代、職場で若い方が使っていて、
私は感性の乏しい人、人格形成の薄さを感じてしまったのである。


私の幼児の頃、農家で育ったのであるが、言葉が乱暴であったりした時、祖父、父はもとより、
近所の叔父さん、叔母さんから叱咤を受けたりした。

その言いかたは何だ・・言葉を粗末にするなぁ、と小突(こづ)かれたりしてきた・・。

私は言葉ひとつとっても、貧富さとか社会の地位とかは関係なく、
そのお方の人格を表わす、と確信している。


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夏の匂(にお)い・・♪   《初出2007.8.28.》

2008-05-30 12:15:20 | 食べ物、お酒
ときおり私は、自分が綴った文章を省(かえり)みたりする。
特に昨年の夏は・・一昨年の頃は何を思っていたのだろう、
と他愛ないことを振り返ったりする・・。

今朝は、今年の夏は7月には曇り、雨の日が多く、
8月になると平年以上の猛暑が多く、
スーパー、八百屋さんの店頭で並ぶ農作物が影響を見られているので、
昨年の夏は・・などど振り返りかえったのである。

一昨年の夏の終りに、私は西瓜(スイカ)のことを綴って折、
今年の夏を振り返ると、思わず苦笑したりしている。


スーパーで買物を済ませ、八百屋で野菜物を見ていたら、
西瓜があり、富良野産とシールが貼ってあった。

買物車にくくりつけた段ボールの中は、
野菜物を入れると溢(あふ)れそうになるので、迷ったのである。

結果としては、重い西瓜を片手に提(さ)げて、
片手に買物車を引っ張って、住宅街を抜けて歩いた。

サルスベリと称されている百日紅の淡い紅色の花を観たり、
宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の底紅の純白の花びらを誉(ほ)めたりして、
暑い日中、アロハシャツも汗まみれとなりながら帰宅した。

夕暮れのひととき、家内と西瓜を食べながら、
『富良野の西瓜・・昔風の味だねぇ・・
最近は甘味が多すぎたものが多いが・・こうした味も俺は好きだなぁ・・』
と私は家内に言ったりした。

食べはじめていると、甘味が口いっぱいになり、
夢中で食べ終わると、口の周(まわ)りは西瓜特有の夏の匂いが漂(ただよ)った・・。

今年は6月の下旬より、茨城産、福島産、秋田産、北海道産を食べてきたが、
今日で西瓜は夏の香りを残して、最後と思われる。

家内は、夏の果物に関しては、メロンより西瓜が好きである。


このように一昨年の9月2日で綴っていたが、今年は天候が不順なので、
不作なのか高騰し、私が西瓜を提げてきたのは、
確(たし)か3回だったかしら、と家内と昨夕話したりしていた。



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『長崎の鐘』を聴くときには・・。  《初出2007.8.27.》

2008-05-30 12:12:48 | 音 楽
私は昭和19年9月に東京の郊外で生を受けた。

昭和25年の頃に、自宅のラジオから『長崎の鐘』がよく流れてきた・・。


♪こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ

【『長崎の鐘』 作詞・サトウハチロー 】


私は5歳の幼児であったが、何かしら物悲しく感じたりした。


♪なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る


ここまで聴いていると、いじけた幼児の私でも涙があふれてきた・・。

翌年の夏、近くの寺院の境内で、映画が放映された。
この頃の時代は、学校の校庭とかで、スクリーンを張って、ときたま映画が放映されていた。
娯楽の乏しかった時代、ご近所の方達が集まって、
このような催しが行われた時代でもあった。

近くの寺院の境内で上映されたのは、映画の『長崎の鐘』であった。

母に連れられて、初めて観た映画だった。

帰路、満天の星空が綺麗だった、ということが今でも残っている。

映画のストリーは忘れてしまったけれど、幾つになっても、藤山一郎の歌声を聴くと、
私は涙ぐんだりしている。

私は後年になると、作詞はサトウハチロー、作曲方は古関祐而と知るのであったが、
肝心な『長崎の鐘』という原作を書かれた永井 隆は無知であった。

その後、このお方の人生経路を知り、涙で曇った。


♪召されて妻は 天国へ
 別れてひとり 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの
 鎖に白き わが涙


ここまで転記させて頂いているが、著者の永井 隆の人生を思い馳せると、
また瞼(まぶた)が熱くなってしまう。


国家の国益という怜悧の中、アメリカは広島に続き、
長崎にも原子爆弾を投下した。

思えば、7月26日に於いて、アメリカ、イギリス、ソビエトの首脳により、
『ポッタム宣言』で日本に降伏を勧告したが、
日本政府と軍の首脳部が混迷し、黙殺した結果となり、
8月6日に広島に続き、9日に長崎に投下された。

こうした事実を少しづつ知りはじめると、
なお一層、この歌は悲劇を通り過ぎて、悲惨な過去の実態にうっすらと涙を浮かべる。

私は年を重ねた62歳の身であるが、
ここ10数年、8月15日の敗戦日になると、
昼のひととき『長崎の鐘』を聴いて、平和の大切さをかみ締めている・・。


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ご年配のお方達に、敬意を・・!?  《初出2007.8.26.》

2008-05-30 12:09:20 | 時事【社会】
私は定年退職後の3年生の身であるが、
ここ10数年、新聞や雑誌などで死亡記事を読んだりしている。

或いは生者としての文化勲章、文化功労者、
そして受勲された人々の経歴なども読むこともある。

そして、そのお方の経歴、足跡を精読していると、大変な人生でしたね、
と思わず敬服しまうのである。

こうした方達の時代を思いを馳(は)せたりすることが多いが、
しばらくすると私は肝心なことを忘れていたことに気付くのである・・。

敗戦後の日本に於いて、荒廃しきった日本の各地域で、
無名な数多くの人々に寄って、たゆまぬ努力と創意工夫、英知により、
経済復興がしてきたのは、まぎれもない事実である。

今日の日本の豊かさが実感できない人は、海外旅行などで異国の地より、
我が祖国の日本の状況を観れば、歴然として理解して頂けると思っている。

私は若い頃から、歴史書、現代史、小説、随筆、映画などから教えられ、
或いは親族、知人の言動に接してきたが、
今日の日本の姿を思う時、10歳以上の男性、女性に敬意をし、
特に昭和一桁の人々に尊敬の念をいだいている・・。

そして私は、日頃からこうした無名のお方達には敬(うやま)い、
多くの人々から人生の知恵などを学んだりしている。

ブログの世界からでも、ご年配のサイトから、
人生の達人、とため息をしながら、教えを受けたりしている。


しかし日本のご年配の中で、一部の方であるが、
今後のいきがいの指針もなく、目の輝きを失(な)くされた人々には、
私は失望するのである。

更に困り果てるのは、公衆の場所に於いて、
羞恥心をなくした人々を見かけた時、
私はあなた方の世代から教えを受けた日本の美徳の心は・・
どうされたんですか、と問いかけたくなってしまうのである。

少なくとも日本人のひとりとして、さりげない美徳の心を受け継ぎ、
そして私達は子供達の世代に伝える責務があると、
と確信しているからである。

ご年配の一部の人であるが、残念ながらご婦人に多く、
こうした人の中にはご自分の娘さんと連れ立って、恥知らず言動に接したりすることもある。

ご婦人の60、70代の最大の魅力は、
若い世代の人に薄れてきている謙虚さと羞恥心を秘めたしぐさであり、
その上で良き明るさである。

こうしたことをお忘れなった人は、老害であり、
何よりお孫さんに当たる若い世代の人々に対し、
情操教育上よくないのである。

私は日常生活でスーパーで買物したり、
駅前の商店街などで、ときおり旅先で見かけたりして折、
私はため息をしながら憂(うれ)いているひとりである。


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我が家の鈴虫、こおろぎ、そして蝉(せみ)・・♪ 《初出2007.8.26.》

2008-05-30 12:06:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外に住む我が家の小庭では、
鈴虫が鳴いて、蝉も負けじと盛んに鳴いて折、
夏の朝を迎える、

日中の暑い中は、蝉がワンマン・ショウのように鳴き響いている。
鈴虫の鳴き声が聴こえないのは、
日中は睡眠で夕方の6時過ぎに目覚めるのかしら、
と思ったりしている。

これと同時に、蝉は鳴き声が途絶えるので、
暑さの日中に鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠時間となったようである。

鈴虫は夜行型、蝉は日中型と理解は出来るが、
我が家のこおろぎは耳をすませないと聴きもらすのである。

夜のひととき、鈴虫の盛大な合唱の中、
少し遠慮しながら鳴いているのである。

可哀想なこうろぎであるが、やがて初秋になれば、
蝉が消え果るので、ライバルは鈴虫となる。

鈴虫も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と思ったりしている。


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ピアノの音が聴こえた頃・・♪    《初出2007.8.25.》

2008-05-30 11:17:06 | 音 楽
先程、庭先で樹木を眺めながら、煙草を喫っていると、
近所のお宅からピアノの音色が聴こえてきた・・。

女の子の弾くのは、バイエルの何番かしらと思っていた時、
東京オリンピックの少し前の時代が甦(よみがえ)ってきた・・。


あの頃は私は実家に居て大学生の身であり、
今もあるが程遠くない所に有数な音楽専門大学がある。

近所の家では、親戚の娘さんと云われた方が、下宿していた。

バイオリンの音色が、毎日ある一定の時刻から聴こえはじめて、数時間は続いていた。
練習をしているらしく、今日はスムーズに聴こえている、
と私なりに感じたりした。

まもなく卒業したらしく、音色は途絶えた・・。

数年後、新聞で日本の有数なバイオリニストになった、
と私は知った。


このころ実家の最寄に、音楽家の夫婦が引っ越されてきた。

ご主人は、日本のある交響楽団でオーボエを担当され、
奥様はピアニストである、と風の噂で聞こえたきた。

日中からピアノの音色が聴こえ、
私なりに何回も聴いているうちに、そのピアノ独奏曲を覚えてしまった。
私が10数曲覚えた頃、海外に行かれた、と後日知った。

私が23歳になると、このピアニストは日本の国内の有数なホールで、
ピアノ独奏会を開催するまでになった。

数年後、あるレコード会社でレコードを3枚録音し、
ご主人と離婚されて、少し遠方にある小高い丘陵に一軒屋で過ごされている、
と私は知った。

私は音楽が好きであり、ある程度のレコード、カセット、CD、DVDを所有しているが、
ときおりピアノの楽曲を聴いたりしている。

残念ながらこのピアニストの弾かれたものはなく、
この方が著名になる前、練習で聴こえてきた音色を懐かしく想いだしたりしている。


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